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【2017忍殺再読】「ダメージド・グッズ」

note掲載版で再読

 ニンジャスレイヤーAOM:オン・ゴーイングのシーズン1、第7話。物語自体も非常に優れたエピソードなのですが、それ以上に秀逸なのが「ダメージド・グッズ」というタイトルでしょう。自我を獲得したセクサロイド(オイランドロイド)に「ウキヨ」と命名するのも並々ならぬものがありますが、彼女たちの集落を描くエピソードを「傷物」と題するコトダマパワーはちょっと尋常のものではない。「キリング・フィールド・サップーケイ」や「レプリカ・ミッシング・リンク」に並ぶ名タイトルだと思います。あと、唐突に登場して普通にニンジャスレイヤーをとり逃すガーランドさんの「何しに出てきたんだこいつ」感が味わい深くて地味に好き。

 コトブキを中心に据えたストーリーは、通常のSOC殺戮行脚から逸れたものであり(シキベとの接触という縦軸の進行もありますが)、連載中の漫画のオリジナル劇場版のようなアトモスフィアを醸しています。しかし、マスラダがサツガイと結びつかないニンジャをサツガイに結びつかない理由で殺したという事実は、彼のニンジャスレイヤー生を追う上で重要なのではないでしょうか。ニンジャスレイヤーという存在は、「ニンジャスレイヤー(ニンジャを殺すもの)」という現象だけではなくなった時、ナラクのリフレインから解き放たれ、物語の当事者になるのですから。(それでも私は、どこからともなくニンジャを殺しにやってくる名もなきニンジャ……抽象的忍殺概念存在「赤黒の死神」が大好きなわけで、ヴィジョンズはそこの救済措置として実にありがたいんですね) それにしても、人間性の発揮=サツガイ絶対殺すマンからの逸脱がナラクに呑まれる契機になるマスラダくん、フジキドと見事に対称的ですね。彼の場合、生者として蘇ることは破滅なんじゃなかろうか。

 マスラダくんが多様性を獲得する反面、活躍するウキヨたちが何一つ得られず、ただ失っただけであることも本エピの特筆すべき点でしょう。悪いニンジャは殺したものの、ウキヨポリスをとりまく環境は何一つ改善されていません。人間と人形という境遇の差異がもたらす断絶はどうしようもなく、全ては冒頭の描写に集約されています。モノとして扱われたことによる彼女たちの怒りはもっとも。しかし、購入した商品に対して(自我を持つ可能性があるのだとしても)対人に等しいリスペクトを持てというのも無茶でしょう。いや、たとえ、リスペクトを持ったとしても、コミュニケーションに依らないそれは、空を切るばかりでしょう。いずれにも理由があり、主役の物語がある。それはこの『ニンジャスレイヤー』という作品において常ではありますが、本エピソードはそれを、言葉による交流で塗り替えられない前提の差異……悲劇として、見事昇華させています。誰も悪くないこれは悲劇やですね。

 それにしてもコトブキというキャラクターは大発明ですね。彼女は、『ニンジャスレイヤー』のSFとしての興趣を大きくレベルアップさせていると思います。怒りを火種に自我を着火させるオイランマインドの中にいて、その火種すらも映画という虚構から拾い上げた特殊事例。ヒトの形になった人間(ユンコ、シキベ)、人間になったヒトの形(ウキヨ)の発展形としてある、ヒトの心の形を持ったヒトの形……最も新しいサイバーパンクの申し子。内外共に紛い物である彼女は、そうであるがゆえに強靭で、そうであるがゆえに危うく、なんというかとても「期待できる」奴だと思うのでした。