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『水都百景録』を楽しもう!「蘇州に行こう その2」

 『水都百景観録』で解放された蘇州――誰を連れて行くべきか?

文徴明を蘇州へ

 結論から言えば文徴明。
 蘇州には東園という庭園があります。これは世界遺産「蘇州古典園林」の筆頭、拙政園(せっせいえん)のことでしょう。この拙い政治の園という大庭園は、王献臣が中央の政治に飽き飽きして官を辞し、故郷蘇州に戻ったことから造られてゆきます。王献臣は文徴明にそのことを嘆きまして。
「もう政治が腐りきってきますよ、やってられませんわ!」
「そうねぇ……癒しが欲しいねえ」
 そんな嘆きを受け、文徴明が設計に大きく関わりました。山水画を現実に再現しよう。そんな思いをこめて作られた大傑作というわけ。

 つまりこれは文徴明の代表作ってことでもある!

 アクションゲームのステージで「桶狭間の戦い」があったとして。そこをゲームシステムとしては豊臣秀吉や徳川家康でもクリアできるわけだけれども、どうせなら織田信長でクリアしたいと思いませんか?

 蘇州で東園を文徴明が作ること。それにはそんな大きな意義があるのです。
 蘇州ができたら、船に文徴明と愛妻・呉黎を乗せて運びましょう。料理と木材もつけるとよいかも。

蘇州に来てはいけない人々

 ゲームシステム的には誰が悪いのか以前書きました。釣り堀と綿花畑がないので、天賦がその関連の特殊住民はおすすめできません。

 そうではなく、歴史経緯において来て欲しくない連中もいる。

・朱元璋
・常偶春
・劉伯音

 彼らが明を建国する際、最後まで抵抗した宿敵・張士誠の本拠地が蘇州でした。そんな恨みがあり、永楽年間あたりまで国を上げて蘇州にいやがらせが続きます。蘇州出身で朱元璋に仕えた高啓なんて、些細な難癖をつけられて腰斬という悲惨さ。

 劉伯音は科挙に「八股文」という難解な文体を導入したのですが、蘇州文人の科挙挑戦者のみなさんはだいたいが「ケッ」と思っていた。不器用で要領の悪い文徴明が科挙にひっかかりもしなかったのは、八股文をこなすような受験テクニックが身に付かなかったのではないかと言われています。
 つまり、こいつらが蘇州に来るのはただの嫌がらせでしかない。応天府でおとなしくしとけ!

 日本で例えるならば、江戸時代初期の大阪に徳川家康、本多忠勝、本田正信が来るようなもの。来んでええ、江戸へ帰れや。そういうことよ。

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