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異能力者とは堕天使なのか

※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※探偵社設立秘話のネタバレを含みます。

異能力者を「悪」であり「罪」だというドストエフスキー。
そして異能力者を「渾沌を招き、屋台骨を腐らすこの国の寄生虫」だとして排除しようとする謎の組織「V」。
彼らが唱える「異能力者=悪」という説の裏にはどういった根拠があるのか。
彼らのいうように、本当に異能力者とは悪なのか。
ということで、異能力者の裏に隠されているメタファーについて探ってみたいと思います。

設立秘話の演劇のメタファー

異能者に込められているメタファーを考えるときに参考になりそうなのは、探偵社設立秘話の演劇です。
演劇では、異能者について説明しながら、登場人物が堕天使としてふるまっています。この演劇に実はなにか重要な意味が隠されているのではないか。

演劇は夏目をおびき寄せるために、Vが設えたものでした。
一般的には認知されていない「異能者」の存在をリスクを冒してまで披露するからには、その演劇全体の中にVが伝えたかったメッセージが隠されているのではないか、そう疑うのは自然なことだと思います。
そしてそのメッセージが文スト世界を象徴するような何かである可能性もありそうなので、まずは演劇の内容について、彼らが贖罪の堕天使であるという部分に重点を置いて、振り返ってみたいと思います。

演劇に登場する天使は12名でした。
天使は一般的に七大天使と言われているので奇妙な数字です。
12と聞いて思い浮かべるものは十二使徒だと思います。
そのついでに思い起こすのは、裏切り者のユダですよね。
演劇が「12人の中に1人だけ裏切り者がいるかもしれない」というシナリオになっていることもあり、この演劇の内容は十二使徒をモチーフにしたものだと考えられます。
そして使徒の部分を天使に置き換えた。
(文スト世界で数字に関連するものに十七人の世界悪と七人の裏切り者の存在があるけども、12に該当するものはなさそう...?)

登場する天使たちは実は堕天使だと明かされ、彼らは「逃亡者の盟友」と表現されているので罪を犯して天界から逃げてきた、と想像できます。
天界を追放される天使の物語で有名なものはジョンミルトンが書いた「失楽園」です。
主人公であるルシファーは、神に反乱を起こしたのですが神との戦いに敗れたことで深淵に落とされました。そのとき、ルシファー側についていた多くの天使たちも一緒に深淵に落とされています。
演劇では使徒が堕天使に置き換わり、同時に善である使徒と悪である堕天使が鏡像の関係になっているという読み方もできそうです。
この堕天使のメタファーを、異能者とはなにかの説明をするのと同じ流れで見せているということは、もしかしたらこのメタファーは真実なのではないか、堕天使こそが文スト世界に組み込まれたメタファーなのではないか、という仮説が生まれます。

演劇の中にはもうひとつ情報が含まれていました。
「たった一人の異能者だけが、彼らの罪を許すことができる。」
その異能者は劇場の中に住まうある異能者。
演劇はその彼を探し求める演劇でもありました。
そして舞台上に捕えられる夏目。
これらの要素を繋げると、夏目こそがVが劇場の中に住まうと言っていた人物であり、堕天使たちの罪を許すことができる唯一の異能者だという捉え方ができます。

夏目が堕天使の罪を許すことができる唯一の異能者であり、敦がすべての異能者の欲望を導く異能者。
夏目は猫になります。敦は虎になります。
ネコ科になれることが異能者を救済する必須条件なのでしょうか?

失楽園との関連性

異能者と堕天使の間に共通することとして「ひとりひとりが特別な力を持っている」という点が挙げられると思います。
そして堕天使とは、天との闘いに敗れて傷を負った天使たちでもあるので、「消えない傷、それが異能力」というDAのキャッチコピーから連想される傷を負った異能者のイメージとも重なります。

演劇の中に登場する堕天使たちは、贖罪を終えて天に還ることを許された姿だとも言われていました。福沢が「それはさすがに創作だろう」と言っていますが、もし異能者が堕天使で、彼らが贖罪のために地上にいるのだとしたら、堕天使たちは何に対して贖罪をしているのか、彼らが犯した罪とはそもそもなんだったのか、という点が気になるところです。

ここからは失楽園の内容をもとに考えてみたいと思います。
失楽園は、ルシファーが神に反旗を翻したことで天界で戦争が起こり、神の軍勢とルシファーの軍勢が闘った結果、ルシファーたちが負けて深淵(地獄)へ落とされる、という内容で始まります。
ルシファーはもともと神が最高位の天使として作った美を司る美しい天使でした。しかしルシファーは神がなにもかもを自分の思い通りにしようとすることや、歯向かった者には罰を与えるなどして恐怖によって支配する姿勢に反感を覚え、自由を掲げて戦うことを決意したわけです。
ルシファーたちは負けて深淵に落とされたものの、それでも再び闘志を携えて次の作戦を考えます。そしてルシファーは創造されたばかりの人間を陥れようと考えるのでした。
そこから生まれる物語が、かの有名なエデンの園の話であり、アダムとイブの楽園追放です。人間の原罪の始まり。
ルシファーが人間を相手に選んだ理由は、その姿があまりにも美しかったからだとも言われています。美を司る自分よりも美しい存在を神が創ったことへの嫉妬。
そこに、神の計画を踏みつぶして一泡吹かせてやろうとする傲慢さが加わり、知恵の実という誘惑を与える犯行に繋がりました。
我々人類が何千年もの間、苦しみに喘いでいる理由は、ルシファーのささやかな感情のゆらぎによるものだった、というわけです。

ルシファーこそは人間に罪をもたらした張本人であり、失楽園という出来事が堕天使たちが地上にはびこる契機となりました。だとすると、今も地上にいるであろう悪の根源ともいえる堕天使たちを一掃しなければならない、と思うのは当然のことだと思います。ドスやVが異能者のいない世界を望むのは、人類の真の幸福のためだったりするのかもしれませんね。

さて、堕天使という象徴は、あくまでも象徴として付与されているものなのか、それとも異能者とは堕天使の転生なのか、はたまた登場人物たちの傷に共鳴して堕天使という悪霊が憑りついているのか、その辺がまだ曖昧なので、もう少し探ってみたいと思います。

異能力者が「罰」によって死なない理由

ここからはドスの異能力を絡めて考えたいと思います。
以前の考察が出発点です。→ドスくんの異能力を推理してみよう
「罪」と「罰」という二つの異能のうち、罰が異能者に対して効かないように見えるその理由、以前は悪霊のせいではないか、と考えていましたが、異能者が堕天使であるなら割と簡単に説明がつきそうです。

天使は人間と違って、罪によって死ぬことはありません。
罪からくる報酬が死、なのは人間だけではないでしょうか。
天使にとっての「罪からくる報酬」は、天からの追放だと思います。
だけどそもそも堕天使なのだからすでに天から追放されている。
堕天使には罰を与えようがない、ということになると思います。
だから、ドスの罰の異能は異能者には効かない、と考えられます。

そうなると、堕天使というのは単なる象徴的な意味だけではなく、ある程度実体をもったものとして異能者に憑りついている、もしくは異能者の中に既に存在しているもの、ということになるのかもしれませんね。

以上、結構ぶっ飛んでいて、なおかつ宙にふわふわと浮いた持論を展開してきましたが、あくまでも私の脳内で勝手に築き上げた王国ですので、実際のところどうなのかはさっぱりわかりません。
読んでくれた皆様の脳内で、破棄するなり、燃やすなり、咀嚼するなり、お好きなように処理して頂ければと思います。

異能者=堕天使だとした場合の諸々の整合性、例えば異端児たち(敦、中也、シグマなど)の立ち位置はどうなるのかなど、まだ考えきれていないところもたくさんありますので、一旦はただのひとつの可能性として置いておきたいと思います。

では、次は堕天使の長であるルシファーは一体どの登場人物に反映されているのかについて、考察を進めていきたいと思います。
ドスくんは天使と悪魔に引き裂かれている


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