ほかほかの暮らしを選んだ
夫と別居した。
ここ2年ほど、私を悩ませてきた問題に一区切りをつけることができた。
うちの2番目の子には、障害があり持病がある。少し大変ではあるけれど、病気には対処法があるし、障害があってもゆっくりと成長し続けることが出来る。
だから、この問題は家族の在り方が強固なら乗り越えていける。問題は、その家族の関係が脆弱であることなのだと、私はずっと思ってきた。
夫婦の問題というのは、それぞれに言い分がある。夫にも問題があると思うけれど、私も相当にポンコツな妻だ。
だから、私は夫がどうとかそういう事を声高に言える人間ではなく、別居は、私が私を守るためにした選択だという、ただそれだけの事だ。
何が起きてもどっしり構えて動じない、私がそういう大きい人間だったら違う選択になったのだろうけれど。私はそうではないから。
◇
よく、「それは一発で離婚だね」などと言われてしまうような失言や言動がある。夫もその手のやらかしが今まで何度もあったけれど、現実というものは、なかなか一発では離婚にならない。
その後、フォローしたり、挽回のために努力することができれば、夫婦なんていくらでも続けられるんじゃないかと、私は思っている。
そして今回はもうダメだった。夫婦共、許す体力も、許されるための労力も、差し出すことが出来なかった。
それが2年前。私は行き場がなくてnoteを書き始めた。
noteは主に、こどもについて思うことを書いたけれど、それは生活の2割くらいのことで、私が主に心を砕いてきたことは夫婦関係だった。
そういう人はいくらでもいると思う。書くということは自由に取捨選択ができる。
◇
書くことでなんとか正気を保った。そしてある日思った。
今は生きる気力もなく毎日を過ごしているけれど、でも私はもう40年以上生きたし、好きなこともやって、残りの人生はどうなってもいい。でも、こどもたちはダメだ。母親が廃人のように暮らしていて、「それはそれとして」こどもたちが幸せな人生を歩むというのは、相当な力がいる。
そして、こどもたちも、いつか挫折する時がくる。その時のためにも、人はやり直せるという所を見せなくては。親として、立ち上がる所を見せなければ。
そういう思いで、私は行動に出た。
◇
夫には夫の意思があり、考えがある。別々に暮らしたいという申し出は、相手にされなかった。そこで私は、1人でこども3人を連れて家を出る準備をした。
幸い、親戚の家が空き家になっていて、誰でもいいから住んでと言われていた。転居先はそこに。親戚も近くに住んでいて、土地勘もある。
夫に秘密裏で行動するのはガタガタ震えるほど怖かった。専業主婦で仕事もないくせに、こどもを連れて家を出るなど、とんでもないことだ。
でも、家族が幸せになるためにはやるしかない、と思った。このままで居ていいわけがない。
一番心配だったのは2番目の、障害のある子の事で、転居先の教育委員会や小学校の先生としっかりと話し合った。支援級の教室も見学させてもらい、ここなら今と同じように子をお願いできるという安心感があった。
3人の転校先、新しい住まい、諸々の手続き、全て下調べをして、私は夫に出ていくことを告げた。
夫はもちろん反対したが、止められないという事がわかると、「自分が出ていく」と言う。こどもを転校させたくない、という気持ちは私もあり、承諾した。
◇
そして、半年ほどかけて別居生活の取り決めをした。夫が家の近くにアパートを借り、こどもたちにも「おかあさんは、もっと頑張りたいから、おとうさんと別々に住む」と宣言して、現在に至る。3人の子は、あっけないほどすぐに納得した。
別居が始まって間もないので、まだ探り探りだけれど、特に問題は起こっていない。土日になると、小さい下の2人が代わる代わるアパートへ遊びに行く。新しい秘密基地が出来たようで、楽しんでいる。
一番上の子は、一度部屋を見せてもらっただけで、まだ静観、という感じ。
さて、このおかしな家族のカタチは、今後どうなっていくのだろう。
◇
とにかく、私が生き直して家族に平和をもたらすためには別居しかないのだと、そこのゴールに向かってひたすら進んできた。
やっとそこに辿り着いて、その先を考える。今の生活費は夫が出しているけれど、今後どうなるかもわからない。籍もこの先どうするのか。
でも、将来の不安に潰されては本末転倒だ。こどもが金銭面で進路を諦めないように最大限努力する。あとは毎日を賢明に生きる。やれるところまでやるだけだ。
こどもたちは夫のことが好きだし、私も良いお父さんだと思っている。だから宙ぶらりんにこういう生活を続けてもいいし、何かこの形が変わるときは、家族の誰かが「このままではダメだ」と決心したときなんだろうと思う。それが家族5人の誰になるかはわからない。
今は、とりあえずこの時間を楽しもうと思う。
◇
この2年間、夫との暮らしは常に緊張感が張り詰めていた。それがなくなった家は、別空間のように平和だ。
ただ、この平和にも、おそらくすぐに慣れてしまう。今はちょっとしたボーナスタイムというところだろう。別居の平和を噛み締めながら一生暮らしていければ、それは幸せな事だけれど、人間は贅沢なもので、すぐに飽きてしまう。
そしてもし、この平和に慣れてしまったら、思い出したいな、と思う出来事がある。
別居して間もなく、子の療育の予定が入っていた日のことだ。バタバタと朝の家事を終えて、子を連れて療育センターに向かい、待ち合いの椅子に座って呼び出しを待つ。その間、疲れと程よい暖かさで眠気がきた。
子は膝の上に向かい合わせに座ってきた。「おかあさん、疲れて眠くなっちゃった」私が言うと、子は私の肩のあたりをトントンとたたいて寝かしつけてくれる。私は笑いながら一瞬で眠りについたふりをした。
その時、なんだか体がすうっと軽くなるような、臨死体験のような感覚があった。子も私の首元に頭を預けて、一緒に眠りそうな格好になる。私は、子を抱っこしたまま、消えてしまいそうな程幸せだった。
安心する、という感覚を久しぶりに味わった。もう傷つくことはない、怖がらなくていいんだと、その時初めて思った。
◇
この先、いろんな事があると思うけれど、私は今回の別居という決断を後悔することは、一生ないと思う。多くの制約の中で最善を尽くした。
その結果、何か悪いことが起こったとしても、何もせずに朽ちていった方がマシだったなんて、思うはずがない。
この記事が参加している募集
サポートいただけると励みになります。いただいたサポートは、私が抱えている問題を突破するために使います!