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夫れ兵の形は水に象どる――オッカム氏炎上事件考

 こちらのnoteでも呉座氏問題は扱っておりまして、今ホットなので考察がやめられない状況です。

 またアカデミアの方が通訳女性をセレブバイトと呼び、SNS炎上する事件が起きました。注目すべきは、こんな反応があったことでしょう。
「ああ、また第二の呉座か……」

オッカム先生の「同時通訳者の女性は専業主婦のセレブバイト」発言への実名(筆名)研究者・文筆家・専門家による反応まとめ - Togetter https://togetter.com/li/1725725 @togetter_jpより

  呉座氏により現象が定義され、すんなりとわかるようになってしまった。いわばこれは幕末における「下関戦争桜」敗北の如きものではかなかろうかと思う次第です。
 フェミが燃やす対象を探しているだの。奴らの異常性が露わになるばかりだといった反論もありますが、幕末史を踏まえると、これは大きな流れだと思えてきます。いや、幕末だけではない。歴史が変わるとはこういうことかと興味深いものがあります。

 夫れ兵の形は水に象どる――要するに、確固たる意見で人は動くものでもなく、世間の流れに沿って動く。水の流れが変わったのにそれを読まなければひっくり返る。簡単なことでしょう。
 フェミの異常性だのツイフェミだのいまだに言っているということは、明治以降に攘夷を律儀に唱えているようなものでしょうね。

「ツイフェミ憎しアカウントにリプしてみれば、因循姑息の音がする。フェミニストアカウントにリプして見れば、文明開化の音がする」

 なんてことになっても私は驚きはしません、流れはもう変わりましたので。万国公法の時代ぜよ、ってやつだ。

座敷犬と女のスキルは贅沢品

 そんなわけで、私はちょっとテンションが上がった。これぞ歴史の流れかと。我ながら、なんだか藤甲兵が燃えて喜ぶ諸葛亮じみていて気持ち悪いので、ちょっと説明をさせていただきたく。

 今、世界的な歴史のトレンドといえば、古代以前には女性が活動的だったというものがあります。古代中国の婦好。日本の女性天皇。アイヌの女性狩人。ヴァイキングの女頭領。世界各地で女性ハンター、戦士の形跡が発見されています。
 これは別に驚くべきことでもないでしょう。
 原始社会で、動物なり敵対勢力の襲撃に怯えていたとなれば、男だろうが女だろうが戦ったほうがよい。生産性がまだ高くない集団ならば、女性でも狩猟をした方がよいに決まっている。

 それがある程度文明が発展し、女性を働かせないでもよいようになると、有閑婦人は最高のアクセサリになりました。生産性がなく、ただ男を喜ばせるだけの女を囲っておく。それはとてつもない贅沢になった。

 ここでちょっと犬のことも考えてみましょう。
 人ははじめのうちは、犬を猟犬やソリを引かせるものとして飼い始めた。時代が下ると、それが変わる。贅沢な上流階級ともなれば、ただの愛玩動物として飼い始めることができた。犬がステータスシンボルになったのです。となると犬は交配を重ね、鼻を潰しすぎて呼吸すら苦しくなるようにされる。尻尾を切られてしまう。異形の姿がスタンダードとなれば、人間はいくらでも残酷な交配をしました。

 女性の美容なり、ファッションも、こうした犬の交配じみた流れもある。
 歩けるはずの女の足をつぶして、纏足にしてしまうとか。
 不健康なまでにウエストをギリギリとコルセットで絞り、ハイヒールを履かせ、女の行動を縛るとか。ハイヒールはもとは男性が履き始めていましたが(ルイ14世の肖像画でもご覧ください)、いつの間にやら女性のものになった。Kutoo、私は断固支持しますよ。
 日本の着物だって、体を激しく動かすことには対応しにくい。当然のことながら、上流女性ほど動きにくい着物になりました。十二単なんて着ているだけで重労働です。

 そうして女の能力を封じ込めることで、「贅沢だなあ」と思う文化が洋の東西を問わずあったのです。
 これが二十世紀以降も続きます。第二次世界大戦後、冷戦が始まると、西側はこう喧伝しました。

「ソ連や中国の東側の国では女を働かせていますよ。でも私たち西側では、家に戻れば家庭の天使たる専業主婦がお出迎え! 良妻賢母って最高ですよね」

 こういう家庭モデルができたわけ。
 
 くだんの研究者の方も、そういうある意味人類の業のような価値観を持っていただけなのでしょう。近代以降の女のスキルを奪うことによる悦楽と、二十世紀以降の家庭の天使像をハイブリッドした価値観をうっかり吐露してしまったと。

 十年前なら、いやひょっとして一年前でも問題にならかったかもしれない。しかし畢竟、人とは明哲保身。価値観を先んじて鍛え、流れに応じた明哲を持たねば身を保てません。

 長くなりましたが、彼については明治以降でも攘夷を信じている層のような……そんなものを感じてしまいました。

人権を嘲笑う価値観に足元をすくわれる

 とはいえ、彼を男性だとか、道民であるとか、そういう属性で判断するのもまずいとは思う。これは畢竟、日本人、特にある世代についてはもはや業のようにへばりついたことだと思う次第でして。

 呉座氏にせよ、オッカム氏にせよ。
 彼らの世代は苦労した。苦労しているのに、助けてもらえなかったルサンチマンがある。親の世代は9条だの戦争反対だの言っているけど、俺たちは助けてくれなかったじゃないか。こんなルサンチマンがある。

 それに人間とは、親世代に反発し、祖父母世代に憧憬を抱くもの。『おかえりモネ』はこのセオリーを意識していておもしろい。まあ、朝ドラの話はさておきまして。

 要するに、呉座氏なり、オッカム氏の世代は、パヨクやリベラルを逆張りして小馬鹿にすることこそが、価値観の根底にこびりついていると思う。
 戦争体験者が話す授業をサボり、「うぜえw」と嘲笑い、原爆ドーム前でピースして写真撮影。そんな価値観とっくに捨てた方がよいとは思いますが、そうできたら苦労はない。
 こうしたイキリ芸とセットで、リベラルだの人権だのフェミニズムだの、そういうものをサクッとくさしてこそクールwwwwww そういう価値観が根底にできちゃったんですねえ。
 いい歳こいて差別的な淫夢ネタを使うとか。大手掲示板やニコニコ動画ノリでやらかすとか。
 いわば、世代の病です。人権教育やディベート技術を学ばず、そのからっぽの部分に2ちゃんやニコニコ動画のノリを流し込んだ。先行者でケラケラ笑っていた。韓国をバカにすることが楽しみだった。
 そういうツケが回ってきたんですよ。

 ゆえに、呉座氏やオッカム氏に反発している方でも、レイシズムやトランス差別はケロッとしてしまうことがままある。私もそれなりに経験を積み、だいたいどこをつつけば差別的言動言質をとれるか、わかってきた気がします(全然ありがたみのない特技だ……)。

どういうわけかわからんが、田中清玄のこと

 自分のことを語っても仕方ないのですが、自分がどうしてこういうネトウヨ価値観に引きずられなかったのか、理由に思い当たることがありました。
 私も左翼やリベラルになんとなくうっすらと反発した時期があった。そのころ手に取った書籍が、田中清玄や石原莞爾のものだった。我ながらいったいどういうことなのか困惑するところではあるのですが、大山倍達マイブームからの流れだと思います。どちらも大山倍達が誉めていたと記憶しています。じゃあその大山倍達マイブームはどこからかというと(ちなみに『刃牙』経由ではない)、千葉真一映画あたりからだと記憶しています。じゃあなんで千葉真一……どうでもいいですね。

 そういうマジモン右翼からすると、小林よしのりあたりは軽薄で何かちがうとひっかからなかったんだなと。田中清玄のおかげで、司馬遼太郎とネトウヨから距離を置けたことは感謝したいと思う次第。

 なぜ、オッカム氏の話から田中清玄にたどりついたのか? それは自分でもわかりません。でも誰しもあるんじゃないですか。田中清玄を読んでしまう、そんな青春が。

 以下、投げ銭記事。オッカム氏の今後ですけどね!

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