世間のスピードについていけない
知的障害のある2番目の子、ニンタの学校ことでモヤモヤとしている。
小学校が始まることになり、私は不安でいっぱいだった。勉強についていけないことは、もうよくわかっているが、その他の生活がどうなるのか、全く想像がつかなかった。
先生たちは皆、熱心である。ニンタがやりたくない、と言ったことは無理にさせないし、出来ることはなるべく手を貸さずに見守ってくれる。
ニンタに学校で何をさせるか、ということは、「ニンタの意志」を基準に置いているらしかった。そして、ニンタは国語や算数の授業は個別で受けているが、その他の給食や体育、音楽などは、みんなと一緒に行動している。
ニンタは運動能力も3歳程度しかないとリハビリの先生に言われている。ヨタヨタと歩くニンタが、子供たちが大勢いる廊下を、ぶつからないように避けながら、こちらに歩いて来るとき、私はニンタが戦場にいるような気持ちになった。
小学校の先生は、「この数ヶ月で、ニンタさんは出来ることがすごく増えました!ニンタさん頑張っていますよ!」と、とても嬉しそうに報告してくれる。
それなのに、なぜか、私は喜べないのだ。
ニンタがイヤイヤやっているのではないことはわかっている。嫌ならテコでも動かないのがニンタだ。だから、このまま見守るしかないとは思うのだが…。
自分が小学生のときも、上の子のいっちゃんのときも、気づかなかったが、学校というものは、とてもせわしないスケジュールだと思う。体育だといえば着替えてグラウンドに飛び出し、音楽だと言えばリコーダーやらを準備して音楽室へ移動。給食は、どんなに素早く準備しても、食べる時間は20分しかない。
私は小学生のとき、そういうせわしなさは、特に苦ではなかった。どちらかというと、せわしなくしている方が好きだった。
でも、この6年間で、ニンタのゆっくりな生活に慣れてしまったので、小学校のスピード感で生きて行くニンタが、不憫に思えてしまうのだ。手先も不器用だから、着替えるのも、荷物を支度するのも、とにかく、ゆっくりだ。階段の上り下りもゆっくり。靴の履き替えもゆっくり。ランドセルなどという重い荷物を背負うのも初めてだ。でも、みんなについていかなければいけない。毎日の移動だけでクタクタになっていると思う。
ここまで、させなくてはいけないのだろうか。
「障害のある子の親は、手を焼きすぎる」。私はいつか聞いたこの言葉を頼りに、じっとこらえて見守っているが、頑張っているニンタをどうしても喜べる気持ちになれない。
学校の先生に、そう伝えれば、もっとニンタがやることを減らしてくれるのはわかっている。でも、それが正しいとも思えない。
私は、ニンタに自分を重ねているのだろう。もう頑張りたくない、でも子育ては毎日続く。時間が流れていくから仕方なく動く。そんな自分だから、ニンタも、みんなが動いているから、動かざるを得なくて動いているように見えてしまう。
知能も運動能力もかけ離れている集団で過ごすということは、こういうことなのだ。戦場という例えでなく、スポーツ留学している選手だと思ったらどうだろう。自分よりはるかに優れた選手と練習することで、得るものは大きいだろう。
だから、ひとつだけ、現実的な心配事としては、「本当にこんなハードな生活を、ニンタが続けられるのか」ということだと思う。その見極めは難しく、ニンタが「もう嫌だ」と言うか、態度に出るまで待つしかない、ということになる。そのときが手遅れでなければいい、と思う。学校そのものが嫌いになってしまって、居場所がなくなってしまう前に、方針を転換したい。
もちろん、学校そのものを諦めてもいいのだけれど、こんなに熱心にニンタと向き合ってくれている先生たちとお別れするのは、やはり惜しい気がする。
こんなとき、ニンタともっと深い話ができたらいいのに、と思う。ニンタの表情や身振りで、なんとなく気持ちはわかっているつもりでいるが、ニンタの口から「体育の移動も嫌じゃないよ」とか、細かい話まで聞くことができたら、安心できるのに。
療育や保育園で、できることだけをやっていれば良かったときとは、ガラっと環境が変わった。ニンタが対応できるかどうかも未知数だが、私がこの環境に慣れるかどうかも、まだまだわからないなあ、と思う。
親の心配はよそに、ニンタは、毎日いろんな先生に褒められて、張り切っているように見える。しばらく、私は肝を冷やしながらついていくしかなさそうだ。
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