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「病気や障害があっても大丈夫!」と思える社会へ~病気の子どもとその家族編~

埼玉県は2020年3月、県議会にて全国初「埼玉県ケアラー支援条例」を制定。現在、有識者会議を設け、ケアラーおよびヤングケアラーの実態調査を実施し、2021年3月までに具体的な推進計画を策定する方向で進めております。今回は、病気の子どもとそのご家族への支援のアドバイスをいただきたいと思い、ニモカカクラブ代表 和田芽衣さんにお話を伺いました。

◆テーマ:病気の子どもとその家族への支援について 

◆ご協力:病気のこどもと家族の会 ニモカカクラブ代表 和田芽衣さん

◆ご参加:おどる太鼓クラブ代表 小谷野節子さん

◆発起人:埼玉県議会議員 吉良英敏(埼玉県ケアラー支援条例 提案者代表)

◆開催日:2020年12月1日

25人に1人

吉良 今、埼玉県ケアラー支援条例で一番注目されているのは、埼玉県の実態調査結果です。情報がもっとほしい、相談したい、という要望がいかに多いかが結果に出ています。この結果は11月25日に公表になりましたが、その日は衆議院議員会館に伺い、国会議員、厚労省、文科省の方々に埼玉県ケアラー支援条例についてお話をさせて頂きました。
なぜ、和田さんにこういう場を頂きたいとお願いしてきたかというと、来年の3月までに条例で義務に規定した「推進計画」を策定するためです。今年は私にとってケアラー・ヤングケアラー支援の一年でしたが、条例は出来た後がもっと大切だと思っています。
調査結果の中には衝撃的な数字もありました。

和田さん どのあたりですか?

吉良 高校2年生の25人に1人がヤングケアラーだったこと。その中で、半分以上の6割の子は何らかの支援が欲しいと言っているんです。そこに今まで支援が出来ていなかった。気づけなかった。
そして、この現実に対して私たちは、学校の先生は、何が出来るのか。まずは、ケアラー及びヤングケアラーを顕在化させ、専門職に繋げること。さらにアセスメントをする中で課題を抽出し、具体的な支援に繋げていく。
今回の県の調査では、主に高齢者と精神に分けて調査したのですが、その悩みや支援して欲しいことを見ると、すぐ出来るものと中長期で取り組むべきものとがありました。まずは、実態を把握しないと支援の規模感も分からなかったのです。

和田さん この調査は県が主導で行ったのですか?

吉良 そうです。県の地域包括ケア課が中心となって行いました。埼玉県はケアラー支援条例に関わる部局が5つあります。ヤングケアラーの教育局、保健医療部、福祉部、県民生活部、産業労働部。ちなみに産業労働部はなぜ関わっているかと言うと、事業所、会社ですね。これからは会社にも保健室やサロンといったような新しい場所が出来て、社会全体で支援する体制を作っていけたらと思っています。

和田さん 私は、飯能市を拠点に「病気のこどもと家族の会 ニモカカクラブ」を運営しています。基礎疾患、持病のある子どもときょうだい、親、家族全体を対象としています。元々大学病院の精神腫瘍科に勤め、がんの患者さんや家族のメンタルヘルスが専門でした。結婚し、出産した最初の子どもが結節性硬化症という難病であることが分かりました。今までプロフェッショナルとして家族の方々を支援する立場にあったのですが、実際自分が当事者になってみて、家族の方々は想像以上に苦労されていることが分かりました。支援の足りなさ、情報の少なさ。全てが家族任せだと実感しました。育休から復帰したら退院した後の子どもの支援を出来ないかと考えていたのですが、子どもの病気をきっかけに退職して、じゃあ地元に作ってしまおうと立ち上げたのが最初のきっかけです。バリキャリで働くつもりでしたが、専業主婦になり、鬱々としていた頃に子どもを抱えながら市内のカフェを転々としていました。その時に出会った街の福祉関係の方々に応援して頂いて活動を始めるに至りました。

自慢の自治体

和田さん 小谷野さんや地元の方々、育成会(障害がある子どもの保護者の団体)さんに支えて頂きました。
飯能市の障害児と障害者の権利を守ってくださっているのが育成会の代表の方。15年位前、埼玉県の各役所が民間に当事者の相談業務を委託しようという流れがあった時、飯能市はそれをしなかったのです。役所が当事者の話を直接聞き続けるスタイルを維持したのです。というのも、飯能市の育成会代表が、「まだまだ直接声を聞かないとだめよ」と意見したからだそうです。他市が委託していく中で、飯能市は直接相談の窓口を役所に留め置いたのです。そういった歴史があるおかげで、飯能市の役所の方々、特に障害福祉課の方々は一人一人の障害者の名前も、家族の顔も全てを知っていてくれます。安心感がある役所で、そこが飯能市の自慢です。
役所は、2、3年で課を異動していくけれど、障害福祉課を経験された役所の方々が別の部署に移られた時に、またその先の部署で障害者への配慮を考えてくれる。例えば選挙管理に移られたら、障害者が選挙に参画できるように協議しながら、本人が投票できる場を整えてくださったり。行政の人が異動していくことのメリットを知りました。
この街の障害者の権利を獲得してきてくださったパイオニアがこの地域にはたくさんいらっしゃる。その恩恵を受けて、私たち世代の障害児の親は様々なサービスがある中で過ごせています。ただ、解決されていない部分もあるので、そのバトンを受け取るのは私たち世代の役割なのかなと感じています。
2015年に飯能市でこの団体を立ち上げる前、生まれ故郷へ帰ることも考えましたが、人との繋がりを実感できる飯能市に骨を埋めよう、地域を一緒に耕していこうと夫婦で決断しました。

拠点をつくる

吉良 埼玉県って東西のつながりがないですよね。

和田さん 本当にそうです。障害者交流支援センターがさいたま市にありますが、行くのに2時間かかります。プールもあって立派な施設なのに遠い。川越市あたりに西の拠点も欲しいです。

小谷野さん 川越市にもオアシス(総合福祉センター)があるんですけど、川越市民のためのものなので、県の施設も西部地区にあるといいですね。 

和田さん 「世界希少・難治性疾患の日」のイベントを飯能市でやりたいね、というところからニモカカクラブはスタートしています。このイベントを応援してくれたのは街の福祉の方々です。その応援に励まされて、今年で7年目になります。
埼玉県の東部と西部では、難病に関して問題が全然違います。病院の数、アクセス、療育施設の少なさなど。

吉良 私が和田さんとコンタクトを取ったのは、県議会での一般質問直前でした。ある方から紹介して頂いた本の中で、埼玉県飯能市で活躍されている方がいると知って、思い切って連絡させて頂きました。和田さんとの最初の電話で、一度ZOOMで話しませんか!となり、数日後の画面越しでの専門性と熱意あふれるお話に心打たれました。この方とはZOOMだけでは話きれないと思い、飯能市へ行きました。そしてその次は一緒に国会に行き、国会議員や官僚の人たちにケアラー支援の説明を行ったりと、お世話になると同時にご縁を感じています。

我が子を愛してくれる方々がこの地にいる

和田さん ビジュアルから分かりやすく伝えるのが私の使命だと思っています。
私が大変お世話になっている社会福祉法人おぶすま福祉会さんの木工製作所の作業所で働く方々だとか。(写真説明)
ビジュアルで関心を持っていただいて、共に語り合うというか、そこから生まれるものを大事にしたいなと。
私は子どもが病気になり、知的障害も重めにある中で、将来のビジョンが全く見えなかった。その中でいろいろな先輩に会い、事業所に行く中で、家族だけじゃなくて我が子を愛してくれる方々がこの地にいるのを実感して大丈夫だという希望に行き着きました。
私が初めて人生に希望を持てた瞬間が、この間吉良さんをご案内した、にこにこハウスさんに伺った時です。「いらっしゃいませーっ‼」って。一体、誰に障害があるのだろう?って分からないぐらいの元気さを目の当たりにして。その時に、「あ、決して不幸ではない」って言葉ではなく肌で感じて。そのにこにこハウスさんがコンサートをやると聞いて、手伝わせてくださいと言ったのがご縁で、そこからさらにいろいろな方と知り合いました。結局、人なんだと思いました。
公衆衛生学の先生からは「人生を生きる力は、情報と教育だけでなく、コミュニケーションも大事なのだ」と教えて頂きました。学校教育が大事だと言われますが、そこで知識だけを植えこんでも発揮されない。誰かとのコミュニケーションがあってこそ、その知識が生きていくと。
福祉サービスは確実に増えてきていて、以前に比べたらとても楽になってきていると思います。でも、なんでまだ生きにくさを感じるかというと、コミュニケーションが足りていないからだろうと。ニモカカクラブもおどる太鼓クラブも、人とのつながりの場をどれだけ作るかが重要だと考えています。ただの余暇じゃない。生きるために必要な大事な場所です。各地にそうした場が増え、選択肢が増え、そしてその活動が守られていけばいいなと思っています。

ニモカカさんヒアリング

受け皿がないまま

吉良 来年「社会福祉法」が改正されますが、地域共生社会づくりという言葉が使われるようになりました。これは、福祉は地域へ・在宅へという方向ですが、状況が整っていない中で在宅となると大変なことになると思います。
また、家庭や家族がここ数十年で変わってきていると痛感します。地域のコミュニケーションも希薄になってきている。例えば、私はお坊さんですが、近年特に気になるのが孤独死です。この10年で倍増しています。
また、障害児者を子に持つ親御さんは、将来誰がこの子のケアをするのか?という深刻な不安がある。
地域へとか、共生社会とか言うと聞こえはいいですが、日本ではいまだに介護や看護は基本的に家族や身内がやるという風潮がある。でも実際には家族は以前よりずっと小さくなり、その負担が増しています。このままだとケアする人に大変な苦労が待っているのではないかという危惧があるのです。

和田さん 病院ではなく地域に戻すという流れは80年代からありますが、受け皿が圧倒的に少ない。認知症も精神障害の方もどんどん地域に戻すという国の方策が主流ですが、「地域の受け皿が増えないことには病院だって患者さんをほっぽり出すわけにいかない」と精神科医の夫も言っています。地域の理解を得ずして地域に戻すなんてそんな乱暴なことは出来ない。小さくても、居場所づくりの方々へのお金、経費のサポート、なにより人材育成を国がしていかないと受け皿も増えない。

子どもが愛される権利を奪ってはならない

和田さん 社会福祉法人はなみずき会の代表の方は、私が一番最初に活動していたときに力を貸してくれました。その方が、「障害児や難病のことは私たちは分からない。でも家族が抱えている限り、まだ家族が抱えられるんだと周りは思ってしまう。家族が手放す、任せることをしない限り、家族がこのぐらい苦労しているんだと家族外の人が知ることはないわよ。」と言ってくださった。育成会の代表の方は、「子どもが愛される権利を奪ってはならない。子どもが本来得られる人との出会いやチャンスを親が奪ってはならない。」と。この言葉は、私の子育ての軸になっています。頼ること、任せることが元々苦手な性格だからこそ、意識して子どもたちを家族以外に委ねるようにしています。

きっかけをつくる

和田さん 私たちが社会に食い込んでいく、出ていくきっかけを持つことも大事。私たちこういうの持っているよ!と言って声をかけてもらいやすくする。まだまだ偏見というか、可哀想、支援してあげなきゃみたいなことが多いけれど、相互理解のためにはこちら側が関わりを持てるきっかけを持っておくことも大切だなと。
私が県に望むのは、活動が安定して継続できる場と経費。非営利活動の大きな課題ですが、県の助成金ではボランティアに謝金は出せますが、事務局(運営)スタッフへの謝金は出せません。活動の軸になっている人を守るには、ある程度の経費や人件費は必要です。そこを守るために、参加費を頂いたり、物を売ったりして経費を稼いでいるのですが、本来の活動はそこではないので。サポートがもう少し手厚くなれば、こういった活動を始めやすくなります。私たち子育て世代は、障害の有無に関係なく、人生を通して最もお金が必要な時期です。そういう時に、非営利活動を行うことに家族もいい顔をしてくれない。「え、0円?」みたいな…。「お金がもらえるのであれば好きにしなさい。」と家族に言ってもらえるような環境を作ることも非営利団体には大切。活動を守るために。病気や障害団体の方々は、よほど大規模だったり寄付金が多いところ以外は赤字。皆さんが人生の時間とお金を削ってボランティア精神で成り立っているけれど、それでは潰れてしまいます。

吉良 それが当たり前という風潮が良くないですよね。これまで日本社会は身内や家族で見るのが当たり前という感覚でしたから、なおさらですよね。

和田さん 私は、こういった活動も社会を豊かにしていく大事な役目を担っていると思っていますが、無償ボランティア・余暇といった形で扱われてしまう。社会を耕す一員なのに、なぜボランティア、無償なのか…ずっと疑問に思っています。時代も変わってきているし、働き世代、子育て世代の人がアクションを起こすためには、資金面の援助も100%じゃなくても必要。そこを担保されれば、アクションを起こす人がもっと増えると思う。

小谷野さん 持ち出しも多いよね。ほぼね。夫にも言えないよね。。

和田さん 言えない!そりゃ気付いているでしょうけれどね。夫に支えられ、夫の稼ぎに支えられ。我が家は私が仕事を辞めざるを得なかった時の私の悔しさを夫がよく知っているので何も言わないでくれています。ですが、そうすると一握りの人しか出来ません。難しい悩みです。

小谷野さん 次の世代にどうつないでいこうかと悩んでいるのが、今のおどる太鼓クラブの現状です。世代交代が必要な時なので。

障害が理由でチャンスを奪われてはならない

和田さん 障害者と障害児の家族は、ケアをしないといけない。私みたいに預け先がなくて、キャリアを諦めざるを得ない家庭もあります。障害があるというだけで、そういう理由だけで、他の健康的な家庭の人が得られているチャンス、機会を障害者も障害者家族もきょうだいも奪われてはならないというのが基本原則だと私は思います。もちろん、障害がご縁でつながれた方々は宝物です。けれど、人生の選択肢を障害者にも家族にもきょうだいにも、これは出来ないっていう選択はさせたくないので。
そこを守るための制度や文化を守りたい。障害があるけどみんなで一緒にやっていけるじゃんっていう温かい文化が飯能市にはあると感じています。
障害者本人の意思決定支援ときょうだいの意思決定支援の部分を法律でどう守っていくか。学校でも、どんなに言葉が出るのが遅くても、障害が重くとも、そういったものをどこまで尊重出来るか。その子の力をどこまで伸ばしてあげるか。たくさんの方々からの適切な刺激と、たくさんの声掛けと関わり方があってやっと成り立つものなので。
今よりもう少し安心して、これから障害のある子を産む家庭が「障害があったって大丈夫」って思える社会にしたい。
つながりが生まれる仕掛けづくりは条例で出来ると思います。ニモカカクラブの事業資金として、県の助成金を頂くこともあります。小児慢性の子どもの交流支援事業費が県にあるのですが、応募する団体数がとても少ないようです。知られていないということ、助成金への苦手意識が原因でしょうか。ハードルが高いし、結果報告など事務のややこしさもあります。
例えば、県が非営利団体のための経営教室をやってくれれば。経営を知らない普通のお母さんたちが、そういうことにすごく関心があると思うので。そこで、立ち上げたいと思っている人たちの出会いもあり、形になっていくチャンスもあると思うので。
子どもを産んで入院していた時に、障害児者という人たちは私にとって畑や自然のような存在だと感じるようになりました。じわじわと、試行錯誤の中で育っていく。のんびりした子育てではあるけど、健常児ではなかなか経験出来ないはずです。本来の人の生き方のペースを教えてくれるような気がしたのです。

吉良 条例だけでは解決出来ないことは分かっていますが、条例も一助になると思いました。今まで知らなかった存在や、概念としてなかったものに対して、私が一生懸命ムーミンと掛け合わせている「わからない存在とわかり合えたら、素晴らしい世界があるんだよ」っていう世界観を社会全体で共有する。それが出来れば、感覚的ですが希望が開けると思うんです。

和田さん 私は元々心理職ですが、当事者になってみたらプロに「そうなんだね」と言われるだけではもの足りない。かゆいところ、困っているところに対する情報が欲しい。当事者の仲間や先輩は、苦労もされているという信頼感がある中で、実際に明日から使える生きた情報を教えてくれます。つまり、似たような立場だからこそ様々な感情を共有できるし、日々の生活に役立つ小さな情報も教えてもらえる。そんな場が、必要なのです。ただ境遇が似ているというだけでは仕事にならないなら、積極的に研修を受けた人を活かす制度を組み込んでいけばいいと思います。当事者という偶発的な運命を背負った人たちを活かす仕組みを作ってもらえたら。
学校の先生にケアラー支援の大切さを伝えることも大事だと思うんですけど、連携についても欠かさないで欲しいです。生徒からのバトンを繋げる先の情報。「先生も話を聴けるけれど、こんな人・団体もいるから紹介するよ」みたいな。それだけで、先生は100%子どもの役に立っていると思う。変に抱えないというのは支援の鉄則なので、どんどんバレーボールみたいにパスを回して連携していければ。
そして、病院と地域と学校がもう少しスムーズに結びついて欲しい。

コミュニケーション研修の必要性

和田さん ケアラーという視点で言えば、ノウハウがマイナーだからなかなか蓄積されてこない。国がすでに行っている医療スタッフへのコミュニケーションスキル研修があります。知的障害の人たちへの声掛けなど。是非継続して積極的にやってほしいと思います。娘は注射で泣かなくても、視力検査で泣いていました。なぜなら、視力検査では繰り返し答えられない質問をなげかけられるからです。検査技師によってはあからさまに苛立った態度をとります。娘はそれを感じて泣いているようでした。その様子を見て、私も悔しくて泣きました。病院が行きたくない場所になっちゃだめ。それが積み重なると、病院に行きたくない大人になってしまうので、病気の早期発見も図られませんし、病院側も障害者と接する機会が増えません。そうすると、医療者の技量も上がらなくなります。コミュニケーションスキル研修はもっと絶対必要。すでに国がやっているのだから、学校にもやって欲しいとつくづく思う。

小谷野さん うちの子って頑張ったら普通の子になれるんじゃないかと思っている時期がある。でも20歳くらいになって、やっぱり違うんだなと気づいた時に医療にかかっていなくて慌てるパターンがあるようです。大人に近づいていった時に、埼玉県でいうと緑の手帳を持っていない20歳近い人もいる。だから、大人も子どもも病院に行きやすい環境が必要。母親が病院に懲りてしまったら一番良くない。

和田さん 私が働いていた時、ベテランのスピーチセラピスト(言語聴覚士)さんに毎日怒られていました。自閉症スペクトラム症候群の疑いのあるお子さんの検査を担当した時に、「今日、あなたは彼らに何かお土産を渡してあげられた?何か1つでも『ここに来て良かった』と思ってもらえなければ、あのお母さんはもうここにお子さんを連れて来ないかもしれない。そうしたら、私たちはあの子に関わるチャンスを二度と失うのよ。」と。ここに連れてきたら何かいいことがあると実感しないことには…親の心が動かない限りは子どもを連れてくることはないと厳しく指導されました。親子への支援、持ち帰ってもらえるものを渡す、用意しておく関わりが大事です。

小谷野さん 私たちは先生をジャッジするから。行ってもだめだと思ったら次は行かない。

和田さん 本当に。それに、早期発見早期療育は叫ばれているけれど受け皿がまだ少ない。児童精神の専門の人たちも少ない。乳幼児健診で指摘されても1年待ちもざらです。指摘されても、受け皿がない、待ってくださいと言うのなら指摘しないで…とすら思ってしまいます。
障害児者の人口数がとても増えてきているので、そろそろ障害者コミュニケーションというよりは保育の原点、人を育てていく保育士さんのような声のかけ方を教育現場にどんどん取り入れて欲しい。障害児のためではなく、子どもを伸ばすという意味でのコミュニケーション。保育士さんの力をどんどん教育現場にも持って行ってほしい。
あと、埼玉県のサポート手帳はあまり活用されていない印象があります。

吉良 私も取り寄せましたが、サポート手帳は確かに使い勝手が…。

和田さん 子どもに障害(持病含む)があると役所でもらえます。療育や病院の治療の記録としてとても便利なので、例えばケアラーの相談先などもファイリングすればいいと思います。すでにあるものをどう活かしていくかだと思う。サポート手帳の利活用みたいなワーキンググループがあれば。飯能市からやりたいと思っているぐらいです。
私は一番つらい時に、差し伸べられた手を振り払っていました。支援や制度がいっぱいあるのだけど、どんぴしゃじゃないから「違うそれじゃない」って。でも、「子どもが愛される権利を親が奪ってはならない」という言葉に私は気づかされました。差し伸べられた手を振り払うのではなく、差し伸べられた手を握っていく練習をこれからも私自身続けていきたい。



お知らせ

シブリングサポーター養成研修

NPO法人しぶたねさんを講師に迎え、病気や障がいのある子どものきょうだいの気持ちや、小学生きょうだいのためのワークショップを体験できる研修会です。

主催:ニモカカクラブ
協力:全国きょうだいの会、一般社団法人ケアラーアクションネットワーク協会、東京家政大学人文学部心理カウンセリング学科五十嵐研究室
日時:2021年3月20日(土) ※1/1より受付開始
           基礎編10時30分〜13時00分、実践編14時〜15時30分
           ※受付開始10時00分
会場:飯能市内の会議室調整中
   ※社会情勢によってオンラインに切り替える場合がございます
参加費:基礎編のみ2000円
               実践編は追加2000円
対象:持病や障害のある子のきょうだい支援に関心のある方
定員:20名程度

問い合わせ先:ニモカカクラブ(090-5530-2393, nimokakaclub@gmail.com)



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