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台湾の朝食、蛋餅(タンピン)

 台北市などの都市では朝食のための飲食店の選択肢は非常に多いし、朝食として食べる食品の種類も驚くほど多い。仕事に忙しい人だと、毎日の朝、昼、晩すべてを外食に頼っている場合も決して珍しくない。朝食専門店として非常に普及していのるが、1980年代に始まった、西洋風のハンバーガーやサンドイッチ、トーストなどをメインにし、一部中華式、台湾式の食品も売る朝食店だ。この朝食ハンバーガー店は、台湾にまだマクドナルドが進出する前から始まっている。また、この形態の店は、各地でフランチャイズ展開されている場合が多い。元々アメリカの野球場でのホットドッグ販売の真似をして、野球場でのハンバーガー販売を始めた台湾人が思いついたビジネスだ。野球場でのハンバーガー販売があまりうまくいかず、移動販売車によるハンバーガー販売に転向してから、朝食の時間帯にハンバーガーやサンドイッチの需要が多いことに気がつき、朝食専用の店舗の形態に変えてから成功したのが出発点だそうだ。

 この形態の朝食ハンバーガー店の定番として非常に定着している食品の一つに蛋餅(タンピン:中国語)というものがある。蛋餅の誕生は1949年以降、中国国民党に随って台湾へ渡って来た中国人老兵が、米食中心の台湾に小麦粉食品文化を持ち込んだことに始まる。元々は中国人が作る、あるいは台湾人が中国人の真似をして作っていた葱油餅(ツォンヨウピン:中国語=細切れのネギが多めに入ったもの)や煎餅(チィエンピン:中国語)、烙餅(ラオピン:中国語)などと呼ばれる薄型の中華式パイ(まんじゅうを平たくしたような分厚い形のものもある)に卵焼きを加えたものが原点のようだ。実は現在、朝食ハンバーガー店で販売する蛋餅は、鉄板に溶いた卵を薄く敷き、半分ほど焼いてから、その上に薄いクレープの皮のようなものを載せて一緒に焼き、焼き上がった後に一緒に丸めて、食べやすいように小さく切り分けたもので、昔の蛋餅とは外観が全く違う。

蛋餅(タンピン)

 1970年代以前、卵は一般庶民にとっては贅沢品であり、手軽に栄養補給ができるもの、また、卵を加えさえすれば、ジャンクフード的なものでも体にいいものに変わるとして、とてもありがたがられていた。卵が手に入ると、子供に栄養をつけるため、或いはちょっとした贅沢を味わうために、中華式パイに卵を加えたり、麺料理に卵を入れたりした。そして、豆漿(トウチィアン:中国語=豆乳、台湾語では、豆奶:タウリイェン:tāu-leng)や饅頭(マントウ:中国語=小麦粉を発酵させて蒸した中華式パン。台湾語では、バントー:bán-thô/bán-thô͘/bân-thô/bân-thâuなど人によって発音や声調が微妙に違う)などを売る中華式朝食店や屋台などでも、お金に余裕がある時はお金を足して、葱油餅や煎餅に卵焼きを加えてもらっていたそうだ。当時はこれを葱油餅加蛋とか煎餅加蛋、そして略称で蛋餅などと呼んでいたらしい。当初、中華式朝食店では葱油餅や煎餅は小麦粉のパイ生地から手作りし、丸めて一個分の固まりにしたものを大量に準備しておき、注文があるとそれを焼いていた。そして蛋餅の注文があると、鉄板や鍋に生卵を落として丸く平らに伸ばし焼き始め、その上に丸いパイ生地の固まりを載せて一緒に焼いていた。

古いタイプの蛋餅(タンピン)

 では、なぜクレープのような薄い皮の蛋餅が生まれたのだろうか。これには諸説あるようだ。中国人の作り方だとコストが高くなるので、経済的に苦しい台湾人がコストを下げようとして、安く作る方法を考えたのが、薄い皮の蛋餅の始まりだという話や、1980年代に生まれたフランチャイズ展開の朝食ハンバーガー店が普及させたのではないかなどの話しを聞いたことがある。

 こんな説もある。ある人が小麦粉に少し片栗粉かサツマイモの粉を加えると生地の食感が更に柔らかく、喉越しがよくなり、薄く糊状に溶いただけで焼くこともできることに気がついたというのである。そして、この、生地を手で捏ねなくていい簡単な方法が民間にあっという間に流行したという説である。片栗粉やサツマイモの粉は小麦粉より値段が高いので、経済的な理由ではなく、あくまでも喉越しをよくするというちょっとした贅沢を味合うためだったようだ。

 薄い皮の蛋餅が今のように朝ご飯の主流として勢力を伸ばしたことは台湾の経済発展と関係があるようだ。経済発展が始まった時代、すでに自分で蛋餅を作る暇な時間、つまり小麦粉を手で捏ねてパイ生地を作る時間や数種の粉類を混ぜ合わせ、水で溶いて糊状のパイ生地の素を作る時間はなかった。また早くも1944年頃には、機械メーカーから蛋餅の皮(生地)を快速に加工する機械が売り出され、それまで手作りしていた蛋餅の皮が大量生産できるようになっていたそうだ。同時に、朝食用食品の自動生産化が少しづつ始まっていた。更に冷凍・冷蔵設備も普及し、技術も進歩し始め、各食品メーカーはこぞって冷凍蛋餅皮の研究開発をしていたらしい。その後、どの家庭も冷凍の蛋餅の皮を買うことで、簡単な方法で朝ご飯を作ることができるようになり、フランチャイズ展開の朝食店市場にも導入され、この類の蛋餅が更に広まっていき、大衆の蛋餅の皮に対するイメージは、以前の厚いものではなく、軽くて柔らかく、卵の味がする薄型の皮というものに取って変わっていったようだ。

 蛋餅を食べる時に使うタレにはちょっと甘みのあるたまり醤油や海山醬(ハイサンチィアン:中国語)や甜辣醬(ティエンラーチィアン:中国語)と呼ばれるドロっとしたソースがよく使われる。ここで日本人には馴染みのない海山醬や甜辣醬の説明をしておこう。まず、海山醬は豆瓣醬(豆板醤)や味噌、辣椒(唐辛子)、胡椒、甘草(カンゾウ)、梅などをキメ細かくすりおろしたり、練ったりしたものを、水で溶いたインディカ米の粉と混ぜ合わせて、とろみを付けたソースだ。ソースの色は鮮やかな赤やピンク、黄褐色などであるが、添加される原料の種類や量によって多少異なる。特にトマトケチャップを追加することによって色味が増す。元々中国の福建人、広東人などが台湾に来た時に持ち込まれた調味ソースが、時とともに台湾独特の風味を持ったソースに変化したものらしい。また、元々の名称は海鮮醬であって、それが台湾人に伝わった後に海山醬に訛ってしまったという説や「海味山珍(海の幸、山の幸)」という表現から名付けられた名称だという説もあるようだ。

 甜辣醬(ティエンラーチィアン:中国語)のほうは海山醬から変化してできた一種の台湾版チリソースだ。主な原料はキメの細かい辣椒醬(唐辛子ソース)だ。各メーカーによって調合する材料や量は異なる。特に辣椒醬と砂糖の比率を変えたり、水で溶いたインディカ米の粉を使わず、CMC(カルボキシメチルセルロースナトリウム増粘安定剤)という食品添加物を使い、とろみを付けている製品もある。

 台湾式の薄い皮の蛋餅は、中国の食文化が台湾で改良されて生まれた食品と言えるだろう。しかし、薄い皮の中華式パイが中国になかったわけではない。中国でも台湾の中国人家庭でも、小麦粉を捏ねてパイ生地を作ってから焼く方法であっても、とても薄い形にする場合もあるし、小麦粉を水で溶いて糊状にしたものを直接焼いた食品もあるようだ。例えば、中国人家庭の中には卵と塩、砂糖、水、小麦粉を混ぜ合わせて作った糊状のパイ生地の素を鍋の中で円形状に伸ばしながら均等に敷き、両面をキツネ色になるまで焼く、攤蛋餅(タンタンピン:中国語)と呼ばれるものを作っていた家庭もあるそうだ。

生地に卵を塗りつけて焼いた蛋餅(タンピン)

 現在、フランチャイズ展開の朝食ハンバーガー店でも中華式の朝食店でも、台湾式の薄い皮の蛋餅にベーコンやハム、ツナ、油炸粿(イウチアクエ:台湾語=中華式揚げパン)などの別の食材を加えてもらうこともできる。そして、昔ながらの分厚い葱油餅(ツォンヨウピン:中国語)や、それに卵焼きを加えて蛋餅と呼ぶものを売る店が今でもある。また、卵を半分焼いてから、その上に葱油餅の生地を載せて一緒に焼くのではなく、生地を先に鉄板に載せて、その生地の上に生卵を塗って同時に焼く方法で作る蛋餅や、葱油餅を焼く時にフライ返しやトングといった調理道具で表面を引っ掻き、わざと切り裂いた形にした葱抓餅(ツォンツォアピン:中国語)というもの、中国の地方料理の烙餅(ラオピン:中国語)、筋餅(チンピン:中国語=葱油餅に似ているが、油の使用量が少ない。それを短冊状に切って重ねて販売している)などを売る店もある。

葱油餅(ツォンヨウピン)
中国黑龍江省風の筋餅(チンピン)
中国江蘇省徐州風の烙餅(ラオピン)
分厚く、大きなサイズで焼いた葱油餅(ツォンヨウピン)
北京料理店の高級な葱油餅(ツォンヨウピン)

 その他に、個人経営の店で中国江蘇省徐州市出身者が作る徐州烙餅(シュウツォウラオピン:中国語=米の粉や小麦粉などから作った紐状のものを束にし、揚げたものをクレープみたいな薄皮に包んで食す)や、非常に分厚く、大きなサイズで焼いた葱油餅を買ったこともある。そしてかつて眷村(中国出身の軍人、公務員とその家族が集団で暮らしていたコミュニティー)では葱油餅などのいわゆる煎餅を細長く切り分けて、それを肉や野菜、卵などと一緒に炒める炒餅(ツァオピン:中国語)、また、炒めるのでなく一緒に煮てしまう燴餅(ホエピン:中国語)といった料理が生まれ、それが昨今では代表的な眷村料理として話題にもなっている。







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