昔から台湾語を否定するネガキャンとも言えるような言動をする人達が何故か多い。
台湾が多言語の国だとは知らずに留学や駐在、生活を始めた日本人が多いのではないだろうか。たいていの人が先ずは生活や仕事、勉学、研究のために中国語の学習を始める。個人差はあるだろうが半年、1年過ぎたあたりから台湾は中国語だけが使われているわけではないようだと気づき始める。ここでショックを受ける人も少なからずいるだろう。例えば台湾人の友人や恋人ができて、実家に招待されたら、友人や恋人が家族と話す時には自分の全くわからない言葉で話しているなんていう場面にも遭遇する。また、台湾人の恋人と結婚して、時々配偶者の実家へ行くと、配偶者が自分の兄弟、両親、親戚の人たちとは自分の全く理解できない言葉で談笑していて、自分一人がその輪の中に入れないのだ。
こういう体験をして、台湾語や客家語、原住民諸語などの必要性を感じて、学習を始めたという人もいるが、多くの場合、必要だと感じていても、いつまで経っても学習を始めないという人の方が圧倒的に多いようだ。
中には台北などの大都市で育った若い世代は台湾語が苦手だったり、全く話せない人も増えていることから、日本人や外国人がわざわざ学習する必要はないなどとSNS上で発信する人たちもいる。特にSNS上やネット上で台湾華語と呼ばれる台湾式の中国語を教える人たちや台湾情報を伝える人たちにこの手の人が多いと思う。
台湾華語のことしか語れないし、教えられないから台湾語や客家語に触れたくないのだろうし、台湾通を自称し、台湾と関わっているのに台湾語を始めとする台湾本土言語について何も語れないというイメージを持たれたくないからなのか、日本人に台湾語などの台湾本土言語が注目されてしまうことが都合悪いようだ。それで酷い場合は中国語、台湾華語をある程度身につけるだけで充実した台湾生活が送れる、台湾観光情報や時事などの取材ができる、台湾語学習は特に必要ないと言う。台湾語も大事だけれど、まずは中国語から始めましょうと言うのなら許せるが、必要ないと言ってしまうのはネガティブキャンペーンとも言えると思う。このネガキャンは台湾人自身がやることも非常に多い。台湾人がやる場合は台湾の歴史や政治、教育と大きく関わっている。
台湾社会や台湾の中国語の表面的な部分しか知らず、さらに本当にまだ台湾語を始めとする台湾本土言語の重要性に気がついていない人たちもいるだろう。しかし、台湾に3、4年以上暮らせば、普通は台湾語ぐらいは多少話せたほうがいいということに気づくはずだ。台湾に1、2年しか滞在していないのに中国語を教えたり、記者として台湾情報を流しているのだとしたら、その中国語レベルや情報の価値や質は疑った方がいいと思う。
実は少なくとも台湾語の知識がある程度ないと、また中国語と台湾語や客家語との比較ができないと、台湾で使われている中国語、台湾華語についての深い話はできない。台湾華語は特に台湾語の影響が著しいからだ。また、台湾語など本土言語の知識がない日本人には気がつくことができない、知ることのできない興味深い台湾情報は非常に多い。台湾語を始めとする台湾本土言語の知識があればあるほど深い内容の台湾情報が伝えられる。情報を伝える仕事をしている本人にその知識がなければ、その本人に深い内容の情報を伝えることのできる台湾人の助言が必要であろう。
しかし、台湾人に取材や質問をしても、通り一遍の説明しかされないことがほとんどだ。やはり本人がある程度の知識や台湾本土言語の学習体験がなければ情報の深いところまで行きつかないし、台湾人に深い内容の質問を投げかけられないと思う。
昔、台湾観光情報を流す雑誌に関わった時、雑誌内で台湾語のことにも触れたほうがいいと思うと社長に要求したら、社長が編集長に意見を求め、その編集長は取材の時に通訳をお願いしている台湾人に聞いたら、台湾語はもう殆ど使われていないと言っているから必要ないと思うと言ったそうだ。それでこの企画はお流れになった。編集長や編集スタッフ、ライターたちは台湾語どころか中国語も全くできなかったので、台湾の言語に関する内容は避けたかったのだろう。それで通訳が言っていたこと(たぶん今の台北生まれ育ちの若い子は台湾語が話せない人もいるみたいな内容だったんだと思う)を拡大解釈して、台湾語はほぼ消滅しかかっているというイメージを社長に与えてしまった。当時は今から30年以上前だ。台湾語が今より普及していた時代なのに。当時その雑誌の仕事で通訳をしていた台湾人は二人いたが、そのうちの一人とは僕は今でも交流がある。台湾南部の高雄出身で母語が台湾語の人だ。僕に会うと台湾語で話しかけてくる。
日本人ライター側に台湾語の知識がないために内容の浅い、しかも間違っているとも言える台湾観光情報ですごく印象に残っていることがある。それは一時期、あちこちのスイカやパイナップルを販売する果物屋さんや屋台などで「自殺」「他殺」と衝撃的な単語が手書きで書かれた札が置かれていることが日本人の間で話題になった。これをネット上で話題にした日本人記者やライター、一般人もたくさん出現した。日本人が騒いでいることが台湾のメディアでも取り上げられた。
ただし、日本人たちの説明は間違いとも言える、内容の浅いもので、非常にがっかりさせられたし、呆れてしまった。「自殺」はスイカやパイナップルを丸ごと買って帰り、自分で皮を剥いて、切り分けることで、「他殺」はお店の店員さんに皮を剥き、切り分ける処理をやってもらうことなのだが、この説明は間違っていなかった。しかし、ほとんどの人たちが「自殺」と「他殺」は台湾語であると言い切ってしまっていた。つまり自殺は台湾語でスイカやパイナップルを自分で切る意味だと書いていた。おそらく台湾人の店員さんに質問したら、これは台湾語表現だとしか説明を受けなかったのだろう。あるいはある程度詳しく教えてくれたけれど、台湾語がわからないし、台湾語に関する知識もないから、説明の意味がわからなかったのかもしれない。
「自殺」は台湾語でも日本語と同じ自殺の意味だ。果物を切り分けるという意味はない。スイカやパイナップルなど大きくて、硬いので切り分けるのが大変な果物を自分で切って処理するか、他人に任せるかという内容の台湾語を話すことはできても文字で書けない人が多いのである。この理由は台湾の歴史と台湾語自体の特徴に原因があるのだが、仮に台湾語の知識が豊富で文字で書けたとしても「自殺」「他殺」と書く方がインパクトがあり、面白いと思って、わざとそう書いた人もいるだろう。
台湾語でスイカやパイナップルなど切り分けにくい果物を切ることを刣(thâi=タイ)と言うのだが、この漢字表記を知らない人が多い。この刣(thâi=タイ)には他に屠殺する、殺す、切り傷を作る、削除するなどの意味もある。だからふざけて「殺」という文字に置き換えたのだ。また自分を意味する表現は家己(ka-kī/ka-tī=カキィ/カティ)だが、これも漢字で書けない人が結構いると思う。それで簡単に「自」という文字に置き換えたということだろう。その結果、それを目にした日本人はびっくりし、台湾人はニヤリと笑ったのだろう。
台湾語に関する知識があればこんなことはすぐに気が付くことだし、さらに台湾語を文字で書けない人が多いのは何故かという教育の話題にまで内容を広げることもできるし、台湾の歴史にも触れることができ、内容をより深く、アカデミックなものにすることもできる。
日常のこんな些細なことでも台湾語を知っている場合と知らない場合で日本人に伝える記事の内容の質に差が出てしまう。
台湾に長く住み中国語を上手に操れるようになった人ほど台湾語も必要だと感じても、いつまで経ってもなかなか学習しようとしないのは、つい中国語に頼ってしまうことや、すでに中国語だけで個人の仕事や生活、交友関係が成り立っているからだろう。でも残念だなあと思う。台湾語の知識がないと見えない、感じられない、知りようのない台湾の世界が絶対にあるのに。僕は中国語も台湾語も中途半端だが、中途半端でもある程度のことまで、どちらの言語でも話せることで、台湾生活を楽しんでいる。日本人が大人になってから外国の現地語をマスターするのは絶対不可能だと思っている。何か専門分野で高度な中国語の習得が必要だみたいな仕事や研究活動をしていないのなら、中途半端でもいいから台湾本土言語を何種類か話せるほうが楽しい生活ができるんじゃないかと思う。
また、中国語、台湾華語だけでなく、台湾語や客家語も学んでみたければ、同時に学習する方がいいと思う。中国語を先に始め、高レベルまで身につけ、すっかり馴染んでしまうと、台湾語や客家語の習得は非常に億劫になると思う。
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