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【麒麟がくる】と東洋医学

 2020年8月30日、『麒麟がくる』がいよいよ再開されます。そこで、ここを踏まえればもっとわかりやすくなる、そんな点を提唱できればと思います。 

 『麒麟がくる』には、医師である望月東庵と、助手の駒が重要な人物として出てきます。
 歴史に名を残した人物ではない、たかが医師をここまで取り上げる意味があるのか? そんな意見はあります。
「東庵と駒の場面はいらないよね」
「あの場面は、ずっとスマホをいじっているようにしてる」
 そんなコメントも毎週のようにあるほどですが……しかし、それでよいのかどうか、考えてみてはいかがでしょうか。
 彼らが漢方医学に基づいて語る見解は、ドラマを理解するヒントになっていることもあります。
 漢方医学の観点から、『麒麟がくる』をみていきましょう。

東洋の伝統医学「漢方」とは?

 望月東庵と駒が学んでいるのは、「漢方」医学とされるものです。この「漢方」医学について、簡単に説明をしたいと思います。
 漢方医学最古の医学書は、『黄帝内経』です。前漢代に編纂されたこの書物は、黄帝という神話上の人物との医学問答という体裁を取っております。2011年には世界記録遺産に登録されました。
 黄帝が出てくる時点で、なんだか怪しいという気持ちが湧いてくるのは、現代人の感覚ではあります。ただ、これは東洋ならではのものではなく、東西を問わず人類普遍的なものだということは理解しましょう。
 この医学書には、現在に至るまで用いられる診断についても記載されております。

・脈診
・検便(腸から出て来た排泄物を見る)
・舌の観察
・鍼、灸
・全身の気脈
・陰陽五行説

 こうした理論は、後代の張仲景(150ー219、張機、字の仲景が有名、著書に『傷寒論』『金匱要略方論』)、華佗(?ー208)といった名医によって引き継がれてゆくのです。
 こうした東洋の伝統的な医学は、考え方の基礎として、陰陽五行説があります。
https://bushoojapan.com/bushoo/kirinstory/2020/02/09/143053

伝播と変容

 こうした思想体系を基にした伝統医学は、周辺国にも伝わってゆきます。そしてここで、厄介な事態が生じます。誤解があり、かつ重要な点です。
 伝わった国では、その理論を基に目の前の患者を診ていくわけですが、どうしたって実践してゆくと「これだけでは不足ではないか?」「もっとこうした方がよいのではないか?」という事態が起こるわけです。
 17世紀初頭、朝鮮王朝の時代。名医として知られる許浚(きょ・しゅん、ホ・ジュン、허준、1539ー1615年)は、そうしたジレンマに直面しました。そこで、彼なりの経験則や様々な要素をふまえ、『東医宝鑑』を記します。朝鮮独自の医学は、ここに一つの形を成立させたと言えるのです。何度かの改称を経て、現在では「韓医学」と称されています。
 彼の生涯は、『ホ・ジュン〜伝説の心医〜』はじめ、何度も映像化されています。興味がある方は、是非ともご覧ください。

 日本でも、伝播と独自の医学の発展を遂げます。
 永観2年(984年)、丹波康頼が医学書『医心方』を記しました。日本最古の医学書とされています。中国から伝わった医術をまとめ、日本の医師が見出した見解を加えた内容です。
 時が流れ15世紀となると、中国で明朝が成立し、航海術も発展してゆきます。こうなると、日明間で医学の交流が生まれます。明に渡り、そこで名声を博した日本人医師の記録が見られるようになるのです。ただし、こうした記録は日本側のみのものが多く、信憑性には疑念が生じることは確かです。ただ、こうした記録から見えてくることもあります。
 明で医術を学んでこそ、最先端である――明は海禁政策をとったこともあり、当時の日本においては明由来のものは垂涎の的でした。四書五経、兵法、書画、陶器……そうした憧れがあり、いかにして明からの知識や物資を入手できるか、競っていたことを覚えておきましょう。
 のみならず、明から学んだことを日本風にアレンジしてこそ、知識の極みだとみなされていたことも重要です。
 医術においてもそうでした。
 「韓医学」にせよ、「漢方」にせよ、誤解が生じやすい名称ではあります。
「中国から学んだくせに、韓国独自と言い張るなんておかしい!」
「漢方って結局、中国のものなの? 日本のものなの?」
 こういう疑念が生じるかもしれませんが、どちらも誤解があります。
【中国にあった伝統医学を、その国独自に研究および実践したもの】
ということでまとめられるのです。大きな分類としては【東洋の伝統医学】であり、その下の分類として「韓医学」なり「漢方」があるのです。各国によって鍼灸のツボが異なるとか、手順や薬の調合が異なることも、当然ながらあり得ます。また、江戸時代以降は蘭方(オランダ経由の医術)も統合されて、現在の漢方に繋がってゆくのです。

曲直瀬道三の登場と、漢方の新時代

 日本独自の理念が見出されてゆく時代に、革命的な医師がします。
 曲直瀬道三でした。
 曲直瀬道三 (1507年?ー94年)は、禅寺での修行の後、足利学校で学びました。明から伝えられる最新の医学と、日本独自の療法を融合し、『啓迪集』にまとめ上げます。この曲直瀬道三によって、日本独自の医術が一段と進化したといえるのです。彼と同時代の医者である望月東庵と駒は、日本の医術がさらに進化してゆく時代を生き、目撃していた人物といえます。実に貴重な歴史の目撃者なのです。
 この曲直瀬道三は、戦国武将たちからも敬愛を集めていたことがわかります。

・足利義輝を治療し、数々の茶道の名器を賜る
・織田信長から蘭奢待を贈られる
・細川清元、三好長慶、松永久秀らも治療する
・毛利元就の余命を予言し、的中させる

 毛利元就は、曲直瀬道三に心酔しておりました。医学だけではなく、人生訓まで求めて、我が子にまで伝えたというのですから、その入れ込み様がわかろうというものです。
 このように、名医とは体以外を治す政治的な動きもするとみなされていました。豊臣秀次の処断においては、曲直瀬道三の甥にあたる玄朔が謹慎処分を受けております。政治的なブレーンとしての役割を果たすとみなされていたからこそ、このような処分もあったのでしょう。
 どうして医者ごときが天下国家を論じるのか? 不思議に思われる方も多いかと思います。
 前述した伝説的な名医・張仲景にはこんな逸話があります。
 皇帝の病をどんな名医も治せず、張仲景が呼ばれます。彼の診察で回復した皇帝が都にとどまるように頼むと、彼は断りました。
「陛下のご病気は治せますが、国の病は治せませぬがゆえ……」
 名医とは、国家や政治の腐敗をも見抜き、その治療法を見出せるものである。そんな考え方が、東洋の伝統医術にはありました。
「あなたほどの名医であれば、この国の抱える病理がわかるであろう」
 『麒麟がくる』において大名がそんなことを言い始めたら、一体どうしてしまったのかと困惑する方が多いとは思います。しかし、そうした考え方は何もおかしいことではないのです。
 既に光秀や若き家康が駒を敬愛しているような描写が出てきております。あれは若い女性相手への恋愛感情や、ヒロイン補正といった単純なものではなく、名医への願望の籠もった、助言を求めるまなざしなのでしょう。

上医は、麒麟がくる世を作る

 人ではなくて国家を治療する? そんな無茶な!
 そう言いたくもなりますが、東洋の伝統医術とはなかなかスゴイことを要求してくるものです。

上医:病気にかからないように予防します
中医:今にも発症しそうな状態で、それ以上悪化しないように治療します
下医:病気になってから治療します

上医:国家を治療します
中医:人を治療します
下医:病を治療します

 実際にこういうことを志してしまう人はおりました。
「よし、やるのであれば上医を目指す。国を治療する医者になるのだ。政治家を目指すぞ!」
 こうした考えには、東洋の伝統的な思想があります。神羅万象、万物が天地の間にあるからには、国家そのものが病となれば、その中にいる人間までも病んでしまうということです。
 この発想は、大事な話ではあります。将軍の権威が及ばないこと。どこに行っても戦が尽きぬこと。人を殺すことを名誉とせねばならぬこと。光秀も、信長も、本作の登場人物は、この世はどこかおかしい、病であると疑念を抱いているのです。
 このことを踏まえれば、光秀が駒に対して、天下が病んでいる理由を尋ねたとしても、理にかなっているのです。
 『麒麟がくる』における治療描写は、こうした東洋の伝統を踏まえていることがわかります。

・東庵は、会話だけで「織田信秀は手遅れだ」と判断できる
→症状の緩和や助言程度はできる。かつ、もう治療ができないところまで進行していると悟りました。上医とは、問診だけで手遅れかどうか、寿命がどの程度か判断ができるのです。
https://bushoojapan.com/bushoo/kirinstory/2020/02/10/143072
・東庵に対する太原雪斎の要求は、あくまで余命の延長と症状緩和であり、完治ではない
→ 太原雪斎の病が何であるか、ハッキリとはしません。ここでは癌だと仮定しましょう。現代の西洋由来の医術のように、癌に罹患した箇所を切除するようなことはできません。代わりに余命を多少なりとも長引かせ、病に苦しむ症状の緩和に努めることはできます。太原雪斎の依頼は、織田信長の勢力拡張をふまえて、あくまで余命を長引かせるものであるため、その要求には応じられております。
https://bushoojapan.com/bushoo/kirinstory/2020/04/27/147205
・今川義元は、東庵に対して松平元康(のちの徳川家康)の人格について尋問している
→もちろん、東庵と元康が将棋仲間であることは踏まえているでしょう。それだけではなく、「医者であれば人格とて判断できるはず」という考え方がそこにあってもおかしくはありません。何か異変、裏切る兆候があれば、察知できると考えているわけです。
https://bushoojapan.com/bushoo/kirinstory/2020/06/01/148305

 東洋の伝統医学とは、まず観察から始まります。脈拍を取り、顔色を見て、排泄物を観察する。
 その時点で異変があれば察知してこそ、優れた医者になります。周囲はそんな医者の観察眼を信頼し、国や天下まで見通せるのではないかと期待を寄せるのです。
 そしてその治療法は、西洋の医学のように患部の除去や完治を目指すとも限りません。患者が持つ治癒力を高め、体の内部から病を押し出させるように導きます。問題を民の目線で向き合う国家論に通じるものがあると考えられたわけです。
 そうはいえども、そんなことまで期待されるのはごく一部、上医だけではあるのですが。

天下人とは、国にとっての上医である

 こうした考え方をふまえると、天下に麒麟を連れてくる人物のことも見えてきます。
 徳川家康です。
 家康は、駒から「何にでも効く丸薬」をもらいます。このとき、家康は真剣な目で丸薬を見つめていたものです。
https://bushoojapan.com/bushoo/kirinstory/2020/06/01/148305
 そんな家康は、医術を真剣に学んでいたことでも知られています。駿府城には薬園を作り、薬草を栽培していました。様々な薬を集め、自ら調合して、家臣たちに配布することを楽しみにしておりました。遺品としても、薬研、乳棒、鉢、薬壺……調薬に使っていたものが残されているのです。
 ただの健康マニア、つまらなくて暗い趣味のように思われがちな家康の医術。そこに、『麒麟がくる』は本来の意味を与えているように思えます。
 私は、この国を治す上医となる。そして麒麟がくる世とするのだ――。
 駒との交流によりそこに目覚めるのであるとすれば、プロットとして高度な成立が見られます。
 幼い駒の命を救ったのは、光秀の父である光綱。駒が想いを寄せたのは、光秀。
そんな駒から医術を学んだ家康が、上医となって麒麟がくる世を作る。光秀は途中で討たれても、医術を通してつながる。そんな流れがあるのかもしれません。

漢方への誤解を解くためにも

 『麒麟がくる』の世界観根底には、東洋の伝統的な医学があると思えてきました。漢方医の方が、本作に取り入れられた五行説に興味津々であるのも、納得できるというものです。
 さて、ここでそんな漢方および東洋医学に対する誤解や注意点をまとめたいと思います。

◆漢方は、民間療法や加持祈祷とは別物である
 漢方医学と民間療法、および加持祈祷や呪術は別物です。戦国時代の治療というと、馬糞を水で溶いて飲んでいた事例が代表的なものとしてよく紹介されます。
 こうした事例はあくまで民間療法や口伝で広まったものであり、東庵や駒のような漢方を学んだ医師までそういうことをしていたとは限りませんので、ご注意ください。
 加持祈祷と医師は、別の職業です。明から伝来した最新の医術を学んでいてもおかしくない東庵や駒は、こういった 治療法のみには頼っていないことをご理解ください。

◆当時の医学は、西洋が東洋より上だったわけではない
 戦国時代を描いた作品でよくある誤解として、【当時の西洋は道徳、技術、医療、思想等、ありとあらゆる点において優っている】というものがあります。
駒を演じる門脇麦さんは、当時の医術では救えない命が多いことは辛いと振り返っております。これは東洋だけではなく、世界的にそうです。大差はありません。
 東洋が薬草で治療をしていたように、西洋ではハーブによる治療が行われておりました。ヨーロッパでは、金を入れた美容薬・エリクサーによる中毒死といった、あやしい医療による犠牲者も出ております。

  一方、明では紅丸という不気味な薬物が流行し、皇帝まで服用後に頓死する大事件も起きております。

 古今東西、トンデモ医療で儲けようという不届き者がいるのです。私たちも気をつけましょう。
https://bushoojapan.com/world/france/2020/04/12/99731https://bushoojapan.com/world/china/2020/01/31/110716
 東西の医学において差がついたのは、日本の江戸時代、中国の清代、李氏朝鮮の統治時代のこと。17世紀から18世紀における科学革命を挟んでからのこととなります。
https://bushoojapan.com/world/academy/2020/03/29/99575
 この点で致命的なミスがあったのは、2018年大河ドラマ『西郷どん』でした。橋下左内が「西洋の優れた医術」として瀉血を行う場面がありました。瀉血はさしたる根拠もなく、かえって症状を悪化させたこともある施術なのです。
 Amazonプライムのドラマ『MAGI』には、戦国時代と同時代の伝染病治療の様子が出てきます。迷信に頼ったものであり、不確かであるとわかる場面です。

◆漢方薬は誰にでも効くとは限らない
 漢方薬は、患者の体質によって処方が変わります。
 やたらと怒りっぽい信長には効く薬が、穏やかな光秀にはむしろ効果を発揮しない……そんなことが当然であるのが、漢方なのです。
 また、薬局で販売されている漢方薬は薬効を抑制し、かつ患者の体質にあわせた処方になってはおりません。薬局で買った漢方薬が効かなかったとしても、それは致し方ないことと言えます。

◆漢方薬でも、重篤な副作用がある
 漢方薬は副作用がないから安心! そんなことはありません。自分に効いたからといって、気軽に誰かに飲ませるようなことは、絶対になさらぬようお願いします。

 あくまで医療分野のことです。興味をお持ちいただいた方は、漢方専門の方に相談の上、決定なさるようお願いいたします。

21世紀に見直される東洋伝統医学

 明治維新を迎え、日本では漢方医学は古く、使い物にならないと低く見られるようになりました。
 北里柴三郎や、その弟子である野口英世たちは、西洋医学に新時代を感じ研究に打ち込みました。
 それはそれで素晴らしいことではあります。その一方で、「医は仁術」という伝統的な価値観が薄れてしまったのではないかという思いが湧いてこないわけでもありません。
 北里一派に敵意を燃やしてきた森鴎外の行いを見ると、そう思えてきてしまいます。
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/04/09/62904https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/05/05/124341https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/11/09/34199https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2020/01/19/40492
 東洋の伝統的な医学を踏まえていれば、起こらずに済んだ悲劇もあると思えます。
 ストックホルム五輪での、金栗四三ハンガーノックがその典型例です。
https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2018/12/18/118549
 体内環境のバランスを重視する漢方であれば、「水気がなくなるような運動は危険だ!」と思えたことでしょう。肉体を長時間酷使する忍者の知恵には、そのあたりが考慮されていたものです。
https://bushoojapan.com/bushoo/ken/2020/04/06/146040
 漢方は、現代においても有用であると認識されております。生活習慣病の予防に関しては、漢方にはその基本的な心がけがあるものです。

・暴飲暴食をしない。脂っこいもの、動物性タンパク質を摂取し過ぎないこと!
・酒色(アルコールと性生活)は慎みましょう!
・睡眠時間をしっかり取りましょう!
・ストレスをためないようにしましょう!

 病気にかからないためには、生まれ持った生命力を高めるよう、心身のバランスを心がけて生きること。そう説いてきたのが、東洋の伝統医学なのです。
そして2020年、もっと重大深刻な医療問題により、東洋の伝統医学が注目を浴びかねない状況です。
 世界中で猛威を振るうコロナ禍において、欧米よりも東アジア諸国の影響が比較的抑制されているのは、一体なぜなのでしょう?
 このミステリに、世界中の人々が首を捻っている状況が起きているのです。
 これを書いている私は医療関係者ではありませんので、あくまで東洋の伝統医学や思想を踏まえてのことと前置きしますが。コロナ禍においては、東洋の伝統医学の概念を踏まえていると、わかりやすくなることがあると思えるのです。

・【未病】
 健康と病気の間。発症する前の状態。西洋医学では【自覚症状はないものの、検査で異常が見られる状態】、東洋医学では【自覚症状はあるものの、検査では異常が見られない状態】を指すものとされております。この違いが、何かを分けた可能性があるのかもしれません。

・【上医】とは「病気にかからないように予防する」
 欧米と東アジアを分けた大きなものとして、マスクの着用があります。マスクとは、予防に適した【上医】が推奨するにふさわしいものです。

 オリンピック開催が延期され、終わらない流行蔓延の中、世界各地で特効薬やワクチンの開発が期待されています。
 しかし、どう考えてもすぐにはできないという予測がなされている状況です。
そうなるとすれば、東洋の伝統医学のことが思い浮かんできます。
 完治できなくとも症状を抑制する。本来持つ治癒力を高める。後遺症が残ったにせよ、それを軽くする。
 長く付き合うこととなるこの新たな病には、東洋の伝統医学が何らかの発見が期待されるところではあります。
 また前述の通り、【上医】とは社会の矛盾をも指摘できるとみなされてきました。
 コロナ禍が深刻化した国や地域には、医療体制の脆弱化や予算削減といった、制度上の問題もあるとは指摘されることです。
 麒麟がくる世を作る【上医】を求める気持ちというのは、ドラマの中の光秀や駒だけのものではなく、私たちも抱いているものかもしれない――。
そう思えてくるほど、東洋の伝統医学の世界は深淵なのです。
 最後に蛇足ですが。東洋由来だろうが、それ以外だろうが、こんなことができる何かは存在しません。
「これさえあれば、あなたの不安や病気はパッと消えますよ」
 このご時世にそんなことを囁いてくる誰かがいたら、警戒心を強める方がよさそうです。

【参考文献】
小曽戸洋『新版 漢方の歴史 中国・日本の伝統医学』
渡辺賢治『漢方医学「同病異治」の哲学』
伊沢凡人『漢法を知る』
スティーブ・パーカー『医療の歴史』


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