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来てよかった

山村留学に来てから、そろそろ三ヶ月。

時々思う。もう数日先に人生が終わっても何の心残りもないなと。

なんだか縁起でもないけれど、喜怒哀楽で言えば、喜というより楽の方の感情でそう考える。

例えば、朝早く霧の出ている山肌を見ながらこどもの登校を見送ったり、よく晴れた休日に、川で遊ぶはしゃぎ声を聞きながら寝そべったり、そういう時に。

まだまだこどもも小さくて、実際に離れることなんて心配でたまらないはずなのに、しかしもう私はここまで出来ることは全てやったぞ、という気持ちであるし、そしてそのご褒美のような山村での暮らしがあって、数ヶ月で言うのはどうかと思うけれど、今現在、ここでの暮らしは驚くほど私の肌に合っている。

もうこれ以上望むものなんて何もないなあ、いい人生だったなあ、と締めくくりそうになるのだ。

もちろん、現実や生活は続いている。こどもは宿題がわからないと言って泣くし、相変わらずのきょうだいゲンカ。店が近くにはないので外食はほぼせずに、三度の食事を作り、出かける時もお弁当。

離婚調停は終わっていないので、夫から弁護士を通じて攻撃的な書面が届くし、今後の展開が読めないので気持ちが塞ぐこともたくさんある。

いっちゃんの高校受験はどうするか。ニンタは支援級でなくて本当にやっていけるのか。ミコは前の学校の友達を思い出すと、しんみりしてしまって申し訳なく思う時もある。吃音も相変わらず。

それなのに、まあいいかと思えるのは、こどもたちが元気にこちらの学校へ通っているからで、更には雄大な自然のおかげというか、ここに住む人達の気質のおかげかとも思う。

学校での初日、こちらで必要な学用品を教えてもらったが、私達は夜逃げのように身の回りのものだけ持って来たもので、もちろんほとんど始業式に揃わない。近隣に買う店もない。

そこで先生が「まあ、一通り説明しましたが、ないものはない。なくて困るものはない」とおっしゃって、それはどこかの地方でキャッチコピーになったこともある言葉で、そういう「ない」地域で暮らす心構えであると同時に、私もそうであって良いのだ、なくて良いのだ、と初日に合点した。

大きな都市というのは、本当にきちんとしていて、行政も学校もなんなら地域住民の暮らしも。

でも私はいろいろ「ない」人間であって、そういうきちんとした事がもう苦しかった。不登校と知的障害と吃音の子を、きちんと制度を調べて、きちんと交渉して、きちんとした親でいることが。

こちらでは、福祉制度は驚くほど少ないのに、何も問題は起きていない。調べたところで「ない」のはわかっているので、調べもしない。困ったことがあれば、とりあえず学校に言う。役場に言う。近所の人に言う。誰かが聞きつけると、すぐ家に来てくれる。そして解決してくれたり、「ないですねえ」と言って終わったりする。

これまでの癖で、心配しよう、備えよう、としてみるものの、心配したところで「ないものはない」ので、何を先回りして心配すればいいんだっけ、という気持ちになる。

私の性格など変わるものでもなく、せっかちだし、すぐイライラするし、気分の浮き沈みもたくさんある。

でも心の中を覗くと、パンパンだった心配事がまばらになっている。特に将来の心配がない。これから離婚すると言うのに、どういう仕事をやってもいいし、何をしても生きていけるなあ、と思うようになった。

今は将来にあまり興味がなくて、もっぱら興味があるのが家庭菜園だ。買い物する店が遠いので、庭に少しでも野菜があるのがとても助かる。みんな何かしら育てているので私も真似してこじんまりと育てるようになった。植えて水をやると本当に面白いように実が成る。そして強風であっさり折れてダメになったりもする。

いつまでここに居られるかわからないし、自分の将来もこどもの将来もわからないけれど、とりあえず、昨日植え替えたほうれん草がちゃんと根付くかどうか、そのことばかり考えている。人に会えば野菜の話になるので、そういう思考回路が、ここで暮らしているとむしろ王道かとも思う。

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