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もう時効なので書くよ #030 Jet lag(時差ボケ)の三都物語 MR.BIG

 米国出張は何度も行ったが、以下一番へヴィーだった思い出です。確か1998年頃、四泊六日だったと思う。

1.ロサンゼルス2泊 洋楽なのに日本向け?

 先ず日本からロサンゼルスへ飛び、MR.BIGのアルバム”Get Over It”のレコーディング立会いと、アルバム・ジャケットの打ち合わせ。ジャケットはパット・トーピー(Ds.)が担当で、いつも彼はライブラリ・サイトからちょっとヒネリの効いた写真を探し出してきていて、それを元に構成を決めていく。普通のアーティストなら米国のレーベル・ディレクターが立ち会う作業でしょうが、彼らの場合は「日本向け」の商品を作るわけだから我々が進めて、後からATLANTICレーベルに報告するという手順でした。レコーディングは連日結構遅くまでやり、終わるとメンバーとメシ。

2.シカゴ1泊 バッファロー・チキン、辛えぇ!

 ロスからELEKTRAレーベルの新人Third Eye Blindの演奏をHOUSE OF BLUESというライブハウスで観るためにシカゴに飛んだ。昼に空港に着くはずが、あれ?思ったより夕方っぽいなぁ、あ、そうか二時間時差があるからか、と納得。その夜ライブを観たあと、シカゴの街で生まれて初めて”バッファロー・チキン“を食す。ボリュームあるなぁ、そして辛えぇ!
 翌朝ELEKTRAとの朝食ミーティングでホテルのレストランに。同席の米国人たちが慣れた様子で次々にオーダーしていく。やれ全粒粉パンだの、ローファット・ミルクだの、卵は片面だの両面だの、面倒くせぇ!と思いつつ、適当にメニュー指さしてオーダーしたら、なんかすげえ歯応えのあるパンが来ちゃったりして…。打合せ終了後、単独でニューヨークへ向かう。

3.ニューヨーク1泊 バーテンにどやされる!?

 ニューアーク空港に着くとまたもやシカゴと一時間の時差の違和感が…。で、その足でATLANTICのオフィスに向かい重役とミーティング。通訳なしでの打合せはキツかったけれど何とかこなし、彼女たちとランチでS里奈NY店へ。皆と同じ石焼きステーキランチ頼んだら結構なボリュームで、やっと食べ終わったら肉がもう一枚出てきてビックリしたなぁ。重役女性たちはペロリと平らげていた。
 夜は仲良しだったELEKTRAの副社長とディナーに行き、結構ヘトヘトでホテルに帰り着き、ナイトキャップ代わりにバーのカウンターで一杯やってて、突然の睡魔に頭をガクっと垂らした途端「寝るなら出て行ってくれ!」と、先ほどまであんなに愛想が良かったバーテンが鬼の形相。早々に退散しベッドに潜り込む。

4.機中泊 シャンパン飲み放題からの...

 翌日JFK空港から日本へ。食事もそこそこに寝ようと思って(ビジネスクラスの恩恵で)シャンパンを頼むと、隣の白人男性が「出張かい?」と話しかけて来た。「うん、でも帰るところ」「そうか、俺はこれから日本で仕事なんだ。(CAに)あ、ボクも同じシャンパン頂戴」とか一緒に呑み始めたら盛り上がっちゃって話し込んでいたんだけれど、流石にムリな状態になって来て「ごめん、俺寝るわ」と席を倒し、残り時間は食事も食べずに爆睡。着陸に備えシートを起こす指示を受け起きると、隣の男性が羨ましそうに「すごくよく寝てたね。俺一睡もできなかった」と。「キミも日本からの帰りはきっと爆睡できるよ」「そりゃそうだ!わっはっは!」という旅でした。I could "get over it" somehow.(何とか乗り越えられました)

次回 031 まさか!ここで君に会うなんて!? Paul Gilbert(MR.BIG) はこちら


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