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【小説】ユースフィールド・サップーケイ

 月曜日のあれこれを終わらせ、夜から青崎有吾の青春ミステリ短編集『早朝始発の殺風景』を読み始めたのですがこれがまた恐ろしく読みやすく一時間くらいですっきり読み終わり、白井の野郎に糞尿で汚された脳味噌を炭酸水の如き爽やかさでさっぱり洗い流してくれたのでした。青春特有の「気まずさ」……酸味と甘味とほんの少しの苦みが爽快な冷温を伴って体内をスカッと通り抜けてゆく……アーイイ……。しかし、早朝始発の殺風景ってタイトル、キリングフィールド・サップーケイと音のリズムが完全に同じだし殺風景で被ってるしめちゃくちゃヘッズ(ニンジャスレイヤーファン)脳にひっかかりますね。いや、どうでもいいんですけども。

 推理小説って論理的な推理によって真実にたどり着く小説じゃないですか。でも、純粋なパズル問題と異なり、舞台が現実なこともあって、『館』とか『孤島』とかそういうある種「お約束」が許される異界を持ち出さないと、その推理ってどうしても隙や傷を消しきれない推理未満の「推測」になりがちなんですよねー。「摩擦は考えないものとする」と言われても、いやだってここ現実だし摩擦あるじゃん……そんなん知らんよ……ってなっちゃう。でもミステリ人間たちもそんなことはみんな当然わかってるわけで、隙や傷を消しきれない推理未満の推測をなんかこううまく落とし込むわけですよ。偽物の論理が真実を言い当ててしまう歪みをグロテスクに描いたり、逆に徹底的に条件を創り込んで純粋なパズルに落とし込みそこから浮かびあがる何かを描いたり。前提条件が完全に統一化・明言化されていないからこそ保ちえた自由さがそこにあるわけですね。

 で、『早朝始発の殺風景』なんですが、これがめちゃくちゃよくてですね。ああ、どんな小説なのか紹介いれてなかったですね。下にアマゾンの内容紹介をコピペしときます。はいペター。

青春は気まずさでできた密室だ――。今、最注目の若手ミステリー作家が贈る珠玉の短編集。始発の電車で、放課後のファミレスで、観覧車のゴンドラの中で。不器用な高校生たちの関係が、小さな謎と会話を通じて、少しずつ変わってゆく――。ワンシチュエーション(場面転換なし)&リアルタイム進行でまっすぐあなたにお届けする、五つの“青春密室劇”。

 で、論理的には完成されきっていない推理未満の推測……それを真相告発として他人に披露するという危うさを、友人知人相手に真面目な話を切り出すあの青春独特の「気まずさ」と重ね合わせて描いてるんですねこの作品。不完全な推理を切り出すドキドキと、改めて身近な異性・同性と向き合うドキドキが混じる、青春とミステリのマリアージュですよ。二種のドキドキがシンクロすることで生まれる甘味酸味少しの苦みの絶品具合ですよ。それにしてもびっくりするのは青春(日常系)という概念の包容力ですよね。青春(日常系)なら不完全な推理が真実を言い当てても「驚いたへへへ……」で許されるし、間違ってても「やっぱ間違いかへへへ……」で許される。推理の構築が完全である必要がない。むしろ、完全な推理の硬質さの前ではこの繊細なアトモスフィアはぶち壊しになってしまう。推理小説において、推理に隙や傷がないことが必ずしも最上ではないわけですな。いやあ小説ってものは懐が広くて素敵だなあとそんなことをつらつら考えていたのでした。