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最近読んだアレやコレ(2021.04.30)

 翻訳もの小説は常食していないこともあり、やはりどうにもするする読み進めることができません。魚を丸呑みする鵜のように苦労して、行きつ戻りつ飲み下してゆくことになるのですが、それは決して悪いことではなく、むしろその不便さが妙に癖になり、偶に無性にその体験を味わいたくなるのです。そんな訳で、ここ1ヶ月程、ずっと『指差す標識の事例』という小説を読んでいました。文庫1,100ページ! 1600年代後半にオックスフォード大学で起きた毒殺事件。本作は、その事件に関わった人物たちによって記された4つの手記となっています。4本の長編を通して1つの事件を描き出してゆくという趣向に加え、和訳するにあたって手記ごとに翻訳者を変えるというチャレンジも行われた、素晴らしく贅沢な作品。はちゃめちゃにおもしろかった。今回のアレコレは全部この作品の感想です。

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指差す標識の事例:「優先権の問題」/イーアン・ペアーズ、宮脇孝雄

 1本目の手記。イングランドを訪れたヴェネツィアの医学生マルコ・ダ・コーラは、謎の雑役婦サラと知り合い、病に苦しむ彼女の母親の治療を無償で買って出る。読み進めてとにかくぎょっとするのは、息をするような自然さで差別的な思想や言動が出てくることです。とはいえ、書き手のコーラさんは、多少鼻もちならない自意識の持ち主であるとはいえ、決して悪辣とは言い難い気のいい兄ちゃんですし、そんな兄ちゃんが差別的な「よからぬ」発言をすることに対して、この小説は一切露悪的ないやらしさを伴わせてはいません。そこに描かれているのは、現代と価値観の異なった架空世界のREALであり(私は歴史に詳しくないので、それが実際の1600年代欧州のREALかどうかはわかりませんが)、善くもなければ悪くもない、自分勝手で中途半端でそれでも高潔な部分も少しある、血肉の通った人間の姿でした。また、当時の基準で描かれる医学知識も興味深く、コーラさんが(我々の視点からすれば)全くでたらめな理論で「輸血」を発明し、実践してゆくシーンは、本手記の最大の見所とも言えるでしょう。知識も価値観も読者のものと一致しない遠い遠い異国の手記は、それでもなお、どこか、共感と理解の錯覚を読者の中に作り出します。そしてその遠さは、この4つの手記を連ねた、この小説全体のテーマとして昇華されてゆくのです。

指差す標識の事例:「大いなる信頼」/イーアン・ペアーズ、東江一紀

 2本目の手記。亡父に着せられた汚名を雪ぐべく日夜奮闘する法学徒ジャック・プレストコットは、邪悪なる魔女サラの姦計によりとある呪いをかけられる。書き手を変えたことで立ち上がるのは、「果たして、マルコ・ダ・コーラの手記はどこまで本当のことが書いてあったのか」という疑いです。彼からバトンを受け取ったプレストコットさんは、コーラさんの記述に潜む無数の矛盾や描写の恣意的な取捨選択を次々と指摘し、1つめの手記とは全く異なる毒殺事件の真相を暴き出すのですが……おもしろいのは、どう考えても、コーラさんよりも、このプレストコットさんの方が、まったくちっともこれっぽっちも信用できないことでしょう。自分の父親を狂信し、どこまでも身勝手な理屈で突き進んでゆく彼は、もう、本当にどうしようもなくくそったれのろくでなしであり、その記述の内容は約300P延々世迷い事が垂れ流される凄まじいものとなっています。やることなすこと最悪すぎて何回も声を出して笑ってしまった。コーラさんの怪しさが「恣意的な改竄」にあるならば、プレストコットさんの怪しさは「主観の絶対視」にあるでしょう。不完全な2つの手記は、相互に否定し合い、補完し合い、1600年代のイングランドと、そこで起きた出来事を立体的に立ち上げてゆきます。


指差す標識の事例:「従順なる輩」/イーアン・ペアーズ、日暮雅通

 3本目の手記。暗号解読のプロであるジョン・ウォリス教授は、国家を揺るがす陰謀に立ち向かうべく、哀れな虜囚サラの元を訪れる。プレストコットさんの怪文書とは異なり、ある程度の理性を持って記されたこの手記は、ある程度の説得力をもって、前2つの手記の誤謬、そして2人の書き手の真意を痛烈に暴き立ててゆきます。しかし、手記を読み進めると共に、このウォリス教授もまた、強烈な癖のある書き手であることが明らかになってゆきます。愛弟子に向けられた常軌を逸するほどの愛情や、言動から垣間見える自分の権威と知性をひけらかすいけすかない性分。熱しやすく、入れ込みやすいその性格は、このテキストに入った「論理の誤謬」とでも言うべきひび割れを、徐々に徐々に拡大させてゆき、彼が求めた真相に1つの破たんをもらすことになります。ウォリス教授は決して好感の持てるような人物ではなく、他の手記の中においても結構ボロクソに書かれているのですが、しかしその短絡さがもたらす怒りの果てにしゅんと背を丸めて座りこんでしまうその姿には、なぜか愛おしさを感じます。記述者の解釈に依り、手記毎にまるで別人のように印象を変えてゆく本作のキャラクターたちは、皆、共感しがたい身勝手な人間であるにも関わらず、その強烈な実在感によって生々しい魅力を放っています。

指差す標識の事例:「指差す標識の事例」/イーアン・ペアーズ、池央耿

 4本目の手記。奥手な歴史学者アントニー・ウッドは、その日、サラ・ブランディに恋をする。4編を通じて登場する、謎の女性サラ・ブランディの真意が遂に語られ、毒殺事件の真相が明かされる。恣意的な改竄、主観の絶対視、論理の誤謬……3者3様の不完全なテキストに対し、「指差す標識とも言える事例」が光を投げかけ、設問を遂に終わらせる。この小説はどこまでも此方と彼方の距離についてのお話でした。それは主観と客観であり、自分と他人であり、1600年代のイングランドと現代社会であり、何より、虚構と現実についてのお話でした。それらの間にまたがる距離はあまりに遠く、その中間から立ち上る真実は解像度のぼやけた不完全な輪郭にすぎません。この作品は、架空の世界をテキストに起こすのではなく、そのテキストのはるか背後にあるものを指差すことで、読者の中に架空の世界の実像を結ばせる小説です。どこまでも恣意的で、自分勝手で、間違いだらけなこれらの手記は、不完全であるからこそ、それを書き記す4人の記述者と彼らが生きるその世界の実在を私たちに確信させ、現実と虚構をまたぐ遠い遠い距離を取り払ってみせるのです。解決編に位置づけられるこの4編目が、客観からは程遠いロマンチックな恋物語である理由。「小説を読む」という楽しさをどこまでも突き詰めた、素晴らしい傑作でした。


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