全部目分量の主婦が、0.1gの計量に挑戦する
私は料理が苦手なわけではない。でも、お菓子作りは苦手だ。だって、お菓子はたいてい、計量しなければいけないから。そして計量を間違えると膨らまない、固まらない。これは食べ物ですか?何の冗談ですか?というモノがすぐ現れるから嫌なのだ。いや、そもそも計量自体が面倒だ。レシピを見ながら計っては入れ、計っては入れ…。知っている、料理が上達しない人の共通点は、計量を軽視していること。知っているからやらないわけではないけれど、本音を言えばやりたくない。私はその程度の主婦だった。
食事療法の導入のため、40日間の入院生活を送るニンタ4歳。栄養士さんの作った完璧な低糖質メニュー「修正アトキンス食」もなんとか食べられるようになって、そろそろ退院の日が近づいてきた。当たり前だが、退院後は私がこのメニューを作るのだ。周りには「ケトン食」や「修正アトキンス食」を作った経験のあるお母さんもいて、皆さん口をそろえて「最初は大変だけど、だんだん慣れて、そのうち楽になるわよ~」と励ましてくれた。私はこの言葉を疑うわけではなかったが、正直、何がどう慣れて楽になるのか、さっぱり分からずにアハハ…と曖昧に笑っていた。
ニンタの「修正アトキンス食」は糖質の摂取を1日12.5gにする。カロリーは1200kcal。これは多すぎても少なすぎてもいけない。となると、私がイチからメニューを考えるのは不可能で、とりあえずは病院の栄養士さんが作ってくれたメニューをそっくりそのまま作るしかない。
しかし、そもそも私は電子スケールすら持っていなかった。家にあるのは、古い銭湯にある体重計のような、上のお皿に食材を乗せると、赤い針がぐるり、と回るタイプのやつ。いやいや、病院のレシピは全部グラム表示で、4歳1人分の食事を作る調味料は、0.6gとか「理科の実験かな?」と思うような数字が並んでいるのだ。赤い針がぐるり、では計れる訳がない。
私は入院が終わる前に、まず電子スケールをネットで注文し、その使い方から練習しなければならなかった。そして、ネットで適当に買った海外製の電子スケールは、なぜか1g以下の計量にうまく反応せず、これには看護士さんも皆首をかしげ、返品して、病院で使っているのと同じ、タニタの電子スケールに買い換えるという、怪しい雲行きでスタートをきった。
「病院で、退院前に調理実習もして頂けると聞いたのですが、いつ頃にやるのでしょう?」看護士さんに聞くと、「あー、以前そういうこともあったんですけど、最近はやっていなくて…」うそ、なにそれ。私が捨て猫のような目で看護士さんを見つめると、「いや、確認します。そうですよね、不安ですよね」。私はここ最近の、レシピだけをもらって颯爽と退院していったであろう先輩ママたちを恨んだが、「電子スケールも使えない」ということが伝わると、私のためだけの調理実習が、ひさびさに開催されることになったのだった。
調理実習の先生は、ニンタの食事をずっとサポートしてくれたアメ先生。生徒は私1人。「お時間いただいて、すみません!よろしくお願いします!」病院のスタッフルームにカセットコンロを置いて、即席で作っていただいた調理実習室。アメ先生は仕事と仕事の合間だろうし、ニンタは看護士さんに預かってもらっているし、時間を無駄にしてはいけないと、私は最初からガチガチだった。
「まず、デザートからやりますね。生クリームを計ります。やってみてください」生クリームは使ったことがあるが、1パック全部使ってホイップクリームにしたことしかない、計ったことなんてない(それも多分ホットケーキに乗せたとかそのレベル)。そもそも、使い慣れていないから、牛乳パックと同じ形なのにメチャ固いこの入口が開かない。私はあせった。モタモタと力ずくで開封し、そうっとボールに流し込もうとするが「あっ!」電子スケールは、あっという間にケタ違いの数字を示した。私はアセると、とにかくダメなのだ。「すいません、ちょっと一回ストップしていいですかっ!」私は廊下に出て深呼吸した。いかん。これはまずい。みんな私とニンタのために協力してくれているのだ。なぜだか涙まで滲んできたが、泣いている場合ではない。「すみません、少し緊張してしまいまして…」私はおずおずと、でも決心して、即席の調理実習室に戻った。
「おいしい!」アメ先生の提案してくれた料理はみんなおいしかった。特に、デザートに作ったココアプリンは甘さや濃厚さも申し分ない。「お砂糖の代わりに人口甘味料などを使えば、カロリーと糖質がほぼゼロなので、いろんなお菓子が作れますよ」。
聞いたところによると、低糖質のパンというものもあるという。糖質ゼロの麺もある。お菓子、パン、麺がなんとかなるなら、再現できないものはお米と果物くらいなのでは?あとはイモ類だが、これはニンタは特に好物というわけではないし。揚げ物は素揚げにするか大豆粉をまぶす。とろみは片栗粉ではなく、オオバコを使う。…なんか、できる気がしてきた!不安がないわけではなかったが、目標は見えてきた。私は退院に備えて、人口甘味料、大豆粉、寒天、ゼラチン、オオバコなどを、ニンタが寝静まった後に、夜な夜なネットで買いあさった。食事療法は退院したその日から始まるのだ。買い物もなるべく済ませておかなければならない。不安と、少しだけ退院できる喜びと。私はしっかり前を向いていた。
退院のその日は、夫に車で迎えにきてもらった。ニンタはひさしぶりのお父さんに喜んだし、大勢の看護士さんに見送られ、さようなら、みなさま、私たちは旅立ちます!と晴れ晴れとした気持ちだった。
家に着き、その日の夜から修正アトキンス食作りが始まった。実はその第一号は何を作ったか覚えていない。帰ったら、上の子いっちゃんと、下の子ミコもいるし、荷ほどきはあるし、とにかく忙しかったのだ。そんなバタバタの中作った料理だったが、ニンタはたいして喜びもせず、でもまあ、お家だねー!嬉しいねー!の勢いで、なんとなく過ごしたのだと思われる。
次の日も病院でもらったレシピを忠実に、きちんと0.1g単位まで計って料理する。始めてみてわかったのだが、やはり時間がかかる。ニンタの朝ご飯を作り、そのあとみんなの食事を作り、ニンタの幼稚園のお弁当も作る。慣れない計量と、ニンタと他の家族、毎食2回料理をしなければならない手間で、私はすぐにズタボロになった。最初は1日のほとんどをキッチンで過ごしていて、休憩時間は、ほぼゼロだったと思う。それでもまだ料理は終わらず、ニンタの寝かしつけを終えたら、そうっと起きて、作業の続きをしようとするのだが、ニンタは眠りが浅く、ちょくちょく起きては私を探して泣く。作業を中断して寝かしつけ、またキッチンに戻り、ということを2~3回繰り返すと、深夜になることもザラだった。
そしてやはり、ニンタは入院しているときと同様に、食事をとても嫌がった。だましだましなんとか口に運ぶ。ニンタの食事は、つきっきりで毎回一時間以上かかる。夕飯どきは訪問看護の方が来てくれる日もあったが、精神的に、体力的に、とてもきつい作業だった。
そこで私は、訪問看護だけでなく、障害児サポートや保育園の一時預かりなど、使えるサービスはすべて使って、なんとか料理の時間を確保した。食事療法の効果が現れだすのは最低でも3ヶ月はかかると言われている。ニンタはまだ相変わらず、かんしゃくは多いし、私が少しでも離れていると泣いたり怒ったりミコに手を挙げたりする。眠りも浅いから、寝ている間もダメ。ニンタが家にいるときは料理はできない。というのが結論だった。
私はニンタが幼稚園に行っている日中や、夫がこどもを見てくれる休日に、まとめてニンタの三食分とおやつを作ることにした。もちろん他の家族の食事も、この間に作っておく。食事が始まる前に、「今作ってるから待っててねー」という待ち時間ができると、ニンタが暴れ出すのはわかっていたので、温めなおして、すぐに食べられるようにしておく、という理由からも「先に作っておく」ということは重要だった。
病院からは、ニンタの食事を毎日記録するようにも言われていた。その日のメニュー、糖質とカロリー。最初は病院のメニューをとにかくそのまま作っていたので、作ったら病院のメニューをそのまま写すだけだ。
しかしまあ、本当にニンタは食べない。いや、根性があるから、食べることは食べるのだが、とにかく時間がかかる。私はこの憂鬱な食事時間をなんとかしたくて、ニンタが自分から進んで食べるメニューを作りたい、とすぐに思うようになった。糖質とカロリーが計算できるエクセルを病院でもらってきていたので、私はメニュー開発にとりかかった。ニンタの糖質は1日12.5gだから、一食を3~4gくらいにして、おやつは1~2g。皮ナシ餃子(餃子の餡をハンバーグのように焼く)、おでん、ラーメン、お好み焼きなど、食事療法が始まる前によく食べていた料理を、なんとか自分なりに考えて糖質計算をし、レシピに加えていった。新しいメニューが出ると、おやっ?という反応があって、いつもより機嫌良く食べるのが嬉しかった。
そして、私はここから、だんだん手抜きを覚えておく。まだ料理のレパートリーが少ないということもあり、その中からニンタが好んで食べるメニューを選ぶと、おなじみメニューが度々登場する。ではいっそ、一度に2食分作り、半分は冷凍しておけば良いのでは?あー、そっかそっか、私って天才。これで一気に作業時間はほぼ半分よ!私は冷凍用のタッパーを大量に購入した。冷凍ストックはどんどん増えていき、冷凍庫はパンパンだ。そこで、コストコへ行って、安くて大きな冷凍庫も買った。置き場所がないので冷凍庫は玄関に鎮座することになったが、冷凍食品や、ニンタ以外の家族が食べるアイスも気にせずバンバン放り込めるようになったので、ズボラな私にとってはいい買い物だったと思う。
私の手抜きは止まらなかった。ある日、今日はニンタ以外は肉野菜炒めでいっかー、と料理にとりかかろうとした時、あれ、ニンタって肉野菜炒め食べられるよね。と気付いてしまったのだ。ニンタ用の肉野菜炒めのレシピはないけど、同じものを作った方が簡単。私は家族の野菜からニンタの分を取り分けて計量し、メモを取り、なんとなく病院で食べていたのと同じくらいの量を作った。その夜、あらためてメモしておいた材料から糖質とカロリーを計算すると、なんと、糖質はほぼ3g程度だった。翌日から何度もその答え合わせを繰り返したが、糖質はほぼ合格、カロリーは少し足りなくなることが多いようだった。私はこの「後から確認方式」を勝手に採用し、不足しがちなカロリーを油で追加することにした。次の検査入院で、叱られやしないかと思ったが、ケトンの量も問題なく、このまま続けていいですよ、とお許しをもらったのだった。
ニンタの糖質制限は、1日15gまで緩められた。私は小躍りした。これでもっといい加減にできるかも…?そして、自己流の「後から確認方式」でも、「なんじゃこりゃ!」と焦るようなことは相変わらず起こらない。適当にやっているからこそ、糖質が高くなりすぎないように、糖質の低い葉物野菜をなるべく使うし、糖質の高いものを使うときは慎重になる。そうすると、とんでもなく高い数値になることはなく、むしろもう少し糖質が高くても良かったな、と思う日の方が多かった。そこで私はさらにサボることを覚える。根菜類は一食20g、葉物野菜は一食30g、使う野菜は4種類くらいまで、朝と夜は油を7g追加する。という、今までの経験と勘だけが頼りの適当なルールを作り、毎晩の答えあわせもやめてしまったのだ。
ニンタの糖質制限が始まって約半年。検査入院で、ケトンは十分に出ている。私の作ったルールも、まあいいでしょう、と許可された。そして糖質は1日17gまで緩められる。私の気持ちもどんどん緩んでいった。
そして、ある日の休日。夫が朝食に、野菜スープを作ってくれた。夫は簡単な料理はできるが、私よりも更に計量嫌い、もう計量アレルギーとでも言いたくなるようなタイプなので、ニンタの料理には一切関与していなかった。しかし、その野菜スープの材料を見ると、糖質はたいして高くなさそうだ。夫のスープはたいていコンソメなので、調味料もそこまで糖質は高くないだろう。「あ~、そのスープさあ、ニンタにも食べさせよっかなあ。人参少なめによそってくれる?」このあたりから、私はとうとう計量もやめた。夫は味付けが苦手なので、よく「鍋の素」を買ってきて鍋料理を作ってくれるのだが、それも一緒に食べるようになる。そして、新たなマイルールが出来上がった。果物、イモ類、お砂糖、粉類(カレールーなども含む)は使わない。鍋の素などにはお砂糖が入っているが、それは少量なので目をつぶる。牛乳、トマト類を味付けに使うときは少なめに。ニンタの食事を配膳するときは、根菜類を少なめによそる。このルールで、私はほとんどの食事を、ニンタ用と家族用に分けずに作るようになってしまったのだった。
私は次の検査入院で、計量をやめたことを正直に伝えた。驚かれると思ったが、栄養士のアメ先生は、「そうやって続けている方もおられますよ。検査結果を見てヤマ先生とも相談しますね」と、いたって普通の反応だった。私は心の中で思った。(計量していない人も、居る…だと?…はーやーくー、そーれーを、言ってくれませんかあーーー!アメ先生ーーー!!!!)
そして、ニンタ6歳の現在、糖質の制限は、1日20gだ。ただ、家でも計量はしていないし、給食も食べられるおかずは食べているので、日によっては20gをオーバーしている日もあると思う。
患者会の皆さんの様子を聞くと、計量をずっと続けている人もいるし、病院が「なるべく簡単なやり方で」という方針なので、最初から計量していない、という人もいる。ほかの病院の先生から「大変だとは思うが、小さいうちは脳が成長する大切な時期なので、そのときだけでもがんばってほしい」という意見も聞いたことがある。
私のこのやりかた、手抜きに至るまでの経過は、ニンタの検査結果と私の性格と能力と、いろんな要素がからまりあってのことなので、他の人の参考になるかはわからない。正しいのか自信もない。同じ病気でも本当に、皆さんそれぞれに工夫していて、千差万別なのだ。
食事療法をはじめたばかりのお母さんが、「先生が『みなさんそれぞれ、いろんなやり方をされていて』と言うんだけど、その、『それぞれ、いろんな』がよくわからなくて??」と困惑しているのを聞いたことがある。私も「そのうち楽になるわよー」の意味がわからずに困惑していたので、気持ちはとてもよくわかった。だから、もしこれから食事療法を始める方が、私の例をみて、こういう人もいるのね、と思ってもらえれば嬉しい。
ただ、この適当な食事療法を続けるにあたって、道しるべとしていることはある。定期的な検査入院で、ニンタのケトン値が確認できていることと、脳波異常がないこと、そして数値には表れないが「ニンタが機嫌良く過ごす時間が増えたな」というあいまいな母親の感覚だ。あいまいではあるが、これが私には一番の支えになっているし、QOL(生活の質)にとっても、一番大切なことではないだろうか。だから「なんだか最近つらそうだな」と思ったら、また食事を見直すと思うし、この先はどうなるかわからない。
結局、私も「そのうち楽になるわよ」と言っていた、先輩ママさんと同じような、ふわっとしたことを言っている。お役に立てなくて申し訳ないが、私はおしゃべりなので、「そのうち楽にな」った理由を長々と書いてみた。
これから食事療法に挑戦する方、始めたばかりの方、私も新参者ですが、心から応援しています。
サポートいただけると励みになります。いただいたサポートは、私が抱えている問題を突破するために使います!