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鬱とは、エネルギーを内にやどした状態

‪現代は、鬱=悪、といった感じですが、もともと鬱とは、そういうマイナスの意味ではありません‬。
‪ためしに辞書を引いてみましょう‬。

‪「鬱」の第一義は、草木の茂るさま、物事の盛んなるさま、とでています‬。

‪すなわち、鬱はエネルギーがつよく、生命力にあふれている状態をあらわす文字だとわかってきます‬。

「気がふさぐさま」というのは、第二義の用いられ方です。

ですから、草や樹木が勢いよく生い茂り、深い森をつくっている様子を、「鬱蒼たるーー」といいます。「鬱蒼と生い茂った樹林」などとも表現します。

また、ノーベル賞級の大作家などに対しては「鬱然たる大家」などとも言う。オーラを感じさせる文豪のことです。

大きな志を心にひめた若者のことを「鬱勃たる野心を抱いた青年」、などとも書きます。押さえきれない情熱のことです。

つまり、なんとなく暗く、ひっそりとしたイメージで受けとられがちな「鬱」という言葉は、ふつうの使われ方とは反対に、生命力にあふれ、つよいエネルギーを内にやどした状態を言うのであって、決してマイナスの表現ではないのではないか。

激しいエネルギーが内側にあふれている、たくましい生命力が熱くたぎっている、その状態を鬱と考えれば、鬱をおそれたり、いやがる理由はありません。エラン・ヴィタールという言葉もあります。

問題はそのエネルギーが、おさえつけられていることです。生命力はのびのびと自由に躍動することを欲している。ところが、なんらかの理由で、出口が閉ざされていて、そこからいわゆる「うつうつ」とした心の状態が生じてくるのです。「モヤモヤ」としたり、「しめつけられ」たりする感じが、それです。

なんとなく鬱を感じている人は、生命力が心の中にあふれている人です。エネルギーが出口を失って圧迫されている状態です。

無気力なのではなく、気が出口をふさがれている。おさえつけられている。そう考えたほうがいいでしょう。

鬱とは、生命力があふれていながら、それが屈している状態だとわたしは思います。鬱を感じる人は、じつは自分の命は大きなエネルギーであふれているのだ、と考えればいい。


五木寛之さん著

「人間の関係」より

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