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教育

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私のこれまでの教育の歩み
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#子どもに教えられたこと

なんで、人は生きるの?

突然、一年生の子供にそう聞かれて、私はあんぐり口を開けた 。その状況は、かつて同僚が置かれた状況に似ていた 。それは、道徳の公開授業での出来事だった 。同僚が「それでは、これから道徳の授業を始めます。」と言った時、教育委員会の指導者がその教室に入ってきた。 まだ、発問もしていないのに、即座に一人の子が手をあげた。 「先生!道徳って、何ですか?」その予想だにしなかった1年生の質問に、その同僚は狼狽し、その答えに窮した 。私は、その話を同情をもって聞いた。こうした概念を1年生の

切なさに寄り添う

幼子の心は狭い。喜びや悲しみですぐいっぱいになってしまう。そんなにきつく叱ったわけでもないのに、涙目が怒っている。先生に不満があるのかと尋ねると「そうだ」と大きく頷いた。こちらも不満の原因が思い当たらなかったので、怪訝な顔で相手をにらみ返したが、正直なところ穏やかな子が初めて見せた反乱に戸惑いを隠せなかった。 「不満があるのなら、言ってごらん。」 でも、こちらをにらみ返すばかりで埒が明かない。胸がいっぱいで、どうすることもできないのだろう。にらみ合いは10分間ほど続いた。

返事をしないクミちゃん

小学1年生を何回も担任した中で返事をしない子どもが一人いた。 後藤久美子さん似のクミちゃんだ。朝の会では呼名しながら健康観察するのが慣わしだ。その呼名に彼女は返事をしない。朝から叱るのは得策ではないと考え、そのまま様子を見ることにした。 ところがいつまでも経っても返事をしない。そこで荒療治に打って出ることにした。彼女の席をベランダに出したのだ。 「クミちゃんは今日はお休みなんだ。」 さぁ、これからが大変‼️ 彼女は泣きわめいて「お家に帰る」の一点張り。なだめすかして

何故、がんばれ!と言うの?

「なんで人は生きるの?」 突然、1年生にそう聞かれて、私はあんぐり口を開けた。やっと気を取り直した私は、 「それは、幸せになるためだよ。」とだけ答えた。 私のこの学校での8年間は幸せであった。誰かに勝ったわけではない。成功を収めたわけでもない。ただ、精一杯頑張っただけである。 校内マラソン大会の時、どんじりを走った5年生の子が、担任の私にこう言った。 「どうして、みんなは、私に『がんばれ、がんばれ』と言うのだろう?頑張っていないように見えるのかしら?」 人は「過程が大