星と寒空と過去

星を眺めることが好き。ジーっと見ていると見えてくる星の数がふえてくる。
元々、空を眺めることが私の心を癒し救ってくれたからなのかもしれない。

雲が切れてたくさんの星がみえた真夜中の寒空

中2の夏休みから卒業するまで、いじめにあって数少ない人数の中学でのシカトは苦しかった。
普通の休み時間は机に突っ伏して寝ているか、トイレに行くかでなんとかしのげていたけど、行間と昼休みは居場所もなくて学校の三階のベランダに忍び込みずっと空を眺めることで涙をこぼさずに耐えていた。だれも助けてはくれなかった。
担任だって気づいていないはずがないのに、見て見ぬふりをしていた。50歳近くなったいまでさえ胸につかえている。
普通に連絡してくる人もいる。毎年年賀状すら返さないのに年賀状を送りつけてくる担任。私は破り捨てている。
因果なもので、うちの長男と担任の末っ子が同級生で剣道の大会では、中学3年間対戦することが、多かった息子はその子に負けた事は一度もなかったが、あちら側から試合後に申し合わせをお願いされたとき、長男は肘を外され怪我をした。何の謝りもなかった。年賀状をわざわざよこすなら謝りを入れる方が先だと思った。
私は、大人を信用できなくなったのはその先生だと今でも思っている。だから、息子のことでさえ恨んでいた。
最近、そらをぼんやりながめていて、ふと思うことがある。人生の大半を恨んで生きてきちゃったと。許すつもりはもうとうないけれど、非常識な人、犠牲者という気持ちは消えない。

忘れていることのほうが、多いけど私は空に救われたんだなって思っている。下を見ていたら飛び降りていたからかもしれない。
リストカットの痕すら親に気づかれないようにしてきた。
1年前うつ病になり、死希念慮状態のときにまたしてしまった。今はない。
ただ、今眺めている星空は辛い星空ではない。

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