ドスくんの異能力を推理してみよう

※この記事はアニメ文豪ストレイドッグスの考察です。

なかなか種明かしがされないドストエフスキーの異能力。
作中に散らばっているヒントとこれまでの知識を総動員してドスの異能を推理してみようと思います。

ドスが異能力を使用したシーンを振り返る

まずは過去に彼が人をどのように殺傷したかを振り返ってみる。

【異能力者】
・A     →嵌めた
・森    →刺した
・花袋   →撃った
・澁澤   →切った

【非異能力者】
・カルマ       →触れて殺した
・黒の特殊部隊    →触れて殺した
・Aの拠点の人たち  →おそらく触れて殺した

ここからわかることは、ドスは自分の異能力で異能力者を殺せないかもしれないということ。DEAD APPLEで異能が分離しても何も起こらなかったのも、同じ理由かもしれない。

また、ドスは部下であるイワンとホーソーンに対して、脳の機能の改変をしたと思われる描写もあり、ドスの異能力は殺傷能力だけではないと考えられる。

ドスの異能は「罪」と「罰」の2つ

ドスの異能力名は「罪と罰」。
これは「罪と罰」という一つの異能力を指しているのではなく、「罪」と「罰」という二つの異能力を指していると思われる。このネーミングのカラクリは非常に巧みであり、随分長いこと筆者は騙されていた。

そこで、ドスの異能力は「罪」と「罰」の2種類あるという前提で、推理を進めていきたいと思う。

【「罰」の異能力とは?】

まず、わかりやすい「罰」の方から。
「罰」とは非異能力者を触れて殺したときに使用された「人に触れて殺す能力」。

では「罰」というのは何に対する罰なのか?
これは以前の「ドスくん大解剖」の記事で重要な概念として出てきた「原罪」が関わってくると思っている。

おそらくこの「罰」という異能力は、原罪に対して罰を与えるものであり、思考していることへの罰だと思われる。頭から血を噴くのは、脳こそが罪の発生源だからではなかろうか。

【「罪」の異能力とは?】

では「罪」とは?「罪」とは脳を改変する能力だと思う。神の創りし脳の機能を変え、思考を操るのはまさしく原罪に並ぶ罪である。

だが、罪とは一方的に与えられるものではない。
リンゴを差し出しただけでは罪とはならない。罪を犯すには、リンゴを食べなければならない。つまり、受ける側の自発性が必要。

罪の使用には同意が必要で、受ける側が自らの意思で選択してはじめて異能が発動する。この制約のせいで、ドスは今まで「罪」を部下に対してしか使えなかったと考えられる。

異能力者とは神の罰が下らない存在

では、異能力者に対して「罰」が機能しないのはなぜか?
おそらくそこが、そもそも異能力とはなにか、に関わる重要なポイントなのだろう。
ドスの異能力の種明かしがなかなかされないのは、彼の異能力が物語の重要な情報に繋がる内容だからなのかもしれない。

「罰」を使えないとなると、異能力者とはつまり神の裁きが下らない存在なのだろう。
これを解明するためには、そもそも異能力とは何かを考える必要がありそうだ。

異能力とは「悪霊」なのかもしれない

異能力とは何かを考えるとき、一番ヒントが多いのはDEAD APPLE(以下DA)かもしれない。

DAでは「これが異能の本来の姿です」と言ってドスが赤い龍を顕現させた。この赤い龍、一体何を象徴しているのか?

赤い龍(竜)とWikipediaで検索すると3つの候補が出てくる。
中国の伝承における竜。ウェールズの伝承における竜。そして黙示録に出てくる竜。
DAには原罪の象徴といえるリンゴが登場しているので、DAのモチーフはキリスト教の文脈で解釈すべきだろう。ということは、黙示録の竜ということになる。

キリスト教の黙示録に出てくる赤い竜は、サタンだとされている。サタンとは堕天使ルシファーであり、つまりは闇堕ちした天使だ。
そしてサタンの手下たちは「悪霊」となって、人に悪の誘惑をする。
サタン自身も過去に蛇となってアダムとイブにリンゴを食べるように誘惑しており、人が原罪を負うようになったきっかけそのもの、かつ悪意の象徴である。

異能の本来の姿が赤い龍ならば、異能力とはサタンであり、異能力者たちはその手下の「悪霊」ということになる。
サタンとは神のお遣い者であり「人を惑わしたり試したりする側」。
悪事を行う前提で創られているため、手下である彼らには神の罰は下らない。

神が罰を与えるのは人間のみ。
そして異能力者とは、人と悪魔の間に位置する者なのかもしれない。

ちょっとにわかには信じがたい話だろう。
だが実は単行本3巻のドスが初めて登場するシーンで彼は「悪霊」という言葉を使っている。
さらに、メインキャラの能力が「異能を切り裂く力」「異能を無効化する力」である点からも、異能は「悪いもの」という位置づけになっている可能性は高い。

異能力が悪霊であるのならば、ドスがこの世界から異能力者を消し、悪のいない世界を創りたいと思うのは当然だろう。
彼の動機はもしかしたら私たちが想像しているよりも遥かに真っ当なものなのかもしれない。

[22.05.13追記]

・もしかしたら罪と罰を「与える」のではなく、罪と罰から「救済する」能力なのかもしれない。原罪に対する罰からの救済が死であり、原罪という罪からの救済が思考能力を奪うこと。そういう解釈もできそうだ。

・罰を与えるというのは、神のみがなせる業。
罪を与えるというのは、悪魔のみがなせる業。
だから双方の声に従う。
それが3巻のドスの言葉「神と悪霊の右手が示すとおりに」という言葉の意味かもしれない。

・ドストエフスキーの著書『悪霊』の中では、悪霊に憑りつかれた人々が次々に破滅へと追い込まれる話が描かれている。そして作中でその悪霊とは「思想」だという考え方が提示されているので、なにか繋がりがあるかもしれない。


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