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necro1:キャットナップカット

【ネクロ13:あらすじ】
・不死者の暮らす街、臓腐市で、主人公ネクロが無茶苦茶する。
・ただし今回の主人公はネクロではない。

【ネクロ13:登場人物紹介】
カット:無口。
タキビ:口が悪く気が強い。
ダイゴウ:盗み聞きのダイゴウ。私立探偵。
キクラゲ:型崩れのキクラゲ。行方不明。
グンジ:腑分けのグンジ。カットの主。
ネクロ、ヒパティ、プラクタ:タキビの同居人。留守。

🐈🐈🐈

 顔面が下半分しかない起き上がりが買い物袋を持ち直し、機械の腕をぶら下げた黄泉帰りがあくびをこらえて口を押さえる。臓腐市に暮らす不死者たちは、どうせ死ぬことがないからと睡眠のとり方も適当で、今こうしてデパートのエントランスに差し込む橙の光が朝日なのか夕陽なのかもろくに区別がつけられない。店内はいつも通り買い物目的の不死者たちの喧騒で満たされており、その喧騒には時折楽し気な断末魔が入り混じる。

 あちらこちらで血が噴きあがり、生首が雑踏の足に次々蹴とばされてピンボールのように床を跳ねまわる。女の不死者が周囲に頭を下げながら、勢い余ってぶちまけた夫の臓腑を拾い集めている。男の不死者が人ごみの熱気に辟易したように、両耳ごと顔面の皮を引きはがし、胸をパタパタあおいでいる。店内の雑踏を構成する不死者たちは、「全体で平均すれば人の形と言えなくもない」という程度にしか人間らしい形を保っておらず、中でも、エントランス脇でベンチに腰かけている不死者の異形度は、飛びぬけていた。

 一目見て、それを人間だと理解できるものはいないだろう。細い細い扁平の棒が、何百本もより合わさって人間の胴ほどの太さの束になっている。下端、及び中央部には、枝分かれした扁平の棒がより合わさることで四肢らしきものが形作られている。たとえるならば、それは人間大の藁人形だった。ただし、束になっているのは藁ではなく、長く伸びた人間の爪だった。それの……「彼女」の名前は、カットと言った。

 カットには、当然、眼にあたる部位はなく、周囲を視覚では捉えていなかった。爪に伝わる空気の振動・流動を「聞く」ことで、彼女は周囲を知覚していた。そもそも、全身が爪でできている以上、脳にあたる部位もなく、知覚した情報を認識することなどできるはずがないのだが、不死者の暮らすこの街は雑でいい加減で適当で、そんな理屈は考えるだけ無駄だった。事実として彼女は爪を通じて周囲を認識することができており、その時、足元にすり寄る小型の不死者が発した鳴き声も、しっかりと聞き取っていた。

「にゃあ」

 カットは、声がした方向へ爪を振るい、その不死者の首を切り落とした。ずり落ちた首輪が、リン、と高い鈴の音を鳴らしたが、買い物客たちは見向きもしなかった。カットは、転がった頭部を団子のように爪で突き刺し、持ち上げた。切断面から床に血を垂らしながら、それは、ふぎふぎふぎと腹をすかせたように鳴いていた。尖った耳と、伸びた髭。人のものより柔らかで細い毛が頭部全面に生えており、突き刺す爪を優しく撫でた。

 カットは、つい先日、とある屍材開発企業の研究室で作られ、自我を獲得したばかりの不死者であり、この臓腑市が不死者の街になる前の姿を知らなかった。なので、人間以外の動物を見たことは1度もなかったし、自分を創った主からも知識として与えられてはいなかった。カットは、その小型の不死者を「猫」だと理解することができず、首をかしげる代わりに爪を擦り合わせて音をたてた。


【necro1:キャットナップカット】


 名刺に書かれた「私立探偵」の肩書と、でっぷり肉の詰まったその肥満体をタキビは何度も見比べた。その膨張した胴体部のせいで巨体に見えるが、ダイゴウと名乗ったその男の身長は、よく見るとさしてタキビと変わりがない。破れる寸前の風船のように皮が張りつめたその顔面は、一応笑顔らしきものを浮かべてはいるのだが、油断していると皮が裂け、顔筋が剥き出しになってしまいそうな緊張感がある。

「えっと……」

 皆まで言う必要はない、とばかりにダイゴウは手を突き出した。その手に引っ掛けられ、壁を埋めるラジオの1つが不満げにノイズを発する。茹でた芋虫のようにつるんとした指が、5本、タキビの目の前に並んだ。

「なぜ家主である自分の許可なく、探偵が勝手に家に上がりこんでいるのだ、とあんたは考えている。答えると、俺もあんたが留守だと聞いて、一度は引き上げようとした。だが、そっちのが家の中で待っていろと言うからな」

 タキビは、部屋の隅のラジオの山にもたれて目をしょぼつかせている同居人を睨んだ。グンジは、どろりと濁った瞳でタキビでこちらを見返す。そこには明らかに反省の色は見られない。

「事情があるみたいですからね」

 グンジはまるで悪びれた様子なくそう言って、自分の発した言葉にうなずきながらソファに腰を下ろした。周囲に積まれたラジオの山が崩れ、やかましく騒ぐ。ダイゴウは先ほどタキビを指して家主と言ったが、正確にはそれは間違いで、この部屋はタキビの姉のものだった。なので、室内に散らばる無数のラジオも、タキビの趣味ではなく姉が蒐集したものだ。

「サザンカのことか」

 ダイゴウは、まるでタキビの心を読んだように姉の名を口にした。

「何故、お姉ちゃんのことをこの探偵は知っているんだ、とあんたは考えている。答えると、探偵だからだ。彼女には仕事に協力してもらったことが何度かある。あんたはサザンカを探しているんだな。俺に依頼をする気はないか? ……いや、あんたの考えている通り、話が脱線してしまった。それは今の依頼を片付けた後だ」

 タキビの反応を先回りするように、ダイゴウは1人でべらべらと喋った。頭を押さえつけられているようで愉快ではない。そしてそれすらも「悪い癖なんだ。謝る」と先回りされてしまう。案外、本当に心を読んでいるのかもしれないとタキビは考えた。

「考えた通りだ。俺は本当に心を読んでいる」

「彼は〈盗み聞きのダイゴウ〉と言いまして、結構有名な化け戻りなんですよ」

 ソファにだらしなく沈み込んでいたグンジが、口を挟んだ。

「読心能力という形で現れていますが、本質的には魂のレイヤー上で自分の魂と重なり合った他者の魂を、自分の肉体と紐づけられていると誤認する能力です。誤認に基づき、他者を中途半端に再現した形で脳の蘇生・回復が起こる。魂のレイヤーに位置の概念はありませんから、本来、全市民の魂との紐づけが可能なはずなのですが、彼の性能ではそれは不可能なようですね」

 グンジお得意の小理屈は理解する気がなかったので、「読心能力」という単語だけをタキビは聞き取った。心を読める探偵が目的を持って、自分たちを尋ねてきた。なぜか。探偵の仕事は、失せ物探しか浮気調査と相場が決まっている。そうでしょう? とタキビは試しに心の中でダイゴウに話かけてみる。

「その通り」

 ダイゴウはうなずいた。おもしろい、とタキビは思った。

「何よりだ。そして、どちらも正解だ。行方不明が1人。依頼人は……言ってしまうが、その妻で、浮気を疑っている。どうやら前科があるらしい」

 ダイゴウはそう言って、タキビに写真を差し出した。筋肉質でスキンヘッドの男がそこには写っていた。ぎょろりと輝く大きな目と、迫力のある鷲鼻。その下から首にかけて、針金のような髭が覆っている。あまりにわかりやすい人相の悪さに、タキビは少し笑ってしまう。

「悪いですけど、見おぼえないです。グンジさんは?」

「私もさっき見せてもらいましたけど、知り合いではないですね。研究上、把握している不死者の1人ではありますけど」

「ええ?」

「ダイゴウさんと同じく、化け戻りなんですよその男。〈型崩れのキクラゲ〉。恐らくネクロさんたちの誰かがキクラゲを目撃したのでしょう。そして、ダイゴウさんはそれを読み取った。本人は捕まえられず、手がかりを求めてここに来た」

 タキビの同居人は、グンジの他にも4人いる。グンジの恋人であるネクロという男と、グンジの部下であるヒパティ、プラクタ、カットの3人組。彼らは今、挫症区湾岸にあるハイヴ屍材製作の企業墓庫にいるはずだった。寄り道をしていないならば、この家からハイヴまでの動線近くに尋ね人はいることになる。

「いや、キクラゲと目撃者がいたのは中心街の糜蘭デパートだ。方向が全く違う。客が多くて当人たちを見つけることはできなかったが、双方が互いを認識しているのを雑踏から読み取れた。目撃者は全身が束ねられた棒状の物体でできている不死者だ。……なるほど、カットというのか。女なのか?」

「肉体に性別はないですけれど、自我は女性寄りだと思いますよ」

「あの体は全部爪だったのか。凄まじいな。 通常の五感がないから、読み取るのに苦労した。キクラゲ側から読み取った情報と擦り合わせてなんとかな。……女米木生研の新製品なのか?」

「いえ、私の個人的な研究です。会社のラボは利用してますけど」

「そのカットとやらはどうしてハイヴには……ああ、なるほど、休暇なのか。確かにリラックスはしているようだったが」

 ここ最近、カットたちは、グンジの音頭の下で、ハイヴの企業墓庫を占拠している〈恐怖のキイロ〉という犯罪者を捕まえるべく奔走している。それはもう、昼となく夜となく、タキビが呆れるほどに熱中して、殺したり殺されたりを繰り広げている。いくら苦痛のない不死者とはいえ、さすがにカットたちの疲労の色は濃く、見るに堪えない状態だった。

「部下に休みを与える優しさがあったんですね」

「いえ、解くには。偶には、攻め手側の条件を変えてみようかと思っただけですね。居られても邪魔なので、休みという扱いにしました」

 照れ隠しではなく、本気の声色だった。根本的に他者への共感やリスペクトに欠いている。〈腑分けのグンジ〉。彼女も〈恐怖のキイロ〉と同じく犯罪者であることを、タキビは思い出し、うすら寒い心地になった。

「ですのでダイゴウさん。カットなら遅くまで帰ってきませんよ」

 グンジはそう言って、指紋でべたべたに汚れた丸メガネを外し、レンズに息を吹きかけ、白衣の裾で磨いた。しかし、その予想は直後に覆された。カシュカシュと床を引っ搔く独特の足音。扉が開き、カットが部屋に顔(にあたる爪)をのぞかせた。その右手(にあたる爪)に、小型の不死者が串刺しになっているのにタキビは気がついた。不死者である以上、痛みはないようで、腹を貫かれながらも爪の腕にじゃれついていた。それが「猫」と呼ばれる愛玩動物であることを、タキビは図鑑で読んで知っていた。

🐈🐈🐈

 タキビの同居人は元々ネクロだけであり、グンジとその3人の部下が加わったのは、つい最近のことだった。それでもタキビは、彼女たちのパーソナリティを既にある程度把握していた。グンジは自分本位な臆病者、ヒパティは善良で気弱、プラクタは軽薄な暇人。しかし、カットだけは何もわからなかった。

 そもそも、全身が爪でできているため、表情というものがなく言葉を交わせない。その所作も通常の人間のそれとは異なっており、感情というものが読み取れない。時折、爪を擦り合わせる不快な音をたてるのだが、脈絡を見出すことはできず、仕組みのわからない機械が突然異音を発したような恐ろしさがあった。グンジは以前、カットにも自我はあると言っていたが、あるのだとしても、それは人間と全く異なった虫のようなのものに違いないとタキビは想像していた。

 それは今も同じで、部屋に入ってきたカットは、突然全身を縦に細く延ばし、縮めた。その動作が、警戒を表すのか、驚きを表すのか、タキビにはわからなかった。そもそもその2つの想定すら、カットが室内に見知らぬ太った男がいたことに反応を見せたという前提にたったものであり、正しい保証はない。

「カットだな。ちょうどよかった」

 あんたに訊きたいことがある、とダイゴウは言った。芋虫のような指で懐から名刺を取り出すと、カットに向けて差し出す。途端にその手首から先がごろんと床に落ちた。タキビの動体視力では追えなかったが、カットが爪を振るったようだ。転がる手首を見て、串刺しの猫がまおまお鳴いた。

「随分な挨拶だな……。警戒心は解いてくれ。あんたの主に危害は加えていない」

 自分の腹の肉に邪魔されながら、ダイゴウはかがんで手首と名刺を拾い上げた。カットは全身の爪を擦り合わせ、例の不快な音をたてた。ダイゴウは右手を切断面に押し当て、くっつけようとしたようだが、それより先に前腕側から新しい手首が生えた。肥満体の探偵は舌打ちし、手首をパツパツの上着のポケットにねじ込んだ。

「俺は依頼を受けてキクラゲという男を探している。写真は……そうか、あんたは眼がないから見えないか……あー、ガタイのいいスキンヘッドの男だ。イメージできるか? あんたは糜蘭デパートで彼に会っている。その時のことをだな……」

「ちょっと、いいですか」

 グンジが口を挟んだ。

「キクラゲさんの能力について依頼者から聞いてないみたいですね。カットから視覚情報を読み取ることはできないし、まあ、気がつけなくても仕方がないですが……。でも、ダイゴウさん、キクラゲの心も読み取ったのであれば、その視点位置が随分低いことに違和感を持てたのでは」

 ダイゴウはいぶかし気に眉根を寄せた。顔面の皮が突っ張りすぎてて、その変化量は甚だ小さかった。

「俺の、知覚情報の読み取りはそれほど精度が高くないが……おい、嘘だろ。それは本当か?」

「本当です」とグンジは前髪をいじりながら言い、カットが串刺しにしている猫を指さした。猫は不快そうにるるるると唸り、グンジを威嚇した。

「それがキクラゲさんです」

 ダイゴウは疑わし気に猫を凝視した。そして、驚きを隠すように口に手を当てた。心を読んだのだ、とタキビは理解した。ダイゴウの能力は周囲の人間の心の声が無差別に聞こえてくるようなものではなく、定めた対象にのみ発揮されるらしい。カットに集中するあまり、連れの不死者の方にまでアンテナを向けることができなかったのだろう。

「ふぎぎぎ……」

 猫は、キクラゲは、唸りの音程をより攻撃的なものへと変化させた。臓腐市は不死者の街であり、細菌と一部の虫、一部の植物を除けば、生き物は存在しない。脊椎動物に至っては完全に絶滅していることが市役所によって発表されている。普段、タキビたちが口にしている肉や魚は、全て専門の業者が不死者の肉体を改造して作ったものだ。食肉業務はこの街では一般的なアルバイトであり、行方不明の男が動物に変わっていたとしてもそれほど驚くようなことではない。

 ただ、猫となると話は別だった。食用のものも一部存在するが、カットの右爪に刺さっているそれは、肉質のよさと毛並みの美しさ、何より本能に訴えかけてくる可愛らしさからして、明らかに愛玩用の動物だった。愛玩動物業ペットは門戸が狭い才能の世界、エリート中のエリートにしか務まらない職業であり、一朝一夕でなれるものではないと言う。少なくとも、写真で見たような凶悪なご面相のスキンヘッドに……これは偏見かもしれないが……勤まるとは、タキビには到底思えなかった。

 彼は例外なんですよ、とグンジが言った。

「ヒトの魂はヒトとして設定づけられており、動物の形に成型し直した人肉ならばともかく、生物種をまたいで取り憑くことは困難です。しかし〈型崩れのキクラゲ〉は、化け戻りの能力によって、自身の魂の設定づけを変更できる。魂を猫に設定することで、因果の後付けにより肉体すらも猫のものへと蘇生・回復させることができるんですね」

「よくわかりませんが、今のキクラゲさんは本物の猫ってことですか」

「はい。自我がどういう形で発現しているのかまではわかりませんが」

 なるほど、と理解したふりをしたタキビの前で、ダイゴウはカットににじり寄っていた。正確に言うと、その右手に突き刺さっているキクラゲににじり寄っていた。キクラゲはとうとう歯をむき出しにして威嚇し始め、それに同調するように、カットも自身の爪同士をぶつけてキチキチと音をたてた。

「キクラゲさん。シラギクさんはあんたのことを心配して……は、まあ、いなかったが、早く帰っていらっしゃいとおっしゃっていた。浮気をしていても構わないとも、だ。実際、浮気かは知らないが、そのカットとやらといちゃついていたみたいだが……」

 ぎゃおぎゃお!、と猫の鳴き声。

「いや、言い方が悪かった。謝る。そんなつもりはない。ともかくこれ以上彼女を待たせると、また面倒なことになる。あんたもあそこの私兵連中に追い回されるのは嫌だろう。俺が来ている内に言うことを聞いてく」

 れ、と口にする前に、その肥満体が正中線で分割され、左右に割れた。カットの室内を巻き込んだ斬撃は、壁面のラジオの山も縦に両断した。加減を知らないその攻撃に慌てて止めに入ろうとしたタキビだったが、その視界横一直線に黒い筋が入った。一瞬後、視界が暗転し、目から上が頭部から滑り落ちる気色の悪い感触が走った。カットに切られたのだ、とタキビは遅れて理解した。

 脳が零れ落ちないように気をつけながら、落ちた部位を拾い上げ、切断面にあてがう。回復を終えると、カットは既に部屋から消えていた。キクラゲさんを連れて逃げてしまいましたよ、とグンジが興味なさそうに言った。

🐈🐈🐈

 起き上がった後のダイゴウの判断は素早かった。後で礼をする、の一言で、タキビの反応を待つことなくその手を引いて部屋から飛び出した。削岩機のような轟音を立てながら、肥満体に似合わない回転速度で足を繰り出し、車よりも速く駆けてゆく。高速度×高質量のステップによって、足元の舗装はいともたやすく剥がれ飛び、通りにはその走行経路が刻み込まれた。明らかにナチュラルな人体の性能ではない。

 手を引かれるタキビも無事には済まなかった。足は地につくことなく、旗のように空中で体がはためく。ゴキリ、という嫌な音と共に、肩の関節が外れた。タキビに苦痛はないが、それでもモノのように取り扱われるのは気分が悪い。ダイゴウはその感情を読み取ったらしく、「すまん」と呟き、紐をたぐるようにタキビを持ち上げ、背中に背負った。

「連れてくるならグンジさんの方がよかったんじゃないですか?」

 タキビの問いにダイゴウは何かしら返答したようだったが、走行の轟音で聞こえなかった。ダイゴウはその思考も読んだらしく、声を張り上げて再度答える。

「あの女には全く協力する気がなかった! カットは奴の分割魂バックアップだ! 命令1つで静止できるはずなのにそれをしなかった!」

「でも、私を連れてきたところであんな化物どうしようもない……」

「俺も戦闘はできる方だが、彼女には到底勝てる気がしない! だがあんたなら説得ができるかもしれない! カットはあんたのことを好いている!」

 好いている?

 思いもしなかった言葉に、タキビの思考は一瞬停止した。好き嫌いという人間的な尺度は、タキビのイメージするカット像に当てはまるものではなく、歯車がうまくかみ合わなかった。タキビの中のカットは、見えない仕組みに従って動くだけの機械や昆虫のような存在だった。

「そんなことはない! 彼女の自我にはしっかりとした意思がある! あのグンジという狂人よりも、はるかにきちんと思考をしている! 主のグンジへは感謝と敬愛を持ち、その不健康な生き方に対して強く心配をしていたし、理由は知らんがプラクタという同僚のことは嫌っていた!」

 信じられなかった。爪を擦り合わせる音、爪を叩き合わせる仕草、急に伸び縮みする身長。あの脈絡なく見えた行動は全て人間的な感情の現れだったのだろうか? 彼女のそれが理解できないランダムなものに見えたのは、単に彼女が「口下手」だったからなのか?

「でも、私には彼女から好かれる理由がありません」

「そこまでは読み取れなかった! 好意の種類としては、尊敬に類似するものだ! 気になるなら本人に尋ねてみればいい! 俺が通訳してやる!」

 尊敬。やはり嬉しさよりも困惑の方がタキビの中では勝った。そして、少しの罪悪感もある。彼女の内心を埒外の怪物のそれと決めつけ、理解を放棄していた自分は、果たしてカットに尊敬されるような人物なのだろうか。タキビの煩悶をダイゴウは読み取ったはずだが、言葉がかけられることはなかった。

 舗装をめくりながら、タキビを乗せた探偵は迷いなく通りを突き進んでゆく。恐らく一定範囲内の市民の思考を片端から読み、カットの現在位置をマッピングしているのだろう。デパートので追跡に失敗したのは人間の密度が高くノイズが多すぎたからだろうか、とタキビは推測した。やがてダイゴウは小さな公園の前で足を止めた。園内は入口から全て見通すことができ、小さな花時計の前でカットが待ち構えているのがわかった。

「その猫をこちらに渡すんだ」

 返答はなく、代わりにダイゴウの右腕が吹き飛んだ。爪の槍。これ以上、近づくなという警告だろう。10m以上の距離があるにも関わらず、その攻撃はやはりタキビの目では全く追うことができなかった。

「カットさん、私からもお願い」

 タキビは意を決して話しかけた。カットはその声に反応し、爪を持ち上げ、降ろし、地面に向けたままこすりあわせた。その動作は、先ほど自分の顔面をまっぷたつにしたことの気まずさの現れのように思えた。勝手な想像かもしれないが……。

「いや、合っている」

 ダイゴウの言葉に背を押され、タキビは1歩前に出た。斬撃は飛んでこず、代わりにカットは全身をよじり、きしませた。どうすればいいかわからず困っているのだとタキビは思った。

「その猫はキクラゲさんと言って、私たちと同じ不死者なの。今はそんな形をしているけれど、本当は人間で、家族もいる。家族は彼のことを探してて、とても心配してる」
 
 心配はしていなかったがな、とぼそりと呟くダイゴウをタキビは睨んで黙らせ、さらに1歩近づいた。

「カットさんはどうしてその子を連れて逃げたの」

 顔と思しき位置の爪の束が膨れ、縮み、右腕がほどけて再びよりあわさる。爪同士が擦り合され、ぶつかりあって、複雑な音をたてる。

「『かわいい』、『手放したくない』、『この子も帰りたくないって言ってる』、カットはそう考えている」

「でも、彼を待っている家族のことも考えてあげなきゃ。ダイゴウさんから聞いたけど、あなたは私のことを好いてくれてるんでしょ? だったら、私の言葉も聞き入れて欲しいな」
 
「『タキビのことは尊敬してる』、『誰相手でも自分の意見を言えるところがかっこいい』、『私はネクロのことがちょっと怖い』、『だからタキビは凄いと思う』」

「……そう」

 そうなのか、とタキビは感じ入った。自分ではただ口が悪いだけだと思っていたことが、他人には、少なくともカットにはそう映っていたのかと驚いた。

「だったらカットさんにも言うけれど、ペットを飼いたいならちゃんと自分で買わないと。グンジさんからお給金も出てるんでしょ? キクラゲさんはプロじゃないし、よくないよ」

「『でも、私はこの子がいい』、『タキビなら味方してくれると思ったのに』……まずいな、ムキになっている。このままだとまた逃げられる」

「カットさん!」

 きしきしきし、と爪が3度擦り合わされた。それが追い詰められた人間が、唇を強く噛んで顔を上げる所作にタキビには見えた。まずい。攻撃が来る。そうなってしまえば、もう自分には彼女を止めることはできない……。

「それはよくないな、爪のお嬢さん」

 場に割り込んだ聞き覚えのない声に、タキビを含めその場の全員が凍りついた。声がしたのは、カットの右手側、猫のキクラゲが串刺しになっていた位置だった。ただ、そこにはあの可愛らしい猫はおらず、むくつけきスキンヘッドの男が裸で立っていた。悲鳴の代わりにカットはびょんと細く伸び、爪を男の腹から引き抜いて怯えたように飛び離れた。

「妻は恐ろしい。家には正直帰りたくないが、君たちが争うことは望むところではない。爪のお嬢さん、そちらのタキビさんの言っていることは正論だ。僕のために君が我を通すことはない。短い間だが楽しかったよ。……ダイゴウくん」

 自分の名を呼ばれ、夢から覚めたように、ダイゴウは、は! と応じた。

「迷惑をかけてしまったな。すまない。妻は怒っていただろうか」

「シラギクさんなら笑っていましたよ」

「そちらの方がよほど恐ろしい。やれやれ、気が滅入るな……」

 キクラゲはタキビたちに向けて一礼すると、何やらぶつくさ言いながら、最早全く猫の姿の余韻がない生まれたままの姿で公園を出て行った。ダイゴウは「礼はまた今度、必ず」とだけタキビに言い残し、その後を小走りでついていった。

 園内に取り残されたタキビとカットは、しばらく呆気にとられていたが、やがて、こらえ切れずふきだした。タキビは笑っていた。カットも笑っていた。声もせず、所作も自分のものとは全く異なっていたが、笑っているに違いないと、タキビは思った。

🐈🐈🐈

『くだらねぇなれそめばなしだ。時間をむだにした』

 最早慣れっこになったアイサの悪態を無視して、タキビは自販機で買ったグレープジュースをカットに手渡した。糜蘭デパートの地下食料売り場。買い出しを終えた3人は、その端にあるフードコートで小休止をとっていた。カットは糖分の強い飲み物を好む。食道以下、内臓を持たない彼女はジュースを飲むことはできないが、爪の先端に浸し、そのねたつきを楽しむ。タキビもそれは把握しており、何が欲しいかは尋ねなかった。

 しつこくぶうたれているアイサをなだめながら絶叫と断末魔がこだまする買い物客の雑踏をぼんやり眺めていると、見覚えのある肥満体の人影が見えた。タキビがその名前を呼ぶと、ダイゴウはその皮がつっぱったような顔面をより一層ひきつらせ、気さくに手を上げて応じた。

「なんだどうした、こんなところで」

「そちらこそ。お仕事中ですか?」

「いや、今日はオフだ。そういえばサザンカから聞いたぞ。あの家を出たんだってな。妹がついに独立したんだと嬉しそうにしていた。……〈人型のタキビ〉か。いい名前だな。あけすけであんたらしい」

「褒めてるんですか、それ」

「もちろんだ」

「…………!!………!」

 行儀よく座っていたカットが、紙コップの縁をいきなり剃り落とし、右手と左手の爪を擦り合わせた。タキビはそれを聞いて、こらえきれずに笑った。ダイゴウはそれを見て、不思議そうに眼を丸くした。

「いきなりなんだ。カットは何と言っている」

「ダイゴウさんなら、わかるでしょう?」

「いや、読み逃した」

 心なんて読むまでもなく、カットが何を言いたいかなんてわかるだろうに。タキビはそう口にしかけ、先ほどまで自分が話していた「なれそめばなし」のことを思い出し、口角を上げた。『なんだ、にやにやしやがって』と、アイサが不愉快そうに呟いた。


【necro1:キャットナップカット】終わり


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