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【2019忍殺再読】「エンター・ザ・ランド・オブ・ニンジャ」

鮮やかに色づくカラテと邪悪

 シーズン3、第一話。連載初読時はそれほど印象に残らず、さらっと流してしまったエピソードなのですが、改めて読むととんでもなくおもしろく、かつ、「ニンジャスレイヤーの再起」を真直ぐに突きつけられ、姿勢を正す羽目になりました。コトブキ、ナラク、そしてモータルとニンジャとの関係性を通して描かれる、マスラダの現在地点。悪辣で憎たらしく、理解不能な暴力性を持ち、しかしどこか愛嬌を持って新しい地獄をプレゼンしてくれる二人のヴィラン。主人公たちよりも一つ上のレイヤーから、ネザーキョウへと集まりつつある複数の運命を俯瞰するフィルギアとケイトー。そして何より、豪華絢爛にカラテを見せびらかし、恒例の対営業サラリマン・メソッドでしっかり個性を打ち出してくるタイクーン。過不足なく要素を詰め込み、次へとつながる楽しさをたっぷりと満たした理想の第一話と言えるでしょう。中でも、私が好きなのは、シーズン2とのヴィジュアル・イメージの差異を一発で打ち出してきたところです。

 AOMの大きな特徴として、シーズンごとのヴィジュアル・イメージ、さらに限定的に言うならば色遣いを第一話で明確に打ち出してくるというものがあると思います。たとえば、シーズン2の『コールド・ワールド』は、「雪原を一人歩く孤独なニンジャ」というパーフェクトなポスターで、その後に続く物語……賢しらな敗者・ワイズマンや、真冬の男・シンウインターとのイクサの全てを描き出しました。そして、その寒々しいモノクロの視界が一気に晴れ、視界いっぱいに鮮やかなに色づいたモミジが広がったのが、この『エンター・ザ・ランド・オブ・ニンジャ』でした。諦念と停滞の冬は終わり、元気いっぱい自由いっぱいの新たな邪悪がドンドコウホウホ、山のそこここから湧き上がる。より邪悪で、より愉快で、より力強い、新たな季節(ニュー・シーズン)の到来です。

まんが日本サツバツ昔ばなし

 ああ、何度読んでも素晴らしい書き出しです。画質の差で脳みそがバグる。モミジ舞い散る原風景の中、人造の少女がせせらぎに身を屈める。その絵画的な静の美、ある種エモーショナルな風景が、黒帯を巻いたクマとかいうアホ生物によって一瞬でぶち破られるのが本当にひどい。名画とB級パニック映画の境界線を、真顔で反復横飛びするんじゃない。緊張と緩和のエグい緩急は、忍殺の十八番。本エピソードの中で、それが最大限に生かされたのが、この冒頭の一幕、そしてヴォルケイノーとの一戦でしょう。息の止まるような緊張感とニンジャの暴虐への絶望を読者に追体験させながらも、実際に画面上でやっていることがまんが日本昔ばなしなのがおもしろすぎるんですよね。まあ、真面目な話、古式奥ゆかしい神殺しの作法であり、この一幕自体が、シトカとネザーキョウという土地の差異を強く打ち出す結果になっているのも見事なところです。ボンモー、シーズン毎の印象の切り分け、読者のリアリティラインの操作が抜群に巧い。

 ゲニン、ヘヴィフィード、ヴォルケイノーの三者から、帰納的に打ち出される「体育会系悪の組織」とでも言うべき、ネザーキョウのコンセプトも魅力的です。この要素は、今後さらに描写が重ねられ、「極端になりすぎたフジキドのカラテ理論」「イビル逆噴射先生」とでも言うべき、独自性を備えてゆくのですが……現時点では、プリミティブな、暴力による理不尽に留まっています。「筋の通らない理屈」を、弱者に力で強いる嫌悪、と言い換えてもいいかもしれません。タイクーンは、結構数のヘッズからややヒステリック気味に非難されることの多いボスだと思うのですが、その原因の一つは、この「筋の通らなさ」にあるでしょう。彼の統治は、我々の価値観から見ると明らかに、無茶苦茶で、非合理で、バカで、アホなんですが、それらの「正しい」批判を、タイクーンはゲンコツと「惰弱」の一言で嘲って終わらせてしまいます。そして、その嘲笑の根拠は一切示さない。これらの「筋の通らなさ」の裏側に隠された「筋」は、彼の行動の蓄積によって徐々に明かされてゆくわけですが……言葉の上では特に何も変わっていないのが、印象的ですね。言動の不一致、一貫性のなさは、ネザーキョウ思想においても、そして、その裏に隠されたタイクーンの素顔においても、重要な題材となってゆきます。

開かれたオリガミを折り直す

 テメッコラー!ソマシャッテコラー!

 そういう話してんじゃないダラァー!イクサでしか理解力発揮できネンカッザコラー! ワドルナッケングラー!ズラッガー!?ダァー!?

 ……いやぁ~、ほんといいですねこの一幕。最早固形化しそうなほどにマスラダくん成分に満ちている。フジキドでは絶対に出てこなかったであろう(あいつはクソ真面目にそうはできないことを説明する)、マスラダの煮凝りのようなツイートだ。そう、本エピソードは、その「マスラダらしさ」というものを、言葉にしないままに、できないままに、深めてゆくエピソードでもありました。シーズン2の終わりで、一度開いてしまった折り鶴を、再びどう折り直せばよいのか、過去に付いた折り目と、マスラダの中にずっとある「完成形」を探り、戯れに折り、開き、折り、開く、お話でした。

 生理的な弱者虐殺への嫌悪感と、他者との貸し借り。自己と、他者との関係性の中にある自己。マスラダ・カイという人間を規定する、二つの要素。あらゆる面で動機を失った彼の輪郭を留めるものとして、彼自身が言葉にすることが難しいコトブキとの関係性と、明確に言葉にすることができるナラクとの関係性が重点されるのです。前者を語るのは無粋として、後者の話をするのですが、それは、貸し借りの話であり、義務感です。義務感であると、彼が彼自身にかけた、肯定的な呪縛です。理由がなくとも物理法則に従い肉体が運動するように、「やらざるをえない」という必然性を利用して、とりあえず、肉体を動かすということです。

 とりあえず体を動かすこと。そして、動かすためのエネルギーを取り入れること。ニンジャスレイヤーはまず、スシを食べることから始める。これはフジキド時代から一貫して描かれてきた、忍殺に通底するある種の陽明学的な哲学です。何もかもかもがわからないならば、とりあえずやっていけばよい。通すべき筋は、磨くべき語彙は、奮われたカラテを後付けで解釈するように、組み立てればよい。もちろんそれを怠り、ただやるだけでは、それは、現象に堕し、怪物となる。やった果てに、無数の破滅の可能性が口を開けている。しかし、やらなければ、ゼロである。カラテとはやった結果であり、カラテの物語である本作において、理由とは、動機とは、意味とは、その上に後付けされているものなのでしょう。

 「やっていく」ということ。何もわからぬままに、とりあえずニンジャを殺すということ。それは言うまでもなく非道です。「とりあえず」で殺されてよいはずがないからです。根底に生理的な弱者虐殺への嫌悪があり、実際、今まさに不条理に殺されようとした人がいる……その事実を無視した上での「ニンジャスレイヤーもまたクズなんだよなぁ~」という学級裁判は、全てを曖昧に均して悦に入る傍観者の無為な論理に過ぎませんが……しかし、やはり、それでも、そこには非道があると、私は思います(マスラダくんへの共感があるので、さすがに「邪悪」とまで言い切ることはできませんでした)。ニンジャスレイヤーとは、殺戮という言い訳のしようのない非道の上に何かを後付けした存在であり、その後付けの過程において読者へとの共感を獲得してゆく主人公だと思います。殺戮を肯定するということ。それは、当然、難題であり、試行錯誤を強いられるでしょう。拷問にも近しい苦闘を伴って。地獄のような道行きを。

(とはいえ、この定義ミスのコンボはさすがにエグすぎて、ボンモー、コワ~となりましたね。「お前はニンジャで、おれの殺戮対象だ」とまでマスラダくんに言い切らせなかったのは、ゲディストに残ったかすかなやさしさでしょうか)

未来へ……

 今後の動線としては、マスラダくんとナラクの人間関係も気になるところ。「貸し借り」という個人間の尺度で、ナラクという恐るべき存在に接すうことのできるマスラダくんは貴重な存在です。抱える背景を全て「知ったことか」で切り捨て、あのナラクを、コトブキやタキと変わらぬ一人の個人として尊重している。フジキドが何だかんだ、ナラクの後ろに妻子の姿を透かして見ていることを考えると、マスラダくんは、ナラクという「人間」に真正面から向き合える、世界で唯一の存在なのかもしれません。フジキドですら結べなかったナラクとの「ユウジョウ」を、彼ならば結ぶことができるのかもしれません。

 あと、あれですね。今度の舞台は、明智光秀の支配するカナダだ!って今更ですけど、完全に気狂いのたわごとですね。忍殺は今まで様々なトンチキ舞台を用意してきたわけですけど(キョートが独立国家なのも相当おかしい)、ネザーキョウは設定の異常さという点において、過去最高かもしれません。その異常さは、まだ、第一話のこの時点ではそれほど表れてはいませんが……。この時点ではさらっと触れられ、「頭の固いカーチャンみてえだな」くらいの印象でしかなかった「インターネットの禁止」が、この後、これほど異質で不気味な意味を帯びてくるだなんて、誰が予想できたことでしょう。そのような、初期イメージからの強烈な反転、また、多くの謎を抱えたボスキャラクター、そしてサイバーパンクではなくファンタジー側の視点に寄った世界観等、シーズン3はフジキド・トリロジーの第二部を思わせる要素が多々見られると思います。カラテの王国を装った呪術都市だし。五重の塔が生えてるし。シテンノ出てくるし。シンカンセンに乗るし。ボンモーは、キャラクター造形においてこう言った象徴構造を打ち立てる作りはしないと明言していましたが、お話の造形においてはどうなんでしょうね?

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■2020年5月23日、5月31日