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授業は意欲から始まる‼️

ことわざに「終わり良ければすべて良し」というのがあります。最初や途中の経過が悪くても、締めくくりが良ければ、すべてが良くなるという意味ですが、これを授業に当てはめるのはちょっと無理があります。授業には、「始め良ければ終わり良し」の方が相応しいように思います。つまり、授業においては、始めも、途中も、終わりも良くなければならないと考えているからです。良い授業とは、意欲が途切れない授業であり、それが私の理想とする授業です。その中身についてもう少し詳しく述べてみたいと思います。

授業で言う「始め」とは、子どもの意欲です。子どもの意欲が感じられない授業は、その成立さえ危ぶまれます。意欲があって始めて、脳は刺激を受け、その働きを強めるからです。ここで授業の指導者に問われるのは、子どもの意欲を喚起するに足る本当に価値ある問題や課題を吟味して用意したか、ということです。

そして、授業でいう「途中」とは、子どもの表現力です。子ども自らが創造する授業にあっては、この表現力が授業を成立させる上において、重要な鍵となります。しかし、子どもにとって論理的に表現することには、少なからず抵抗感があります。しかも、ただでさえ困難なのに、自分で考える環境がない中に置かれているのですから、子どもにとって、この表現力を身につけるのは容易なことではありません。
授業の指導者には、普段から、子どもに判断させる場を多く設け、思考する過程を書いて整理させるなどの地道な取り組みが求められます。

そして、授業でいう「終わり」とは、子どもの意欲です。授業の終わりに近づいても、もっとやってみたい、そういう意欲が残る。残るだけではなく更に意欲が高まる授業としてまとめられた時、始めて、「始めよければ終わり良し」の境地に達する授業となるでしょう。

こうして見てくると、授業というのは、子どもの意欲で始まり、意欲で終わるということができます。このことから、意欲を引き出す問題や学習課題作り、意欲的な話し合いをもたらす表現力の育成、意欲を高めるまとめ、の三つが授業の三位一体である、と結論付けられるでしょう。しかし、これ等は、どれ一つとっても難しいことです。「言うは易し行うは難し」です。教職17年目とはいえ、先は遠い。スピノザが言った「難きが故に尊いのだ」を胸に、これからも授業を創造して行こうと思います。

(See you)