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エドガー・ドガ / メトロポリタン美術館
細川家の刀剣:浮股
細川家の刀剣:浮股について。
『綿考輯録』第二巻忠興公(上)より引用。
一色義有を討ち果たした時に使われた刀です。
この刀エピソード多くて全文引用すると大変なので、名前の由来だけ紹介します。
右一色義有御討果の御腰物は信長作長サ弐尺八分半計也、元来勢州より出たり、或時伊勢の海辺ニ而囚人の首を可刎との時、太刀取刀を打付候ニ、囚人うつ伏せ候而縄取を引倒し候ヘハ、縄取首被討落、囚人ハ前の海へ入て泳行を断ち取つゝひて飛込、両股をなくり落とすニより、刀の異名を浮股共波股とも申候
又胴九ツ同し様ニ切れ能落候て九ツ胴共申候
青竜寺にて忠興君御求、十四五歳ニ而御ためし被成、胴落候而一入御秘蔵有しを、頓五郎殿御所望被成故被遣しか共、今度御取返し被成候
ざっくり現代語訳
一色義有を御討ち果たしされた御腰物は信長作の長さ二尺八分半の刀である。元来勢州(伊勢)より出たものである。
ある時、伊勢の海辺において囚人の首を刎ねるべしとの時、太刀取が刀を打ちつけようとすると、囚人はうつ伏せの状態で縄取を引き倒したので縄取の首が討ち落とされてしまった。
囚人は目の前の海へ入って、泳ぎ逃げようとしたところを太刀取が飛び込み、追いかけ囚人の両股を落とした。
これにより刀の異名を浮股とも、波股ともいうようになった。
また、胴が九つ同じようによく切り落とせることから、九ツ胴ともいう。
青龍寺城にて忠興君がお求めになり、十四、五歳の時に試し切りなされ、胴が落ちたのを気に入り御秘蔵なされていたのを、弟の頓五郎(興元)が所望なされていたゆえ遣わしていたが、此度の事件で取返しなされた。
読み方ですが、浮股は『大日本史料細川家史料』の忠興の手紙では「うきもも」と書かれています。
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