何故オタク系非モテはナンパ師やキラキラ女子等に殴られるのか?

結論から先に言えば「同族嫌悪」です。

彼らはことあるごとに様々な理由でオタクの空気の読めない言動やキモさを槍玉にあげ、「だから貴方は非モテなのだ!」と結論付けます。
対して、彼等は自らが如何に異性とパコる方法論を確立し実践してるか?を語りますが、ナンパ理論にしろ恋愛工学にしろ錯覚資産にしろ言ってることは全て「自分の気持ちに対して評価を求めるのをやめろ!評価のために気持ちをのせずに行動しろ!」の言い換えに集約されます。
またキラキラ女子等の言ってることも、凡そは「貴方の気持ちなんでどうでもいいから、こちらの求める行動して」の言い換えに集約されます。

一方でオタクは良くも悪くも観念的で、自らの信じる正義や誠意そういったモノに忠実であろうとする人種だという印象です。
その為、オタクは例えば異性のアプローチ的なモノにしても誠意をのせ、正しい手続き(告白→付き合う→パコる)を踏まえようとします。
それ自体は美徳ではありますが、一方でそれは「まずは自分の要求(自分の誠意や手続きを押し付け、受け入れてもらおうとする)を通そうする、自己防衛に必死な方w」とも捉えられます。
これがオタクとナンパ師やキラキラ女子の軋轢の元であり、ナンパ師やキラキラ女子は「自分のことばかり気にしてる!」とオタクを叩き、オタクは「それの何処に誠意があるんだ!」と叩きます。
両者とも「性愛にコミットすること」について論じているにも関わらず、話は全く噛み合いません。
何故こうなるか?といえば、実はどちらも純粋に自らが会得した「観念」を信じ、その信仰心を表明してるからです。
要するに、インターネットの非モテ論争は愛を題材にした「神学論争」であり、両者ともに「貴方の信仰する神に従っても、自分は救われない」と主張してるという構造です。
では何故、オタクはナンパ師やキラキラ女子の理論に従っても救われない(と思い、反発する)のでしょうか?
その理由は…

自分を受け入れて欲しいのに、自分を捨てろ!?

非モテのオタクの苦しみはセックス出来ないことではありません。
何故なら、セックス自体は現代社会においてはいくらでも手に入るからです。
インターネットには大量のポルノが流れてますし、性風俗産業もありますしセックス自体が手に入らないなんてことはありません。
最近はアダルトVRだのセクサロイドが話題になり、それによってセックスの価値が暴落する!と論じる方々もいますが、そもそもセックス自体には既にそこまでの価値はないのです。
現に例えば昭和時代に生きてた方々にとって、今のインターネットやエロ同人やAVの興隆は夢みたいな状況だと思いますが、それによって性愛を巡る社会は変わったか?というと、そんなことはありません。
要するに彼らが求めてるのはセックスではなく、セックスを通じて得る「自分の存在が異性に性的に承認された」という成功体験による自己肯定感です。
言い換えれば、ある種の通過儀礼を求めているのであり、儀礼にはその手順や祈り自体に意味があるので、ナンパ師やキラキラ女子のうそぶく方法論とは根源的に相容れません。
では何故、ナンパ師やキラキラ女子はオタクの苦しみを断罪しようとするのでしょうか?
その理由は…

みんなが欲しがるものを欲しいから

ナンパ師もキラキラ女子もその主張を要約すれば「自分は世の中から好ましいと思われてるものを手にしてる」に尽きます。
みんなが欲しがるものを手に入れた…というのが主張の根幹なので、それを成り立たせるには「みんなが欲しがってる」と「欲しがっても手に入らない方がいる」という前提が必要になります。
極端な話、みんながみんな高級ブランドを身に着けてる世界では、高級ブランドは高級ブランド足り得ません。
(とりあえず本当に満ち足りてる方は、それをわざわざ他者にどう見られるか?を意識しませんし、インターネットで叫んだりもしませんので、言及自体がある種欠落の証明となっています。)
高級ブランドがその価値を維持する為には、「みんなに欲しがられてるけど、手に入る人は少ない」という幻想が必要です。
それと同じ構造がセックスにもある為、彼等は自らが性的強者であるこを積極的に自慢します。
しかしながら、オタクはある種営利的に自我を削って得たセックスに価値を見出せません。(どころか儀礼の価値を減損するとして嫌悪感を覚える)
「単にセックス出来そうな異性を見つけて、相手の望むピエロを演じて、相手の隙をついてセックスしてるだけやんw」は嫉妬云々ではなく、オタクはそのようなセックスに性欲を満たす役割はともかく、儀礼としての価値は感じれないのです。
(ただ観測者の論理的に問題のある行為が、本人にとっては利益をもたらすこと自体を否定したり、利益自体を無価値とするのは願望の話だと思います)
異性の承認を「セックス」におくか、自らの「誠意」が受け入れられたことに置くか…この軸が両極端によってるが故の軋轢です。

ここまでは、オタクとナンパ師やキラキラ女子の「違い」をあげつらいましたが、実は…

根っこは同じ「観念信仰」

ナンパ師やキラキラ女子や一部のオタクが語る異性は、とにかく露悪的でエゴイズムに満ちてます。
男はヤレばよく、性欲を滾らせていて女を見下し、容姿で判断し内面を求めない。
女は男の年収、容姿、地位、権力などの表層的なポジションに惹かれ、男の内面を求めない。
…しかしながら、こうした女性像や男性像はミソジニーやミサンドリー、あるいはタダの被害妄想と言い切ることは出来ない面があると思いますし、彼等の主観では異性のアレコレが真にそのように見えているかと思われます。
この認識が何処まで正確か?は別として、そういった異性観を持つ方々にとって「異性を上手くコントロールし、利益を引き出せた!」というのは、とても魅力的に映るでしょう。
なにしろ自分の考えの正しさを補強し、またそういった「建前と本音」なるモノへの復讐にもなるのですから。
ナンパ師やキラキラ女子のやってることは「自身の世界観に合う異性を選別し、その醜悪なる本音の確認」に尽きます。
彼等はセックスしようとしてるのではなく、自身の世界観に沿って異性の醜悪さを露呈させ、それに対して復讐した証としてナンパ師ならば「セックス」、キラキラ女子ならば「貢がれる」を入手しているのです。
そして否定してはいけないのは、「事実として、そういった世界観に当てはまる異性は一定数存在し、尚且つソノ醜悪なエゴイズムを利用した手法には有用性がある」という点です。
事実として存在するが故に、このような異性の本音なるモノや手法の有用性を単純に否定しても無意味ですし、それどころかますます「だから非モテなんだ!」となるだけでしょう。

何故、そう極端な話になるか?と言えば、要するに彼等は「純粋」なのです。

建前を認められないから、本音の部分のみにフォーカスを当てています。
これは本音を認められず、建前のみを重視してソレを求める非モテ系オタクのまんま裏返しです。
どちらも根っこは「自身の内にある結晶化した異性観のみを見て、それを自他や周囲の軋轢で流動させるのを拒んでいる」ということです。
オタクが性愛にコミットしつらい理由を、私は前述したように「自身の内にある誠意や正義を重視し、ソレに沿って相手と性愛を結ぼうとするが、相手からしれみればソレは自分の押し付けに見える」とみてますが、ナンパ師やキラキラ女子も「自身の内にある正しさ」の奴隷であるのは変わりません。
なにしろ順序を逆にして正しさを定義し、それを補強し続けてるだけですので。

どちらも流動的に物事を認識出来ないが故に「愛」という概念に騙さているのです。

ナンパ師やキラキラ女子が非モテ系オタクを殴ってくる理由、それは表面上はマウンティングだが、根本は否定による自身の正しさの確証を得たい…つまりは同族嫌悪。
ここまで長々と書きましたが、要するに「イキリオタク」の一言です。

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