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【忍殺第1部再読】「パンチキ・ハイウェイ・バーンナウト」感想

静かに乾き沈むもの

 物理書籍限定収録エピソード。巨大ハイウェイ高架下の朽ちたマンション。そこに住み着いた救いのないヨタモノめいた人間たち。あまりにも脈絡なく、何かしらの比喩めいて物語に登場するネオサイタマの死神。印象的に繰り返される「半額シール」のガジェット。そして、示唆的に倒壊するグローリアス・フジサン。物語の構成要素の多くが荒廃した静けさを帯びており、それらを取り扱う手つきがどこが古典文学作品めいている一編。ただし、ニンジャスレイヤーとスマッグラーのチェイスがどこまでも痛快に描かれているのは、この小説がニンジャカラテアクション小説であることの証明でもあるでしょう。閉塞感に満ちたエピソード進行の中で、2人のニンジャのイクサがもたらす激しい熱と、コミックキャラクターめいたカワイイを放つモナコの言動が、網膜に焼きつきます。

 しかし、物理書籍第2巻、改めてラインナップを眺めてみると、めちゃくちゃ尖ってますね。1編目がこの「パンチキ・ハイウェイ・バーンナウト」で、その後に「チャブドメイン・カーネイジ」、「ユーレイ・ダンシング・オン・コンクリート・ハカバ」と続くの、凄すぎませんか。なんだこのつらく、沈み込むようなモータル重視のラインナップは。しぶすぎる。第1巻は、第1巻なこともあって、やはり華やかな選出がされていたのだと痛感します。ニンジャエンターテイメントの決定版として組まれており、悲劇的な話ですらもオハギのようにあくまでニンジャメインの話でした。第2巻ではその華やかさの裏にある、モータルとネオサイタマの殺風景が重点されているように感じます。最終決戦で燃え上がるための、乾いた焚き木が物語の炉の横に積まれていっている。表紙が同じフジキドなのに、落ち着いた寒色をバックに背負っているのが、らしい、です。コントラストができている。

不公平な山分け、公平な半額

「俺が99。貴様らは残りの1を山分けしろ。カネが無くなったらまた帰ってくるからな」スマッグラーは下劣なる本性をあらわにした。「そんな!半分の約束だったのに!」スズキが悔しさのあまり転がって泣く!

『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上2』p.27、「パンチキ・ハイウェイ・バーンナウト」より

 それにしても第1部ネオサイタマの何と過酷なことでしょう。モータルはニンジャに搾取され、戯れに殺され、侮辱される。その絶対的な壁は、正気のままでいては絶対に越えられないものであり、また、戯画化された日本の風土、そして忌まわしく絡みつく湿った生活が彼らに決してフリークアウトを許さない。どこまでも正気のままに、歯を食いしばって苦しみ続けるだけの生活、そしてその果ての無為の死。ニンジャにふりかかる『ニンジャスレイヤー』という災害すらも、痛快なインガオホーなどではなく、モータルの身にふりかかる「どうしようものなさ」と同じように、空虚に決まり切っている。縛りつけられ、朦朧とした意識の中で主人公ナボリが眺めた、スマッグラー一味の内輪もめの、飛び込んでくる赤黒の死神の姿の、なんとくだらなく、どうでもよく、むなしいことか。

 頭蓋骨が内側からジャッキで開かれていくような感覚。両鼻から血が垂れる。ジャコォーン! ジャコォーン! 背後の大型違法プリンターからは「お得な今!」と書かれた半額シールが大量に刷り出された。

『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上2』p.26、「パンチキ・ハイウェイ・バーンナウト」より

 「俺が99。貴様らは残りの1」、突きつけられ続けるあまりにも不公平な比率に対し、抵抗めいて吐き出される「半額シール」。しかし、それすらもナボリの意思によるものではななく、サンシタ共のくだらない内輪揉め、なんの意味もない抵抗の比喩として飲み込まれてゆくのです。モータルはニンジャに叶わない。定まったルールに対して、自らが始めたレジスタンスでもないというのに、ナボリには失明というあまりにも重すぎる抵抗が返ってくる。それをもたらしたヨタモノたちへのインガオホーも、ナボリとは何の関係もない、狂った復讐鬼の行動として自動的に実行される。ここに、ナボリの意思がもたらしたものは何もありません。『ニンジャスレイヤー』において、抵抗とは物理現象であり、そこに込められたドラマは全て、解釈であり、装飾にすぎない。そしてこのエピソードが何よりも残酷だと思うのが、ナボリが、彼なりに振り上げた怒りの拳が、何も打ちすえることができなかったことはおろか、誰からも殴り返されなかったという点です。彼という因は、ことごとくに無視されている。自らの行動が、カラテが、悪果すらももたらさないという虚無。

そしてトレーラーがグローリアス・フジサンの真上に差し掛かったとき……ついにこの老朽マンションを支えていた骨組みは、限界を超えてしまった。

『ニンジャスレイヤー ネオサイタマ炎上2』p.37、「パンチキ・ハイウェイ・バーンナウト」より

 彼らの生活の全ては、身分不相応な克己の代償でも、ニンジャがもたらす不条理でもなく、ただそこで生活していたという現実に対するインガオホーとして塵になる。何の罪もないわけではなく、モータルだから。非ニンジャのクズだから。そういう仕組み(システム)になっていて、そういう風にできているから。カラテに足りないモータルの腕を幾ら振り上げようとも、悪果すらももたらすことができないのです。抵抗は、力なくば返されないのですから。それは、破滅にすら値しなかったのです。

未来へ…

 本エピソードは本エピソード内で完結しており、後日談がいかようであろうとも、その独立性は守られるべきでしょう。連続性は、一読者の中で構築される幻にすぎず、お話はひとつのお話として、必ずそこにあるからです。しかし、それでも、「ショック・トゥ・ザ・システム」において、ナボリが「ミスターハーフプライス」を力強く名乗っていた事実には、涙腺が緩んでしまいます。ただのプリンターとなって、力なく腕を振り上げていたハッカーは、自らの意思を持って半額シールを印刷するようになった。ありえぬ不公平にファックサインを叩き付けるという点で、彼がゴウトと同調したのは、当然のことであったでしょう。第1部において描かれた覆し得ぬ現実は、第3部のカタルシスの前ふりとして機能し、第3部で痛快に描かれたシステムの打破が、より第1部の絶対性・唯一性を高めてゆく。『ニンジャスレイヤー』ほどに、再読して楽しい小説もなかなかありません。

■2021年12月26日に、物理書籍で再読。