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学習はエンタメだっ!退職後は学びを楽しもう!



はじめに

「学習」と聞いて連想することは何でしょうか?
おそらく多くの人は学生時代の退屈な授業、過酷な受験勉強などネガティブな印象しか抱かないのではないでしょうか?
私は一昨年55歳で30年以上勤務した会社を早期退職しました。辞めたのは色々な理由があるのですが、大きな理由の一つとして学習したい、勉強したいという気持ちがありました。
日本では少子高齢化が進み、仕事を辞め自由な時間を得ることのできる人が増えています。そうした人に学習の楽しみ方を伝えたいと思います。
この記事での「学習」の定義は、ただ「好奇心」、「楽しみ」を目的として学ぶことをさします。
TOEICの点数を上げるとか、資格試験を突破するための学習方法を書いたものではありません。
学生や社会人の学習はゴール(試験など)を設定し、そこへ向かって地道にやるべきとをこなす淡々とした活動です。
この活動は楽しかったですか?
本来、新しいことを学ぶことは喜びであるはずです。すでに労働による金銭的束縛から自由になった退職者は純粋な知る喜びを楽しめる特権階級だと考えています。
しかし、学生・会社員時代の価値観のまま学ぼうとしてもうまくいかないことがあります。ちょっとしたコツがあるのです。そうしたことをこの記事で語っていこうと思います。
記事の中では、

  • 学生・会社員時代の学習がなぜしんどいのか?

  • なぜ退職後の学習が楽しいのか?

  • 学習のためにどんな道具があると便利か?

  • 学習をエンタメ化する3つのコツ

という4つの観点から書いていきたいと思います。

学生・会社員時代の学習

学習の目的はなに?

学生や会社勤めしている方々の学習というのは何らかの目的があるのではないでしょうか?
大学に合格する、資格を取得する、昇進するなどもあるかもしれません。
定年退職後の学習は、そうした目的はありません。あるとすれば「知りたい」という欲求を満たすことかもしれません。これは他人が学習の結果として認識できるものではないので、若い人たちから見れば単なる「道楽」に見えるかもしれません。モーレツサラリーマンだった、30代の私だったら、間違いなく目的のない活動は無意味と考えたでしょう。
定年後の学習は、学生時代や会社員時代に一瞬興味は持ったけど結局「無価値」と捨てておいたことを一つ一つすくい上げる作業かもしれません。
私は今、たとえば「量子力学」といった大きなテーマから、二つの英熟語のニュアンスの違いといった小さなテーマまで「知る」ことに大きな喜びを感じています。
「人に三欲あり」という言葉があります。二つの欲は食欲と性欲と決まっていますが、3つめの欲は人によってバラバラです。私は「知識欲」ではないかと考えています。
わからなかったことが理解できる瞬間、無関係だと思われていた二つの事象が結びついた瞬間、脳が震えるような喜びを感じることがあります。

学ぶことを忘れた瞬間

私は高校時代に友人に言われた一言が忘れられません。
私は高校生の時、学校の授業に出るのも好きでしたし、新しいことを学ぶのも好きでした。しかし、試験の結果が良くないのです。
学んでいって疑問があるとどうしてもそこで立ち止まってしまい、先に進まなくなるのです。
春日三球・照代の「地下鉄にどうやって電車を入れるのかを考える夜も眠れない」という漫才がありましたが、それに似ていました。
例えが古いですかね?(笑)
成績のいい友人に相談すると

「おまえ、それはビョーキだよ」
「要領よく教えられたことを覚えればいいだけだよ」

その返事は想定の範囲内だったのですが、

「でも、それって本当に学習したと言える?」

と聞くと

「おまえなー、そういうことは疑問に思ったら負けなんだよ」

いかにも「わかってないやつ」と言いたげな眼差しと「負け」という言葉が印象に残っています。
確かに自分の好奇心のおもむくまま考えていても未来は拓かれないと思ったので、それ以後は覚えるまで忍耐強く繰り返すことで試験を乗り越えてきました。
入学試験や資格試験に合格することで一定の「達成感」を得ることはできたのですが、たくさんの時間を費やしても「知る」ことの喜びはほとんど味わえませんでした。
今でもこのことを覚えているのは、この言葉を聞いた瞬間、何かを失い、いつかは取り返してやろうと思ったことです。
失ったものは「好奇心による学習」機会です。
いい学校に合格したい、資格を取りたいという欲求は将来の金銭の欲求に結びついています。
退職することができた今は金銭的余裕ができ、働かなくても生活できる余裕があります。その余裕を「金銭」という動機でなく「知りたい」という欲求に使ってみませんか?
もちろん、学生や会社員の方々でも「好奇心による学習」をおこなっている人はいるでしょう。そうした方々はその活動を今後も持続していただきたいです。本人にとっては当たり前かもしれませんが、実は貴重な体験をしてるのですから。

なぜ退職後の学習が楽しいのか?

ここからは退職後の学習が楽しい理由をお話しします。退職前後の学習の違いは「目的」が異なることとお話ししましたが、さらに深掘りしていきます。
その前に、学習が「楽しい」という状態がどんな状態なのか、考えてみます。と言いますのは、学生・会社員時代の学習で消耗しきってしまって、「楽しい」という状態がどんな気持ちなのか忘れてしまった人もいるのではないかと思うからです。私がそうでしたから。

「楽しい」ってどういうこと?

端的に言うと「脳が喜ぶ」状態です。昔の漫画で登場人物が何かに気づいた時、頭に電球がパッと灯るカットを見たことがありませんか?
そんな状態を私は「脳が喜ぶ」状態と表現し、一日何回脳を喜ばせることができるかをチャレンジしています。
こういう状態を脳科学者は「アハ体験」と言うのだそうです。何かが分かった時、「あー、はー、なるほど」と言いたくなります。絶妙なネーミングだと思いませんか?(アハはドイツ語由来の単語です)
サッカーで相手の動きの弱点を分析して、チャンスを待ち、予測した位置にボールが落ち、見事ゴールを決めた時。
ネットゲームでどうしても見つからないアイテムをやっとのことで見つけた時。
生活のいろんな場面で「楽しい」と感じることがあると思います。それと同様の感情を学習活動で味わうことができるのです。

自分自身が「範囲」と「深さ」を選べる

学生・会社員時代の学習と、退職後の学習の一番の違いは学ぶ「範囲」と「深さ」を「他者」が決めるのか、「自分自身」が決めるのかにあります。
試験は出る範囲が決まっているので、学習中に興味のあることが出てきても出題範囲外であれば、そこを学ぶことは時間の無駄になります。自分の好奇心ではなく、他人に学習行動が制約されているわけですから、その学習に本当の自由はありません。
学生・会社員時代の学習が難行苦行になってしまうのは、重箱の隅をつつくような些事を記憶する必要があったり、細かい公式を暗記し計算を正確に実行するような本質と関係ない部分が大きなウェートを占めるからです。
現代社会では、自分の脳に代わって外部記憶が詳細を覚えてくれますし、計算もあっという間にやってくれます。文明の利器があるにも関わらず、自分自身が手を動かしてやらないといけない無意味さが辛い原因となっていると思います。
試験を実施する側からしても、本質的な概念を理解するのはそれほど難しいことではないのに受験者に差をつけなければいけないので、無駄に枝葉末節な知識を試しているように見えます。
退職後の学習は自分の関心に応じて「深さ」を調整することができます。計算の得意な人は筆算で、プログラム作成が得意な人はパソコンでやればいいだけです。「深さ」や「やりかた」は自分で選択できます。
ちなみに私は数学や物理に関連したことを学ぶ時は、理論が頭の中でアニメーションのようにイメージできればよしとしています。それ以上の時間はさかず次の学習をするようにしています。それが私の「深さ」です。

学習のためのリソースとツール

スマホとパソコン

学習のためにITツールを揃えておきましょう。スマホはいつでもどこでも調べたい事に調べ、学びたい時にオンライントレーニングを受講するために必要です。やりたいことがやりたい時にできるのはストレス軽減に繋がります。学生時代と違い、年をとればとるほどやりたいこと、やらなければならないことが増えていきます。退職していても同じです。
わからないこと、調べたいことはその場で捕まえて明らかにしないと、あっという間に忘却の彼方に逃げ去ってしまいます。そうしたストレスをなくすためにスマホは必須と言っても良いでしょう。
スマホは情報を参照することには向いていますが、情報を主体的に作り出すことには向いていません。若い人たちはブラインドでスマホ入力ができるそうですが、年配者には難しいでしょう。キーボードがあるパソコンを揃えたほうがいいです。
後で述べる学習のコツの中でアウトプットの重要性を説明します。アウトプット作成にパソコンは必須です。

インターネット上のツール

すでに色々な生活の場面で活用していると思いますが、検索エンジンは有効活用できます。私は生活をしたり学習したりする上で少しでもわからないことがあると検索するようにしています。少なくとも1日10回は検索しています。
刑事ドラマを見ていて「刑事と民事の違いはなんだっけ?」と思ったり、英語を勉強していて「anytimeとany timeの使い分けってなに?」と思ったりするとすぐに検索エンジンにアクセスします。面白いのは自分が不思議に思ったことはたいてい誰かが質問していて、回答がなされ、ネットで共有されていることです。誰かが疑問に思うことは他の誰かも疑問に思っていることがわかります。
学生時代に「こんなことを質問したらバカにされるかもしれない」と思って手を挙げるのを躊躇したことはありませんか?
今はテクノロジーのおかげで躊躇することなく、すぐに疑問を解決できるようになりました。本当に幸福だと思います。
今年になって話題になったChatGPTなども有効活用しましょう。ただ、従来の検索エンジンとの違いを認識した上で使い分けた方がいいです。ChatGPTなどの生成型AIはいかにも訳知り顔の回答を返してきますが、質問の意味がわかっているわけではありません。
ネット上の膨大な文書を読み込み、一部の単語を隠した穴埋め問題を回答することで文章のパターンを学びます。これを事前学習といいます。
「日本の首都はxxである」という穴埋め問題から「東京」という回答を学習し、日本、首都というキーワードがきたら次に来る単語は「東京」である確率が高いことを把握します。
あなたが何かを質問した時の回答は、過去に学習した文章から統計的に最もありうるであろう単語を並べているだけです。日本語や英語の基本的な文法すら理解していません。シンプルな仕組みですが、事前学習量が天文学的になると、人が見て自然だと思える回答を返すことができるのが不思議です。
事前学習したことしか回答できないので、最新の情報をピンポイントで聞くには不向きです(例えば今の日本の総理大臣は誰か?)。そういった質問はGoogleやBingなどの検索エンジンを使った方が良いでしょう。
一方、ChatGPTは地球上の天文学的なパターンの文章を事前学習していますので、文章を要約させたり、複数の案を出せたりするのは得意です。
私は文書を書くとき、ChatGPTと会話しながらあらすじをまとめたり、長い文章を要約させて自担をはかったりします。
学習とは関係ありませんが、つい先日、慶弔の挨拶文の土台を作ってもらい非常に助かりました。

オンライントレーニング

私が早期退職する前、新型コロナ禍で在宅勤務をしていました。通勤時間がなくなり、時間に余裕ができたので、ネット上のトレーニングをたくさん受講しました。その結果、これらオンラインツールが既存の教育のかなりの部分を代替できるものだと確信しています。
一番よく見たのがYouTubeです。どちらかというとエンタメ・コンテンツが主流だと考える人が多いかもしれませんが、今のYouTubeはたくさんの教育用コンテンツがあります。検索すると家具の組み立てから高等数学まで幅広い内容がわかりやすく説明されていることに驚くでしょう。
YouTubeは無償で見ることができますが、注意点もあります。それは内容の正確性が担保されていない点です。通常なんらかのコンテンツは作成者とその内容をチェックするレビュワーがチームで作成するものですが、チェックのプロセスが不明瞭か、チェックそのものがないと思われるものが多いです。自分に必要かつ正確なコンテンツを選択するようにしましょう。
お勧めしたいのが、Udemyが提供するオンライントレーニングです。Udemyは世界最大のオンライントレーニングベンダーで、誰でもどこでも低価格でトレーニングを受けるプラットフォームを提供しています。こちらは内容が精査され、コンテンツに沿って学習を進めればその分野の知識が系統的に身につくようになっています。1コンテンツあたり、定価数万円しますが、月に何度か9割引(!)前後で提供されるので興味のある分野をまとめて購入しておくといいと思います。スマホでも学習できますので、ちょっとした空き時間を活用したい人にもお勧めです。
新しいスキルを身につけたい時、以前はその分野のわかりやすい書籍を探したり、学校に通うのが第一歩でしたが、今はまず最初にオンライントレーニングを探すようにしています。わかっている部分を早送りしたり、わからないところを何度も繰り返して見たりすることができるので、書籍を読んだり、学校に通うより早く正確に知識を身につけることができます。

教育機関

以前、退職後に全日制の大学に入り直して勉強する人がいました(今でも少数います)。還暦前後の人が20代と同じカリキュラムをこなすので相当向学心がないと時間的にもメンタル的にも厳しかったと思います。
今は、ネット上のオンラインコンテンツが充実してきているので、座学形式の知識を得るためだけに大学などに通うのは時間、効率、コストの面からお勧めできません。
大学では、従来型の「通学して学ばせる」から時間と場所を問わない「オンライン学習環境」を移行しているのでカリキュラムをよく確認しましょう。
対面で人と共同しながら学習する環境がカリキュラムとして提供されているのかを確認するのも良いでしょう。人とリアルにぶつかりながら学習していくことができるのは、ネットにはない大学の魅力だからです。チームで研究を行う、高額な実験・検査機材を使って学ぶ必要がある場合は積極的に大学などを利用しましょう。

学習したいテーマがあれば、まずネット上のコンテンツで学習してみる。さらに深く学びたい時に教育機関を考えるという順番にしましょう。

図書館

最近の新刊はほとんどが電子化されていて、スマホ、パソコン、専用端末などで読むことができます。
この時代になぜ図書館なのかと言うと、図書館が
「読みたい本を適切な間隔でデリバリしてくれる秘書」
のような役割をしてくれるからです。
新刊などは入荷が遅れたり、人気が殺到してなかなか自分に番が回ってこないので、電子書籍を購入する場合が多いのですが、読みたい本は新刊ばかりではありません。
私は少しでも読みたいと思ったら、図書館で予約します。どこの図書館でも予約できる冊数は決まっていますが、常時制限いっぱい予約しています。そうすると順不同ではありますが、数日おきに借りることができる(いつもではありませんが、大体一冊読み終わるくらいのタイミングで)ので便利です。
以前、私は購入する書籍を全て電子書籍にしたことがあります。しかし、電子書籍は簡単に購入できるせいか、いつの間にか「積読(つんどく)」状態になりお金がもったいないと感じるようになりました。
今は、どうしても今すぐ読みたい新刊本は電子書籍、次に読みたい本は図書館と使い分けています。

学習をエンタメ化する3つのコツ

とにかくなんでも調べてみる

最近、お金はあっていつでも悠々自適になれるのだけれども、やりたいことがないのでどうしたらいいのかわからないという相談をよくいただきます。それなら働き続ければいいと思うのですが、ストレスが高く辞めてしまいたいそうです。贅沢な悩みにも見えますが、本人的には、にっちもさっちもいかなくなっているようです。
皆さんの身近に、定年退職後することがなくなってしまい、昼間からお酒を飲んでいる人はいませんか?
本当にもったいないことだと思います。
学生時代、先生から「疑問があれば放っておかないように」などと言われたことがあると思います。
しかし、このアドバイスは無理があります。放っておかないように言いつつ、疑問に答えるためにリソースは十分ではありませんでした。先生に聞くといっても、先生の時間は有限ですから長時間、先生を占有して質問しまくることなんてできません。心に浮かぶ疑問を一つ一つ図書館の本で解決していくのは現実的ではありません。
しかし、今はネット上にあらゆる情報が蓄積されているので、疑問に対して見つからない答えを探すことの方が難しい時代です。
昼間からお酒を飲むことの是非は100歩譲って、どうせ飲むなら、酒の銘柄による風味の違いなどを調べて整理してみればいいのにと思います。
きっかけはなんでも構わないので、少しでも掘ってみれば宝の山にぶち当たるかもしれません。

忘却は贅沢の極み

忘れることに対して、後悔の念や罪悪感を抱いたりすることはありませんか?
これは受験勉強の後遺症みたいなものです。
退職後の学習で忘却を恐れる必要はありません。どんどん覚えてどんどん忘れるべきだと思います。
忘れてしまう、ということは無意識のうちに「これは覚えるだけムダ」と脳が認識しているからなのだと思います。試験で暗記したことはすぐ忘れてしまいますが、印象に残った経験や、好きな車やカメラの型番、大好きな歌の歌詞は忘れようとしても忘れられません。これは脳が大事なこと、楽しいことと認識しているためです。
学生・会社員時代の学習は無理矢理にでも覚えないと試験をクリアできませんが、退職後の学習は試験を目的としていないので、どんどん忘れて構いません。脳は気分屋でわがままな器官ですが、気分屋の脳に振り回されることこそ退職後の学習の喜びだと考えましょう。
私は15年以上、趣味で英会話を学習していますが、どうしても覚えられない慣用句がたくさんあります。
これらの慣用句には共通点があります。それは私の人生でその言葉を使うであろう場面に遭遇していないし、これからもないであろうと思われます。だから無意識のうちに脳が優先順位を下げているのです。
忘却は必要・不要を区別する脳のフィルターです。脳の判断に従い、覚えられるものは覚え、忘れるものは気持ちよく忘れてしまいましょう。
それが自然なことなのです。

学んだことはアウトプットしよう

この記事で一番言いたかったことはこれです。
退職後の人生を継続的に謳歌できている人と、最初はウキウキしていてもやがて退屈してしまう人の違いは、活動に他者とコミュニケーションするためのアウトプットがあるかどうかだと考えています。
人は社会的な動物ですから、コミュニケーションが発生しない活動を継続することはできません。
定年退職前に多くの人は目を輝かせて、好きなだけ旅行したい、毎日ゴルフしたい、毎週グルメしたいと話します。しかし、ほとんどの人は半年もすると飽きてしまい、有り余る時間を持て余してしまいます。
私は退職してもうすぐ丸2年になりますが、退屈だと考えたことはありません。仕事をしていた時と同様、人生はエキサイティングだと考えています。
アウトプットというと、会社員時代の上司に言われた

「ちゃんとアウトプットを出せよ!」
「目に見える形でアウトプットしてもらわないと評価しないよ!」

と言った小言を思い出して、重い気持ちになってしまった人もいるかもしれません。
しかし、退職後のアウトプットは自分で自由に考えていいのです。100ページのレポートを書き上げる必要はありません。他者とのコミュニケーションの媒介になればいいので、なんだって構わないのです。
アウトプットが何か?について、「退職後にやりたいことは何?」というアンケートで常にトップ3に入る旅行を例に挙げます。
私は動画撮影や、写真が好きなので、旅行のアウトプットを動画投稿や写真のブログ投稿にしています。アウトプットに対していろんな反応が返ってくるので、新しいコミュニケーションやアクションが生まれます。
旅行先で孫や子供達にお土産を買ってくるのも立派なアウトプットです。私の義理の両親は引退後、海外旅行でお土産を買っておき、年末年始に親戚が集まった時にそれらを飲み食いしながら、おしゃべりするのを楽しみにしていました。
アウトプットを意識すると一つの活動が次の活動を呼び起こすので飽きることがありません。ただ旅行が好きだからといって、色々な場所を旅するだけなら、やがて飽きてしまうでしょう。

まとめ

長々と「学習」について書いてみましたが、いかがでしたか?
大切な点は

  • 自分の好奇心のおもむくままに学んでみること

  • 学んだことを使って他者とコミュニケーションしてみる
    ということです。
    私は、人々がもっと学びそれを共有すれば、さらにいい社会ができると信じています。学びは

「近所のテニスコートの上手な予約のしかた」
「肉を焼いた後のフライパンの活用術」

みたいなニッチなものでも構いません。以前は、情報の流通手段が確立していなかったため、大多数の人々が必要な情報しか価値がありませんでした。今は極少数の人々が必要な知識を届けるためのインフラが整っています。
    皆さんが身につけたことはどんな些細なことでも、誰かの役に立つのです。

以上

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