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NECRO2136:指切りげんまん(2)

【ネクロ13:あらすじ】
・不死者の暮らす街、臓腐市で、主人公ネクロが無茶苦茶する。

【ネクロ13:登場人物紹介】
ネクロ:死なずのネクロ。自分勝手な乱暴者。
ヒブクレ:鶏頭のヒブクレ。モヒカン。
ハンザキ:早仕舞いのハンザキ。大食い自慢。
マナコ:ACHE企画制作部チーフ。今年は大吉。
ユビキ:ネクロの恋人。人見知り。
グンジ:ネクロの恋人。ひどく怖がり。
アイサ:ネクロの恋人。幼稚。
バレエ:ネクロの恋人。涙もろい。
その他のネクロの恋人たち:サザンカ、タマムシなど。

(1)より


■23:11 /// 腎痛じんつう垢庫あかご 居酒屋「へびの緒」■

「だからさぁ、やっぱ問題なのは縦割りなんだって。市役所の連中はアレが趣味なんだから勝手にすればいいわけで、私たちがそのロールプレイ真似る意味なんてないじゃん。もう入社して1,000年とか2,000年とか経つわけでしょ? そんなの絶対、自分の縄張りだけでうろちょろやって済ます年数じゃないっつーの」

 同期のヒカルは酒癖が悪い。酔いに任せて出るのは大抵、誰かの陰口か会社への不満で、よくもまあ、何千年も種が尽きないものだとチームの皆からは呆れられている。それでいて嫌われないのは、彼女の愚痴に悪意がないからだろう。鴨居に頭をぶっつけて「くそっ!」と叫んでいるだけのような、そんな憎めなさがある。

「要はあのおっさんたち、まだ生きてた頃に縛られてんのよ、頭が。ねえ、知ってる!? この前の打ち合わせ! 知ってるよね、マナコも出てたもんね!」

「時間外もうちょっと減らしましょうってのでしょ。総務の」

 今月は例の大食いイベントの準備で忙しかったもんなあと、マナコはねたつくテーブルに頬杖をつく。ストマック・デッド・エンド。ACHE企画が関わるイベントとしては、珍しく苦痛提供に関係しないものであり、そういう意味でも目新しくてよかった。できれば今日も現地に行っておきたかったのだけど……勤め人にはしがらみが多い。それは決して悪い意味ではなく、大量の時間を潰せてありがたいという意味だけど。

「そう! 効率化とか生産性向上とか、このアンデッドの時代に何言ってんですかって話なわけじゃん。何のために働いてんだって」

「やりがいと暇つぶし」

 そうでしょう!? と、ヒカルが身を乗り出し、テーブルに腹をぶつけてうめいた。その衝撃で皿から転げ落ちた肉ソラマメが、ジョッキの底にぶつかった。つまんで食べる。血の味がする。

「給料目当てで働いてる奴が何人いるってのよ。お金なんて別になくてもいいわけだし。要は、どれだけ仕事をめんどくさく複雑にして、時間をかけてやるかの勝負のわけじゃん。永遠にある時間を、どう消費するか。これよ。だからルーチンの組めない、手間のかかる事とかさ、あえてばんばんやってさ……」

「私は、最近、給料目当てでもあるけどね」

「えっ、なにそれ。手術でもすんの?」

「ちょっとね。……あ、ヒカル、横」

 縛り上げておいた店員が、いつの間にか抜け出したらしい。すんませんすんませんと謝りながら、ヒカルの肩にフォークを突きたててきた。全身を機械化しているヒカルには、当然、刺さらず、フォークの方が折れ曲がる。ヒカルは、ため息を1つ落とすと、眼からビームを放ち店員の胴に大穴を開けた。

「すんませーん! 体が言うこときかなくてぇ!」

 臓腑を床にぶちまけながら、店員が申し訳なさそうに声を上げた。

「なんなら、ミンチにしてくれちゃっていいスよ! 俺、起き上がりだけど回復すんのあんま速くないんで! 1晩は死体のままで大人しくなるんで!」

「どうする?」「言葉に甘えちゃおう」と、ヒカルと話す。とは言ってもマナコにできることは何もなく、肉ソラマメをつまんで待つのみ。暴力沙汰は同期の方の専門だ。ヒカルは両腕の格納ブレードを削岩機のように展開し、耳障りな音をたてながら店員の肉体を削り落とし始めた。

 〈腑分けのグンジ〉の放送が切れてすぐ、店内は阿鼻叫喚の地獄となった。女米木めめぎ生研製の屍材使用者が、肉体を操作されて一斉に殺し合いを始めたのだ。女米木の製品を身に着けていない人間は、どうやらマナコとヒカルの2人だけだったらしく、体の自由が利く2人が場をおさめる(皆殺しにする、の意)必要があった。

 全身機械のヒカルはともかく、マナコが〈腑分けのグンジ〉の操作を免れたのは偶然だった。業務上で〈魔女〉と個人契約を結んだ時、「女米木製の屍材を身に着けない」という条件があり、経費で総入れ替えしたのだ。〈魔女〉は女米木と仲が悪いのかと思ったが、聞くところによると契約の条件は完全にランダムで、たまに変なものが紛れ込むらしい。

「あ~、疲れた! 燃料消費したぁ!」

 店員を挽き終えたヒカルは、肉と脂が絡みついた両腕をこすりあわせ、席に腰を下ろした。大皿に残っていた膜餃子の油びたしと焦げ巻き蟋蟀を口に放り込み、アルコールで胃の中に流し込む。追加注文をしようと声をあげ、オーダーを受ける相手がいないことに気がつき、ふてくされたようにつっぷす。忙しい奴、とマナコは笑う。

「どうする、店変える?」

「変えたところで、今夜はどこも暴徒だらけでしょ。〈死なずのネクロ〉がここにまわってくるまでチンタラしてようよ。〈指忌ゆびき町のユビキ〉を退治してくれるのはありがたいけどさぁ、何も、飲みの日にやんなくていいじゃんねぇ」

「無茶苦茶言ってるね」

「私、酔っ払いだもんね~。ああ、そう思うと腹立ってきた。大人しくとりこまれる筋合いもないし、ちょっとくらい抵抗してやろうかな」

 くだを巻く同期を放っておいて、マナコは席を立った。長丁場をするなら、まだまだ酒とつまみが必要だ。キッチンをのぞき込むと殺し合いによってぐちゃぐちゃに汚損しており、残念ながら食べられる状態のつまみはなかった。ただ、酒に関してはサーバーが壊れず残っていたので、ありがたく頂戴できた。

「ほら、追加だよ」

 音をたててテーブルにピッチャーを置くと、ヒカルが、うぃ~と、歓声だか寝言だかわからない声をあげた。ジョッキに注ぎ、カツンと打ち合わせる。

「で、マナコ、さっきの話、なんなの」

「さっきの話?」

「給料目当てで働いてるって」

 ああ、とマナコは頷く。「人探しをね、ちょっとしたくて。探偵とかにね、依頼をね」

「そんなん、10年くらい有給とって、市内をしらみつぶしに尋ね回ればいいじゃん。お金なんてなくても別に」

「それも考えたけど、今は抱えてる仕事も多いし、あんまり離れたくなくてさ。大したことじゃないから、間をあけると忘れそうな気もするし」

「なんなの。やっぱ男なの。恋人なの。うわ~」

「男だけど、恋人じゃないなあ。兄貴だよ。そういえばそんなのいたなあって」

 誰もがもう記憶の果てに追いやっている、「生きていた頃」。自分には両親がいて、あと、兄もいたはずだった。臓腐ぞうふ市が臓腐市になり、市民が突然死ななくなった大昔のどたばたの中ではぐれてしまい、それっきりだった。思い出せたのは夢に見たからだ。時期的に犯罪者たちが〈死なずのネクロ〉から解放された頃だから、たぶん〈夢の中のハヤシ〉の影響ではないかとマナコは考えている。実際、彼女がネクロの手を逃れ、魂のレイヤーに根を張って以降、妙に鮮明な夢を見る市民や、生前の出来事を思い出す市民が増えたらしい。ラジオニュースでやっていた。

「家族なあ。わかんないなあ。そういう感覚、忘れちゃったよ、私は」

 自嘲気味にヒカルは言い、おしぼりでへなへなの鶴を折り始めた。

「なんでも自分、自分でさあ。だって、人なんてもう、何しても傷つかないし、死なないし、そんな気をはらう必要がなくっちゃたよう。……あ~!もう、私、だめだ! 完全にアンデッド! サイボーグ! 愛がないよぅ……。家族愛とかねえ、恋愛とかねえ……」

 いや、そんなものは私もないけどね、とマナコは言ったが、酔っ払いの耳にはどうやら届いていないようで、ヒカルは、愛、愛、と呟き続けていた。これは長期戦になりそうだ、とマナコは笑い、覚悟を決めた。とことん付き合ってやろうじゃないか。〈死なずのネクロ〉に踏みつぶされるまでだけど。


■0:37 /// 東妃髄ひがしひずい粗岩あらいわ 粗岩通り■

 愛、愛、友愛、家族愛、博愛。バレエにとって、それは激しく燃え上がるものではなく、最初からそこに在るように、静かに染みわたるものだった。世間一般の定義と比べ、そして、おそらく自分の恋人でもあるネクロの定義と比べても、自分の愛は、どこか異なっていて、そう、たとえば、独占欲や嫉妬というものが関係しなかったし、「あの人を我慢できない」という必死さを伴うものでもなかった。そこに誰かがいることを、慈しみ、嬉しむだけのもの。愛、愛、友愛、家族愛、博愛。そして、それは、おそらく恋愛ではない。自分は、恋する才能がない。

 なぜなら、「特別」がない。この街に暮らす全てのヒトが等しく愛おしくてたまらない。生きて動いているというだけで、自分にとっては「特別」な存在になるから……バレエはそう自己分析していた。〈生命いのちのバレエ〉。その名前は嫌いだ。自分は、ヒト以外の全ての動物を無尽蔵に産み落とすことができる。ただし、肉体だけだった。塗装前のプラモデルのように真っ白な動物の死体たち。腐敗の進行を操作し熱を持たせても、それらは凍えるほどに冷たく、その山の中で眠っていると涙がこぼれそうになる。

 だからバレエは、他人が好きだ。触れ合い、抱きしめたくなる。不死者を指して「死んでいる」と修辞する風潮がこの街にはあるようだけど、バレエはそれに肯けなかった。彼ら彼女らは生きている。ずっと立派に生きている。死体にはない暖かさ。それは、嬉しいことだ。幸せそのものだ。今、地上で踏みつぶされペースト上になったあの男性も、ビルの炎上に巻き込まれ手足をつづめて焼け焦げていくあの女性も、そして何より、自分がこうして肩をあずけている、この大きな大きな恋人も、バレエは等しく愛している。

 ボウ、ボウ、ボウ。

『満足したか、ですって』

「……うん、ありがとう、ネクロ」

 サザンカ伝いに聞いたネクロの言葉に、バレエはしゃんと背筋を伸ばした。ネクロは、バレエを肩にのせたまま黙々と通りを歩き回り、目についた全てをなぎ倒し、踏みつぶし、ひっくり返していた。足にぶつかった市バスを拾い上げ、絞り出した乗客たちの肉を飲み込む。ビルの屋上でこちらに向けて手を振っている会社員の群れを、掬い上げ、握りつぶして体に擦りつける。

『念のために確認しておくけれど、バレエは私たちを手伝いに来てくれたってことでいいのよね?』

「うん。手伝う。ユビキはあのままじゃかわいそうだ。ネクロが殺してあげないと」

『助かるわ……。とにかく人手が足りなくてね。グンジの遠肉操伝でかなり補助はしてるんだけれど、それでも市民の回収だけは手作業にせざるをえないから。長引かせすぎると、今は静観している市役所や他の娘たちも方針を変えるかもしれないし、そもそも、ネクロがもたない』

 暴れまわる恋人の肉を、バレエは優しく撫でた。暖かいを通り越し、燃えるような熱を持っている。化け戻りとしての本来の定義を外れ、力任せの迎え入れを繰り返した結果、ボディと魂の関係性が壊れてきているのだろう。ネクロは、「ネクロ」として破綻しようとしており、その輪郭は、既にヒトのものではない。ああ、今、彼の自我はどれほどの地獄の中にいるのか。それでも彼はユビキのためにこの無茶をやめはしないだろう。

『ユビキは、そうね、できれば朝までには殺したい』

「……たとえばなんだけど、てっとり早い方法として私が産んだ動物にグンジさんの魂を取り憑かせたらダメなのかな。臓腐市民全員あわせたよりもたくさんの肉を、10分あれば産めるけど」

『その案は私たちも一度考えたんだけど、ヒトの魂をヒト以外のボディに憑依させることはとても難しいんですって。改造を施した不死者の肉体同士と比べたら、ヒトと動物の差異なんて大してないように思えるけど……そういう物質的な問題ではなく、魂のレイヤー上での問題らしいわ。「設定」の変更はできない、とか』

 そう、とバレエはうつむいた。もしかして、本当に〈生命のバレエ〉になれるのではと少し期待していたが、残念だった。

『だから、バレエ、あなたには市民の追い込みをお願いして欲しいのよ。ネクロが拾いやすいように1カ所にかためておいて。あなたの能力規模なら可能でしょう?』

「わかった」バレエは自分の頬を叩き、頷いた。「やるなら面積の大きい西妃髄にしひずい区と腎痛じんつう区が優先かな」

『お願い。あと、アイサが来ているわ。気をつけて』

「知ってる。会えたらいいな」

『あなた、本当に人がいいわよね……』

 まだネクロの体温を感じていたかったが、その気持ちを振り切り、バレエは飛び立った。キリンの首を継いで骨とし、ネコの皮を張って創った羽根を羽ばたかせ、臓腐市の空をゆく。挫症ざしょう区、臓腐区、東妃髄ひがしひずい区と、ネクロが侵攻した東部沿岸沿いの地域は、ただれたように燃え盛り、夜の闇に赤々と傷口を開けている。一方で、山側に位置する腎痛区や妃髄ひずい区、西部に位置する西妃髄区と南妃髄みなみひずい区は、未だ手つかずで、整然と都市の光を並べ、虐殺の順を待っている。

「とりあえずはここから……」

 バレエが到着したのは、西妃髄区の西端、つまりは臓腐市と外を仕切る境界線の上空だった。彼女は辺りを見回すと、少し顔を赤らめ、フン、と「きばった」。途端、羽根を形作っていたキリンの首から、新たな首が生え、新たなが首が生え、新たなが首が生え、境界線上をたどるように肉の格子を創り始めた。みるみる内に拡大してゆく肉の格子の速度は、明らかに物理法則を無視したものであり、まるで空間を裂き広げるように、バレエが定めた関数を実行していった。

「こんなものかな」

 肉の格子が、市の西端沿いを埋め尽くす巨大な壁を形作るまでさほど時間はかからなかった。バレエが想像しているのは桶だった。周囲を壁で囲み、1方向から水を流し込む。水に押し流されて、桶の中のものは、流れの逆側に集まる。ただし、流すのは水ではない。肉だ。堰を切ったように、格子の壁全面から肉の雪崩が噴き出した。クジラとカバとイヌとイワシ。固形物を限られた空間に隙間なく詰めるときは、粒の大きさは一定でない方がいい。
 
 噴き出した直後は真っ白だった屍骸の津波は、その自重で互いを潰し、破裂させ、かき混ざり、次第に赤の分量を増やしてゆく。血みどろのうねりは森を飲み、川を埋め、町に辿り着く。圧倒的な体積の衝突により、ビルが根元から傾ぎ、噴きつける肉と汁をその内部につめてゆく。グンジの操作により殺し合いを続けていた市民たちは、自分たちにふりかかった巨大すぎる暴力に気がつく間もなく、殺意ごと潰れ、押し流される。

 桶の縁の上で、バレエはしばらくその様子を眺めていたが、問題がなさそうだとわかると、椅子を創り、腰を下ろして目を閉じた。無数に重なり合った肉が潰れる音は、はるか上空であるここまで届いていた。冷たい屍骸の雪崩と、暖かな市民の肉塊。互いが触れ合うその部分の温度のことを考えながら、バレエはやさしく鼻歌を歌った。


■2:52 /// 腫羊しゅよう視婆しば町 女米木生研本社前■

 はるか上空から風切り音が届いたのは、アイサとタマムシが地面に激突し、巨大なクレーターを掘った数秒後のことだった。垂直に吹きつける暴風とわずかに消え残った血雨を浴びながら、アイサは立ち上がり、よろめいた。鉄でできた肉体が湿り、炭の塊が剥がれ落ちる。音速を越える落下の中で、焼け焦げ、こびりついたタマムシの肉片だった。

「くそっ……」

 体が不自然に軽く、うまくバランスがとれなかった。巨大な鉄の円盤が腹の中で音をたてて回転しているイメージを思い浮かべ、魂のレイヤー内に折りたたまれている肉体の1部を実際にそのように駆動させる。肉体への物理的な連動はなく、ただの気休めに過ぎないが、それでも体幹は安定した。

 指を閉じ、開き、背に排気口を作り熱を吐く。にくの多くは失われたが、まだ機能は幾つも生きていた。回復を待ってもいいが、アイサのそれは人より時間がかかる。バレエは厳しいかもしれないが、ユビキやネクロをいじめるには今の状態でも充分だろう。2人はどこだ? レンズのピントを合わせるように自我を調整し、意識を波に乗せて周辺を「聞く」。腫羊区。視婆町。市役所のクソ共が作った人工島。目の前にあるふざけた建物は女米木の本社か……。

「8割くらいは削れたかな?」

 拾ったのは、余所余所しく乾いた、よく通る声。それはなんの脈絡もなく、フ、と前方に出現した。思考が追いつくよりも先に、全身からミサイルを生やし発射する。誰よりも早い敵意と悪意の発露。それを受け、声の主は……復活したタマムシは、汚れ1つない黒スーツからハンカチを1枚引き抜いた。端を食み、唾液で湿らせているのだとアイサは気がついた。唾液もしばらくは奴の肉体の一部ということか。ならば。

 はためくハンカチの軌道に沿って、空間それ自体が捻じ曲がった。タマムシめがけて一直線に引かれた弾道は、直線という概念それ自体を歪めるように、軌道を逸らした。当たらない。既にそれを知っていたアイサは、いち早く間合いを詰めていた。タマムシが能力を発現するよりも前に、顔面を殴り抜く。鋼鉄をも打ち抜けるアイサの拳によって、タマムシの顔面はいとも簡単にはじけ飛び……直後。

「残念でした」

 はじけ飛んだはずの顔面から、まるで最初から無事だったかのようにタマムシは舌を出していた。しかし、そうなることもアイサはわかっていた。「巻き戻った」タマムシのつむじに掌を添え、その体を縦に押し潰す。手足の生えた赤い水たまりとなったタマムシは、だらしなく地面に広がり、そして、汚れ1つないスーツ姿のまま、五体満足で手を振った。

 アイサは、低い姿勢から上振れ気味にタマムシを蹴り払った。鉄の爪先に引っ掛けられたタマムシの首はちぎれ飛び、地面を1度バウンドすると、何事もなくその肩の上に戻った。質量のない液体を掬おうとしているような手応えのなさだった。暴力の応酬を求めるアイサにとって、これほど不快なことはない。傷つけても傷つけても、それがなかったことになる。元の木阿弥の、うやむやになる。

 その苛立ちをすり抜けるように、タマムシの細長い指が伸び、アイサの肌に触れる。しまったと思うよりも早く、全身が裏返るようなしびれが走り、自分の肉である兵器が地面に零れ落ちた。爆風。遅れて、爆音。逸れたミサイルがどこかに当たったか。そちらに気をやった一瞬の内に、零れた肉は「早送られ」、跡形もなく消えていた。

「……てめえ、いいかげんにしろよ。何度、私に殺されたよ」

 一層軽くなった肉体を軋ませ、アイサはタマムシを睨みつけた。

「100度は越えてるよね」

「わかってんじゃんか、ゴミクズ。しつこいって言ってんだよ」

「永遠っていいよね。いつまでもしつこくできる。成功するまで何度でもやり直せる」

 やり直すにしても度が過ぎる、とアイサは舌打ちした。死体に魂が憑いているという矛盾を解消するために、物理レイヤーにおける因果が逆転し、魂が憑いていてもおかしくない状態にまで死体が回復・蘇生する。タマムシはただの起き上がりであり、その手順にも特異性はない。異常なのは、その自由度と拡張性だった。基本の手札はそのままに、彼女はそれを自在に操作することができた。

 蘇生までのタイムラグを限りなくゼロに近づけることができた。因果を正転させることができた。ありうる死を選択し、自身のボディに任意の「果」をもたらすことができた。その「果」から逆算される無数の「因」に立ち戻ることができた。自身の肉体だけでなく、その周囲も巻き込んで起き上がることで、現象を「巻き戻し」「早送る」ことができた。水を冷やして凍らせ、熱して蒸気にするように、時間軸上を好き放題往復し、その様相を変えてゆく。

 〈様変わりのタマムシ〉が本気で粘った時、あらゆるくじは当たりくじになる。それはアイサも理解していた。もしタマムシが「アイサを引き留める」ことを望んでいるならば、抵抗しても無駄だろう。だが気に食わない。無抵抗は御免だ。応酬が欲しい。やりとりが欲しい。手ごたえが……欲しい。それが得られない相手であるとわかっていても、やらずにはいられないのがアイサだった。悪意と敵意に、今更手綱をつけることができるものか。

 町を無為に破壊しながら、アイサは暴れ続けた。タマムシは幾度となく殺される中で、時折、アイサの肌に触れ、その兵装を剥していった。霧を殴るような意味のないやりとりは、しばらく続き、タマムシの突然の消失によって何の説明もなく途絶えた。虚をつかれたアイサは、一瞬、動揺したが、すぐにタマムシが目的を果たし、逃げたのだと理解した。

「限度というものがある」と、シュアンとかいう課長は言っていた。言い換えれば、「限度を守るなら、好きにしろ」ということだ。災振部は、市民たちの生活を刺激する程よい災害を望んでいる。自分はこの騒動の盛り上げ役に選ばれたのだ。臓腐市を消し炭にするような極端に危険な兵器を取り上げられた上で、「程よい」虐殺を引き起こす怪獣役として開放されたのだ。

「……なめやがって」

 悔しい。怒りで脳を焼きながら、しかし、アイサは愉快だった。タマムシは、とびきり大きなパスをこちらに渡してくれた。自分の敵意と悪意は、最早、制御不能なほどに肥大して、自分自身に返ってきた。

「なめやがって! なめやがって! なめやがって!」

 今は万全ではない。肉体も1割も残っていない。バレエどころか、ユビキやネクロすらも満足に嬲れないかもしれない。しかし、構わなかった。この世は、応酬。八つ当たりもその1つ。この膨れ上がった爆弾を投げ渡すことができるならばそれでいい。アイサは、駄々をこねるように焼野原となった町を蹴り、ネクロ目がけて飛び立った。愛する人が顔をしかめる、その瞬間を夢見ながら。


(3)へ続く