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毎日100円貯めて長生きするほど人の役に立つ保険とか

明け方眠りが浅くなった時に考えていたこと。
自分が長生きするほどに誰かの役に立てる保険サービスってないのだろうか...?

「人生100年時代」と言われて久しいが、そもそも長生きって幸せなんだろうか。元気に幸せに100年生きられたら最高だけど、いまいまの社会を見るに、あまり幸せじゃない長い人生、ってことになりそうなところがとても嫌だ。

ラッキーなことにもし自分が長く生きられるのであれば、生きた分だけ誰かを助けることが出来たり幸せに出来たり(例えば大学を諦めずに済むとか、シングルマザーが美容室に行って自分の髪の毛を綺麗にすることに時間を掛けることができるとか、子ども食堂の運用の足しにしてもらうとか)、そういう役に立つことが出来れば、循環型の幸せが生み出せるんじゃないかなー。

っとうつらうつら思っていたのだが、
目が覚めて計算してみたら
100円×30日=3,000円/月
3,000円×12ヶ月=36,000円/年 にしかならなかった。
10年間分でもたったの36万円。ちょっとこれだと足しにならないなー。

これを原資にして、保険のサービス化することでなんとか10年間で360万円ぐらいにならないだろうか。

そうすれば例えば75歳ぐらいで夫が先に死んでしまった、ここから先はオマケみたいな人生だわ、なんていうお婆さんが100歳まで長生きしたとして、25年間分=900万円ぐらいを社会にどうぞ、と使ってもらえるのだ。

そうしたら私だったら、あとはオマケみたいな人生だったはずなのに、生きているだけで誰かの幸せに役立っているかもしれない、と思えたら幸せを感じられるんだけど。

社会のお荷物になっている、とか、生きる目的を見失ってしまった、などの悲しい言葉が、おそらく自分の中に澱のように溜まり、夢現に表れた気がする。そして当然反対側にはいま幾らでもある社会課題(仕事を失って家も失った人、シングルマザー、お腹いっぱい食べられない子供たち、進学を諦める子供たち、持てる人はますます持ち持てない人はますます持てない格差社会などなど)がある。

既存の保険サービスの考え方でない、Lemonadeやジャストインケースの「わりかん保険」などの考え方でうまくいかないだろうか。

もしくはもはや保険である必要がないので、最初から寄付の仕組みとして考えた方が良いのだろうか。
例えば
賛同者は
3,000円×12ヶ月=36,000円/年 ...①
を支払います。
富める者(サポーター?実現者?)が100倍にします。
36,000/年×100=360万円/年
その代わり賛同者とサポーターには何か良いことが必要なので、それはこの寄付システムのデザインで組み込みます。...★
ちなみに①の部分の10倍コースももちろんあって、
30,000円×12ヶ月=360,000/年 ...②
これだと×100で3,600万円/年!相当変化が起きそうな金額になってくる。

元ZOZOの前澤さんなんかは「ひっそりお金配りおじさん」として個人の資産でいま児童養護施設などにサポートを申し入れて寄付をしているけれど、そういう富める者だけが行うのじゃなくて、富める者は少額でも寄付したい・人の幸せに関与したい、という人たちをサポートしてはどお?、ということ。

...と書いているうちに保険ではなくなってしまった。
しかもキャンプファイヤーでどうぞやってください、という感じ?
それか自社の新規事業としてやってみるか...!?
★のところとか、人がやりたくなる仕組みをちゃんと考えてみたら、プロジェクトとしても面白いかも?
日本には寄付文化がない、とはよく言われることだけど、たぶん高尚なイメージが強すぎて敷居が高いような気がしている。
もしかしたら何か出来るかもしれない。


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