栗城史多は、誰?―下山家と呼ばれたある男の話

表題は2018年にエベレストの山中で帰らぬ人となり、その後おこなわれた追悼展のタイトルです。

"栗城史多は、誰?"

彼のキャリアについて、当人の語ったように素直に表現するならば「七大陸最高峰の登破を目指し、最後の一峰となるエベレストに八度挑み続けた登山家」という人物のはずなのですが、追悼展を行った主催者が選んだタイトルはこのような意味深なものでした。
これにはもちろん理由があり、彼を取り巻くさまざまな事情を秀逸に表現したものだと思っています。
亡くなってからそろそろ三年の歳月が経とうとしており、世の記憶からはずいぶんと薄れつつありますが、私の心の中ではいまだに彼の死について整理のついていないところがあり、できれば多くの方に共に考えていただきたいと思い、本稿にまとめることにしました。

ファンとアンチ

彼は日本人なら誰もが知ると言えるほど有名な人物ではありませんが、地上波で幾度かドキュメンタリーが放送され、毎年エベレストに挑戦する時期にはネット上で話題になることも多かったので、多少なりとも登山や冒険に興味のある方の間では、良くも悪くも名の知られた存在でした。
良くも悪くも。この点が彼の特色であり、その活動を追いかける視線はいわゆる"ファン""アンチ"に明確に二分されていました。

彼が活動の理念として発信し、キャラクターとして打ち出したものは以下のようなものでした。

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元ニートの登山家が世界最高峰であるエベレストの単独無酸素登頂を目指し、その冒険を皆と"共有"したい。
自身の挑戦を通じて(自己)否定という壁を無くし、見えない山(夢・目標)に登る人の支えになりたい。
NO LIMIT。自分を否定するのは自分自身。そんな否定の壁をぶち壊そう。
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たいへん立派だと思いませんか?
あまり登山家らしくない物腰柔らかな雰囲気から発せられるこんなメッセ―ジには、多くの人の心を惹き付けるものがありました。

このような前向きなメッセージを素直に受け取って共感し、応援していたのがいわゆるファンの側の人間です。

一方で元々の登山・冒険がお好きな方の多くには、もはやアンチを通り越してほとんど「断罪すべき人物」として扱われていました。
理由を挙げるなら、大きくは次の二点に集約されると思います。

①エベレストに挑戦する"素人"
あなたは日本で一番高い山をご存じですか?そうです、もちろん富士山です。
それでは日本で二番目に高い山の名前を言えるでしょうか。
正解は北岳です。もしもあなたが友人から「休日に北岳に登ってきた」と報告されたらどう答えますか?

これが登山の愛好家たちがエベレストに憧れ、登頂を夢見る理由です。
世界で二番目に高い山はK2で、登頂難度も危険性もエベレストよりずいぶんと高いのですが、K2登頂が偉業だと伝わるのは登山をよく知る者の間でだけなのです。
なにかの一番であることは非常にわかりやすく、強力で魅力的なアピールになることは誰にとっても理解できるところだと思います。

であるにも関わらず、実際にエベレストの頂を踏んだ人間が限られているのはなぜでしょうか。
それは挑戦することが難しいからです。
技術や体力は元より、時間(現地入りから登頂まで3か月以上)と費用(一人あたり500万~1,000万円程度が必要と言われています)を捻出できる者はそう多くは無いでしょう。
更には命を落とす危険性も高いとなればなおさらです。

100m走の世界記録保持者であるウサイン・ボルトに嫉妬をおぼえる日本人は多くないと思いますが、それは誰でも平等に挑戦できる競技で記録を残しているからで、登山の場合は実力をお持ちの方ほど「機会さえあれば自分だって」という思いが強いはずです。
そんな実力者たちを差し置いて、登山家としての能力がひいき目にもプロとは呼べない水準にある彼が幾度も挑戦と敗退を繰り返す姿は、多くの嫉妬を買ったものだと思います。

②単独無酸素という"ウソ"
彼は七大陸最高峰をすべて単独行+無酸素(酸素ボンベを使わずに)で登頂するという目標を掲げ、エベレストを除く六峰をすでに制覇していました。
登山の世界をよくご存じない方には、ただ登るだけでは飽き足らず、なにか偉大な記録を打ち立てようとしている……そんな印象を受ける言葉ではないかと思います。

ですが、これはある種の言葉のマジックで、実は酸素ボンベの使用が有効となるのは標高8,000m以上の極めて大気の薄い、デスゾーンと呼ばれる世界でのお話です。
七大陸最高峰のうち、エベレストの次に標高が高いのは北アメリカ大陸のデナリ山(6,190m)ですので、酸素ボンベを使用して登ろうとする登山家はそもそも存在しないのです。
つまり、登山の世界に明るくない方にはわからない形で、尾ひれをつけた自己PRを行っていたわけです。
そして肝心のエベレストの単独無酸素登頂…これについては始めから実現するつもりがなかったことが明らかにされています。

「エベレストを登頂した」という記録は、こちらの映像にあるベースキャンプと呼ばれる場所(5,300m地点)から出発することが認められているため、登山隊を組んでキャンプに物資を運びこみ、ここから頂上を目指すことになります。
そして、単独行が認められるのはこのベースキャンプを出発してからは他者の手を借りずに頂を踏んだ場合なのですが、登山の世界ではこの単独行について非常に厳格な規定が定められています。
自身の手ですべての荷揚げを行うのはもちろんのこと、他の登山隊が設営したロープやはしご、打ち込んだスクリューに至るまで、一切を使用してはならないルールになっています。
つまり、事実上その年はまだ誰も挑戦していないルートを選択しなければいけないという事なのですが、彼は最後まで他の登山隊と共通するルートを選び、先発隊の工作した道筋にそって登頂を試みていました。

それでは"単独"とは呼べないと幾度も指摘を受け続けてきたにもかかわらず、彼は一切スタンスを変えることがありませんでした。
登山の世界のルールを守らず、平然とウソをつきながらエベレストに挑戦する素人…嫌われる理由と正論を振りかざせるルール違反が組み合わさった結果、ネット上ではいわゆるアンチと呼ばれる人々からバッシングを受け続け、プロの登山家からは「彼は登山家ではない」と黙殺され続けることになってしまいました。

登山家か、パフォーマーか

ここまで述べてきたように良くも悪くも多くの注目を集めながら、彼の活動は始まりました。
エベレストへの初挑戦、そして登頂失敗にもめげることなく、半ば恒例行事のように毎年挑戦し続け、敗退を繰り返しました。
はじめのうちはファンもアンチも彼の挑戦をどうなるものかと熱心にチェックして「さすが世界最高峰、簡単にはいかないね。だけど、よくがんばった!」と好意的に応援し、あるいは「そら見たことか、お前なんぞに登れるような山ではないのだ」と留飲を下げていたのですが、それが四年目ともなると次第に雲行きが怪しくなってきます。

"冒険の共有"をうたい、エベレストからネット配信を行うライブ感を売りにしていたはずが、なにかと理由をつけて年々減ってゆく配信。
なんども敗退を繰り返しているのに、翌年もまた同じ行程をなぞるように敗退。努力や成長、工夫の跡が見られない。
極めつけに、敗退を繰り返しているにも関わらず、四度目の挑戦は難易度の高い別ルートに変更することが発表されました。

なぜ?誰もが不思議に思い、そして疑いが生まれました。
「もしかして、この人は初めから登頂するつもりが無いのでは?」
理由は明白。敗退こそ繰り返しているものの、毎年誰もが知るような大企業がエベレスト挑戦のスポンサーにつき、オフシーズンは自己啓発セミナーの講師として多忙な日々。登山家としてはともかく、社会的に見れば十分な成功をおさめていると言って良いでしょう。
もしも登頂に成功してしまえば、いまの立ち位置やキャラクターを変化させる必要が出てくる…それならば上手く行っているうちは、と考えても不思議ではない。
この時点では私も多くの方と同じように、いくら彼でもそこまではするまいと考えていましたが、四度目の挑戦に敗退し、大きなアクシデントが起こりました。

エベレストで負った凍傷の治療経過
※非常にショッキングな写真が含まれています。見ないほうが良いです。

登山中に重度の凍傷にかかり、両手の指が九本、第二関節から先が壊死してしまったのです。
真っ黒にミイラ化し、ぐらぐらで取れかかった指は素人目に見てもどうにもなりそうにない状態なのですが、彼はどうしても諦めきれなかったようで、丸一年ものあいだ先端医療からいかがわしいものまで、あらゆる治療法を試し続けました。

帰国直後にはさほど気落ちした様子もなく、いつも通りに明るく報告を行っていたので、私は「指を失うなんて大ベテランの登山家みたい。栗城くんのことだから、きっと講演で語るエピソードにハクがついたと思っているんじゃないか」と考えていました。
しかし実際の彼はどうやら現実を受け入れることができず、ひどく落ち込みながらもミイラ化した指が元通りになると強く信じているように見えました。
そんないつものキャラクターを保つことさえできなくなった姿に、私はようやく彼の内面をいくばくか理解できたような気がしました。

おそらくこの当時の彼はこう思っていたでしょう。
「こんなはずじゃなかった。こんなひどい目に合う覚悟なんてどこにもなかった」
これこそが彼の登山に対するスタンスではないかと。

目標を達成するよりも無事に帰ることが至上であり、そのためには全力を尽くすべきだが、山ではなにが起こるか誰にもわからない。己の身に起こったことをすべて受け入れる覚悟のない者は、この領域に足を踏み入れるべきではない。一流の登山家・冒険者たちにはそんな気概を共通して感じられます。
しかし、彼の場合はそうではありませんでした。ビジネスか、ショウか、あるいは本心から誰かの"否定の壁"を無くしたかったのか。いずれにせよ、彼にとってのエベレストはたまたま舞台として選んだ場所に過ぎなかったのだろうなと、私は考えています。

そして閉幕へ

指の治療中も常々エベレストへの復帰を口にしてはいるものの、私はなんとなくこれは良い切り上げ時で、おそらくもう登山家は終了だろうなと思っていたのですが、一年かけてようやく指の切断手術を決意してリハビリを済ませ、2015年から挑戦が再開されました。
あいかわらずルートの核心にもたどり着けずに敗退する姿は、やはり登頂の意志を感じさせるものではなく、"下山家"なる揶揄はこのころから定着したものだと記憶しています。

ちょうど同じころ、太いまゆ毛を描いたタレントが登山に挑戦する人気のテレビ番組が放送されていました。
「私は素人だから。山の魅力なんてわかんねえし」
「楽しいとも思えないけど、まあ仕事だから」
そんな本音のように思えるあれこれをぼやきつつも、努力と体力、気合と根性で名だたる山々に挑む姿はたいへん感動的で、栗城くんの思い描いていた"冒険の共有"の理想像はこういうことだったのかなと、なんともやるせない気持ちになったことをよく覚えています。

一方で栗城くんの方はと言うと、同じような敗退がふたたび毎年の恒例行事になり、暖かく応援していたファンの側からも苦言を呈されることが増え、もはや現地からのネット配信も行えているとは言い難い状況で、興行の規模は年々こぢんまりとしていきました。
2018年、八度目の挑戦はかつてなく小規模に始まり、彼自身が直接は口にせずとも、言葉の端々から今年で終了する事実がにじみでていました。
例年通りに登頂の可能性を感じさせることなく敗退の報告があり、あまりにも予定調和的な内容に「これで終わりかあ。最後だから今年こそは本気を出すかと思っていたんだけど。さて、どんな風に店じまいをして、これからどうするのかな」と今後の展開を楽しみにしていると、翌日にこんなニュースが飛び込んできました。

「登山家の栗城史多さん エベレスト下山中に死亡」

正直に言って、我が目を疑いました。
海外でも単一のサイトで小さく報じられているだけなので、誤報かもしれない。まだ事実と決まったじゃない。
しかし、残念ながらその翌日、氏の事務所より正式に遭難死との発表がありました。

遺された罰

下山中の滑落死。なんともあっけない幕切れが訪れ、ファンの側の方々はある種のお約束的な追悼の言葉を口にしていました。
「残念だけど、亡くなったのがせめて冒険の最中で良かった」
「今までありがとう。たくさんの勇気をもらえました」
彼の活動の実態を少なからず知る者にとっては少々的外れに思えますが、彼が見せようとしていた表の顔、いわば登山家の偶像に対してはふさわしい言葉であるように思えます。

一方でアンチの側はと言うと、あれだけバッシングを繰り返していたにもかかわらず、非常に気まずい空気が流れていました。
「そら見たことか、だから言ったのだ。山は劇場ではない。いつかこうなることはわかっていた。栗城が命を落としたのは、彼をノセたファンたちのせいだ」
SNSから登山関係のメディアまで、論調の大勢はおおむねこのようなもので、私はとても意外に思いました。
どれだけ嫌おうが、それがアカの他人だろうが、人の死を喜べる人間というのはそれほどいないものなのだなと。それどころか、後味の悪さ、決まりの悪さをより味わっていたのはファンよりもむしろアンチの側のほうでした。
エベレストの危険性をよく承知していて、いつか起こるかもしれなかった事故を現実のものとして認識していただけに、それを知りつつも事態を止められなかったことに罪悪感があったということですね。
私もそのうちの一人です。彼の動向を形はどうあれずっと楽しみ続けていただけに、今でもずっと心に引っかかり続けています。

栗城くんの死はいったい誰の責任か?
もちろん最終的には彼自身の責任に他なりませんし、その点は曲げてはならない事実です。その上で、それでは他者に一切の責任は無かったかと言うと、違う話になると思います。
彼を登山家に仕立て上げたメディア、挑戦の継続を求めたファン、危険性を知りつつも最後まで制止できなかったアンチと登山界隈。彼の死はそのすべてが組み合わさった結果として起こった出来事であると私は認識しています。
そして、あの時自分がああしていれば、誰かがこうしていれば、そんなたらればで防げた事故でもなかったと思います。

我々に出来ることは、誰もがその原因の一端を担ったことを受けとめ、こうして引き起こしてしまった事実から学び、せめて第二第三の栗城くんを産み出さないことでしょう。
この記事がそのささやかな一助となれば幸いです。

私にとっての栗城史多

起こってしまった事実についてはここまで述べてきたとおりです。
以降は個人的な思いを書き記しておきます。

結果としてはこんな事になってしまいましたが、私は彼のことを無意味に命を落とした愚か者とは決して思っていません。
エベレスト登頂こそ達成できなかったものの、何度も海外に足を運んで六大陸の最高峰を制覇したことは事実です。そして、あれだけのファンやスポンサーを集め、エベレスト登山を事業として成立させた手腕と行動力。どちらもとても真似のできない事です。
それがたとえ誠実さに欠ける方法だったとしても、一部の人の心を打ち、勇気や感動を与えていたことも事実です。

一方で、登頂のための努力はなぜか最後まで拒み続けていました。
実際に登頂する気が本当にあったのか、その理由や事実は想像するしかありませんが、どちらにせよ肉体や技術を磨くトレーニングはほとんどされていなかったようです。
そんなチグハグさに人間的な魅力を感じ、不思議な共感をおぼえていました。

彼の失敗は、その活躍の舞台に山を選んでしまったことに尽きると思います。例えば芸能人、例えばビジネス、世界を見わたせば"虚構の人格を作り上げる"ことで成功を収めている人間はたくさんいます。
そんなフィールドを選んでいれば、彼はきっと同じように成功し、そして仮に失敗しても命を落とすことはなかったと思います。

エベレストの登山を終えて、次になにを成そうと考えていたかは知る由もありませんが、私は栗城くんが別の世界で活躍する未来を心から楽しみにしていました。残念です。

故人の安らかな眠りをお祈りします。

参考

活動初期に共にお仕事をされていた方による書籍。
真実や真相を明らかにするジャーナリストの視点ではなく、コンセプトに事実を当てはめていく描き方である点にテレビ屋さんらしさを感じますが、読み物としては面白いと思います。栗城くんの人物像をもっと知りたい方に。

栗城史多まとめ @ ウィキ
登山家としての活動は、こちらから知ることが出来ます。
アンチ側の視点によるまとめですが、事実を元に彼の言動を探っている点にある種の誠実さを感じられます。

チーム栗城オフィシャルサイト
追悼展などの告知が時々あります。

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