お題箱からいくつかまとめて①
※この記事は文豪ストレイドッグスの考察です。
※お題箱に頂いたお題への返信です。何件かまとめて回答させて頂きます。
制御盤にムルソー?!18巻確認したところ、確かに浮かんでる箱がそれっぽいですね!アニメでは特にそういう描写はなかったので真相はわからないまま。
シグマの落下は、事前の作戦会議で共有されていたのではないでしょうか?ゴーゴリにも天空カジノでの計画は最初に明かされていても不自然ではないかなと思います。
ドスくんとの回想シーンはだいたい1対1なので、ドスくんは一人ずつ別々に作戦を伝えていた、その人にとっての必要情報を取捨選択して伝えていたのかも。その時に、天空カジノではこうする、その後はこうする、と粗方最終目標までの段取りを伝えていてもおかしくない(むしろそうしないと納得して作戦に参加できないはず)ので、その時に天空カジノでシグマを地上に落とす計画をゴーゴリに伝えていたと考えるのが一番妥当かなあと思います!
ありがとうございます!やっぱりそういう疑いを持ってしまいますよね。私もかつて同じ疑いを持っていくつか考察を書いているので、宜しければ読んでみてください。
実はシグマが三島だったりして。
シグマの誕生と白紙の文学書について(お題箱から)
https://www.tiktok.com/@konpeito_10/video/7123014924489510145
この動画ですかね?拝見しました!ポーズそっくりすぎますね。こういうのはエンタメ性あっていいですね。おもしろかったです。
ドスくんが夏目先生を標的にしないのは、夏目先生が隠居している(=ドスくんにはリーチできない場所にいる)からなのでは?と思っていますけどどうでしょうか?現役時代だった探偵社設立秘話ではがっつり標的にされていますので、今はもう捕まえられなくて諦めてしまっているのではないかと勝手に思っています!
変身する異能についてはこの記事で考察していますので、宜しければご覧ください。
文ストのもう一つの世界線と変身する異能(お題箱から)
これについては、私は「アニメ制作上、アニメとしての表現の最善を尽くした結果、変更が生じているだけであり、世界線は特に変わらない」派の人間ですけど、相互さんなどから色々ご意見お伺いできたので、ご紹介しますね!
(お題箱より)
アニメと漫画で世界線違うのはマジだと思います……蒼王の事件が起きてる時期が違ったり、黒の時代では子供達が殺されるまでの動きが圧倒的に違いますし、探偵社の規模が違いますし、あとオダサクのコートは長さがアニメと漫画で異なりますし、ついでにbeastも映画漫画小説で全部差異があるので全て別世界線と思われます……
オダサクや中原の瞳の色を変えてるのが決め手な気がします。あれは何かの意図がないとやらないと思いますし……
(相互さんより)
例えば三期、十五歳の対蘭堂戦のような、原作小説との違いですかね。 ただ漫画とアニメで軸が違うというのはあまり考えたことがなく、むしろ小説というのは(kfk先生がかっ飛ばしてる)別軸だよなあと思うことはありました。 論理的思考よりもオタク的萌え思考で導いた答えですが。
(相互さんより)
蒼の使徒編の時間軸が違う時点で別世界として見ていました。beastみたいな本の中の世界とかではなくアニメはあれが主軸?みたいな
(相互さんより)
これずっと思ってる!! 可能性世界がどうとかは考えたことなかったけど、世界線一緒だと六蔵少年が生き返ってることになったりほぼ一緒の事件(太宰の入社試験とアニメ6話7話)を2回解決してることになったりとおかしなところがでてきちゃう気がする。
(相互さんより)
漫画の軸はDAの内容を踏まえてるのかな?とは思ったことがあります……
(相互さんより)
アニメ蒼の使徒事件があつしくん入社後になっていたりするのは制作側の都合というメタ読みもできますが、多数世界線がある作品なら分岐した結果のひとつと考えてもいいかしらと思いました…
(お題箱より)
漫画が本軸でアニメがB軸の可能性について。
個人的に媒体で世界線異なる説はなんとなく感じています。
BEASTは小説&実写Cの軸、救済のアニメB軸と迷い犬の漫画本軸であるということです。
私はアニメの方がトゥルーエンドに近いように感じます。
たしか小説で織田は「ともだちだからな」と太宰にいっていませんでした。
つまり、太宰に友達としてさよならを言えたのです。
年長者が年下を気遣うのではなく、より対等に友達として。
ほかにもジイドとの対決で生存の階段を降りた云々と小説にありますが、アニメでは目が輝いています。
じぶんの人生を生ききっている救済がより明確に描写されているように感じませんか?
またBEAST映画が実写であったことについても、救済を描くアニメではできなかったのでは。
漫画は生きる者のあがく姿と本能との折り合い、
アニメは生きること(最期まで生ききること)の美しさ、
小説はより無情で冷酷な世界の敗北者たちの軸みたいな。
うまくまとまってませんが個人的な考えとして参考になれば幸いです。
ふむふむ、なるほど。沢山のご意見を頂きありがとうございました!
時系列違う時点で確かに別軸ではありますね。
違う世界線であることを認めてしまうと、私は考察を一体どの軸を基準にしてやったらいいんだ?という疑問にぶち当たって恐怖に震えることになるので、この話は厄介すぎてこれ以上は手に負えませえ~~~ん
→その後、相互さんから違う世界線というよりは違う作品なのでは、という素敵な解釈を提供して頂きましたので、私個人としてはその考え方を採用したいと思ってます〜!
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?