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半沢直樹の脇役のつもりで、校長先生に手紙を書いた。

最近、noteに重量級の話題ばかり書いているので、心配した学生時代の友達数名から連絡がきてしまった。ごめん。心配させて。ありがとう。でもこうやってnoteに書くことが私の生きる支えになっていて、今日も私は生きています。

そのうちの1人が、ニンタの給食について、本当にどうにかならないのかと、我が事のようにイライラとしてくれた。

「私ももう、交渉する元気がないんだけど、次に校長先生に会ったら、何事もなくオホホと笑って話せる自信はないから、何か抗議してしまう気がするし、そうしたら絶対泣いてしまうし、校長室で泣く親になりたくないよ」と言ったら、「書いたらいいんじゃない?」と言ってくれた。

そうか。こんなに書くことに依存しているのに、それを思いつかなかった。

その日のうちに、すぐ校長先生への手紙を書いた。noteに書いた内容をものすごく希釈して、ものすごく短くして、失礼のない言葉にして、普段の感謝の気持ちも伝えた上で、「もうこれで承諾するけれども納得はしていなくて、いつか何か機会があったら考え直してほしい」という旨を書いた。それでもA42枚分くらいになって、果し状みたいになってしまったな、と思った。

最近、ドラマ「半沢直樹」を見ている。半沢直樹が国家権力と対決する回で、主役の頭が切れて勇敢で、その姿が痛快なのはもちろんなのだけど、前回の放送では、ある1人の脇役がツイッターで話題になっていた。半沢直樹とは違う銀行の一社員の役で、何もできないけれども冷や汗をかきながら、先陣を切って政府にギリギリの抵抗をする姿に、拍手が送られたのだ。

私も、あの場面は思うところがあった。半沢直樹は、自分を含めた一人一人をネジに例えて、「一本のネジであっても、間違った力には必死で抵抗する」と言った。

私も、半沢直樹になって戦いたいが、その力がない。でも、「障害者が権利を主張する」ということを諦めたら、それが当たり前の世の中になってしまう。何より、今どこかで戦っている半沢直樹に申し訳がない。

私も、一本のネジになりたい。

そういう思いで、校長先生に手紙を書いた。私の体調が悪いので、お返事はいらない、と書いたので、読んでもらえたかどうかもわからない。でも、これが私にできる精一杯の抵抗だった。

友達はありがたい。私に手紙を書くきっかけをくれた。

そして、物語もありがたい。半沢直樹は、もう過剰演出に笑って楽しんでください、というサービス精神を過分に感じるのだけれども、そんな中でも、こういう分かりやすく心に届くメッセージも入っていて、私にも勇気をくれた。

しかし、この手紙を受け取った校長先生もまた、組織の中の一本のネジかもしれず、ドラマのような展開はむずかしいだろう。

でも、それが世の中というものだよ、と、私は諦めない。半沢直樹はこの世に存在しない、架空の人物だ。一方で、ガチガチに固まった組織や、権力によって右へ左へ動かされる理不尽は、この世に本当に存在する。けれど、半沢直樹に拍手喝采している人たちも、この現実世界に存在するのだから、希望はあるんじゃないだろうか。あのドラマを見て、共感するような人物、志を持つ人に、いつか私の気持ちが届くかもしれない。

ニンタの給食の件は、こうして種だけ蒔いて、終わりにする。私の精神衛生上の問題で。いつか気がつかないうちにどこかで芽吹いたらいいが、もう関わるのは意識的にやめにしよう。私や私の家族には、もっと大切な問題が、たくさん待っているのだろうから。

さあさあ、負けた負けた。次の戦いにでかけよう。

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