尊殿に応える書

 今日こそは記念すべき日でございます!

 クソレビュアーになんとしても一矢報いたい。落とし前をつけさせたい。そうずっと牙を研いでいた、八十万の善男善女、『まんぷく』および『いだてん』を愛する心清き軍勢の総大将、チュン・ウー・チェン殿のお出ましです! それがしかねてより、首を長くしてお待ちしておりましたぞ。以前より、卿と知り合いたいと熱望しておりましてな。コメント欄では答えきれぬゆえ、エントリを書いた無作法、お許しくだされ。

 といっても、いわばここは我が城。何をしようと、それがしが城主ですので。

 オンラインゆえ、粗茶の一杯も振る舞えぬとは残念至極。ともあれ、ようこそここまでおいでくださいました!

 ところで、つかぬことを聞きますが。どこまで漢字はどのように書きますか? zか、cか、わからぬので、ここはひとまず尊氏ということで話を進めさせていただきます。どうにも、御尊名は、中国史に通暁する手合いとは異なるようにお見受けいたしますが。

 アニメなり漫画で学んだ、なんちゃって中国人キャラクター由来でござったかな? アイコンからして、そう推察しますが。

 それはさておき、せっかく卿のTwitter開始六度目の秋を祝うためのこと。クソレビュアーのケチをつけたく、わざわざnote新規アカウントまで獲得したことですし、ここは盛大に祝おうではありませんか!

 尊殿に、まずは一献!

光陰の問題――演技が悪ければ褒められぬ

 では、尊殿のご意見に返答いたそう。まずは、『まんぷく』の安藤サクラ殿。
 あの方は気の毒だとは思っております。あんな台本と演技指導では、往年の名女優を何十人連れてこようと、結果はさして変わりますまい。

 安藤サクラ殿がインスタグラムでどんな投稿をしようと、バラエティー番組で何か言おうと、インタビューで何を言おうと、クソレビュアーとしては関知するところではござらん! 『なつぞら』の時にさんざんあったではありませぬか。

「広瀬すずは生意気! あんな生意気女が演じているなつもきっと苦労知らず!(※なつは戦災孤児ですが……)」
「そうだ、きっと、生意気な広瀬すずみたいな女なんだ! こんな女がチヤホヤされるなんてありえない!」

 あ、『半分、青い。』の時は脚本家とヒロインを重ねてましたね。まだこちらほうが、合理性があるとも言えなくもありませんが。書き手は人生経験を反映させますもんね。それでもSNSの発言とドラマを無理矢理結びつける雑論調には呆れ果てましたが。話題になればなんでもよろしいのでしょう。

 こういうことでござるな。
 それがし、これでも『まんぷく』のパフォーマンスだけで安藤サクラ殿を批判しております。その上で言いますが、あの演技はあまりに酷かった。褒めるところが、何一つ、全くもって、ござらん!
 それなのに、安藤サクラ殿を褒める時は、ハッキリ申しまして福ちゃん演技そのものとは無関係な論調でした。

「流石カンヌ女優は違う。カンヌ女優でなければここまで見られなかったはず……私にはわかる演技力!」
「私にはわかる! カンヌを魅了したあの女優はすごいってことが!」
「正しい朝ドラファンならば、あの演技の良さはわかるはず!」

 ま、要するに、【ハロー効果】でござってな。 
 なまじカンヌで高評価を受けたがために、安藤サクラ殿の背後にはカンヌオーラがキラキラしてしまう。顕著な実績なり、名前で光らせる。カンヌの威光とて、『パラサイト』の前では霞む。ソン・ガンホは素晴らしいものが……おっと話がそれましたが。
 カンヌの光源がやや陰ると、血統だの、夫とラブラブだの、出産育児経験だの……演技とハッキリ言って何も関係ない光源が持ち出されたことも、印象深いものがありましたが。

 そういう光源を無視したら、『まんぷく』の演技は何一つ、光るところがない。これがそれがしの結論でござる。
 こんな残酷なことを引き出すために、わざわざおいでくださるとは。卿もなかなか、人が悪いのではありませぬか?

 ついでに言えば、もし別の作品で安藤サクラ殿が出て、素晴らしい演技をしていれば、そのパフォーマンスはむろん賞賛に値しますとも。
 『まんぷく』の出演者ならば、長谷川博己殿ですな。『まんぷく』の時は、ハセヒロファンにさんざん怒られましたが、『麒麟がくる』では素晴らしいので、素直にそう申しておりまする。

 ご満足いただける回答であろうか?
 本当にあのドラマは罪深いものがあった。『あさイチ』ですら、福ちゃんの過剰演技をからかうようなことをしたし。週刊誌表紙には、安藤サクラ殿の名前とセットでモデルスキャンダルが掲載されるわ……。罪深い話ですな。

逆鱗に触れた報い

 そして次、『いだてん』のクドカンのことでござるか。
 正直に申しまして、こんな“クドカン”という、無駄に脚本家ブランドを形成するあだ名もどうしたものか……まあ、それはさておき。

 ここで質問がござる。
「『いだてん』の脚本家は酷い!」
 と、それがしが申したとき。何故、貴公は「クドカンを責めている!」と思うのでしょう?
 正直に申しますと、『まんぷく』にせよ、『いだてん』にせよ、脚本家が一人とは思えないのです。語彙力低下、伏線未回収、整合性矛盾がしていた。つまり、複数名いて、しかもきっちりと統制が取れていない。チームが乱れていると思えたのです。

 そういうものを、「流石クドカン節!」とファンが褒め称えるのは、あまりに残虐だと思えたのです。
 本人ですら、当初の「自らの持ち込み」を撤回するように「NHKから押し付けられた」と言うようになったのに。一から十まで、『いだてん』はクドカンの最高傑作だと褒めることは、非道の極みだと思いました。しかもそれが、ファンのやり方とは……一体、ファンとはクドカンの何を持って「クドカン節」と呼んでいたのか? 中身か? ブランドか? 惰性か? 優越感か?
 こんな酷い事態を、それがし、見とうなかった……。
 だからある意味、クドカンを“脚本家”として叩くことには賛同できかねる。

 と、申したいところですが、甚だ遺憾ながら、彼はグレーゾーンを踏み越え、逆鱗に触れたことは指摘せねばなりますまい!

 まずは、『あまちゃん』。もう怖いものなしなので、敢えて申します。ちなみに今、背後ではBLACKPINKをかけておりまして。

 東日本大震災復興支援という“大義名分”あるからには、そこはなかなか突っ込めませんでしたが。
 あれは要するに、AKBビジネスのプロモーションの側面はござったな。要は、秋元康大将軍ビジネスだ。オリンピック関連でも関与していたとかなんとか言いますね。
 AKBなんて、正直どうでもよいとは思っていました。けれどもメンバーが悪質な犯罪に巻き込まれ、未成年に有害なジェンダー観を植え付けるとなればどうか。そりゃ、本物の若者はBLACKPINKを聴いてロールモデルにするだろうという悲しい発見はあると。
 2010年前半ならば、通用したのでしょうけれども。もう、あのドラマの話はしないほうがみな幸せになれるとは思います。叩けば叩くほど、何かどす黒いものが見えてくる。

 そういう『あまちゃん』のあとの『いだてん』ですが。
 もう、本当に、このコロナの時代にあのドラマのことを蒸し返す必要性があるのかどうか。とはいえ、尊殿たっての願いならが致し方ありますまい。

 コロナで医療施設をつくれば良いのに、テレビでは五輪に向けた整備を流す。
 五輪招致に関する不正疑惑に、フランス検察がますます厳しい目を向けている。
 東京のコロナ対処遅延の背景に、五輪開催への思惑が見え隠れしていると指摘される。
 コロナの時代、対面で複数の国から人を集める五輪は、「ただの運動会じゃんね」どころか、感染爆発の契機になりかねないと見られている。
 ここまで、肝心の五輪が燃え盛っているのに、そんな五輪の宣伝を受信料でやらかしたあのドラマを持ち出す。持ち出されたところで、顔面が蒼くなるのはそれがしではなく、クドカンご本人ではござらぬか? それに気づかずに、「最高じゃんねー!」と言い張りたいなら、まぁ、好きにすればよろしいかと。

 龍には逆鱗がある。それに触れたら危険なもの。大河ドラマは、そういう逆鱗に敢えて触りに行った。その先頭にクドカンが立って、ファンが応援していたのであれば、その責から逃れられるわけではござりますまい。

 そこは、それがしが叩こうと、叩くまいと、同じことでござろう? いやいや、尊殿も人が悪い!

将を射んと欲すれば先ず馬を射よ


 とはいえ、尊殿はじめ、八十万を擁して赤壁に殺到するが如き軍勢には、一向に話が通じないことは織り込み済みでござってな。

 『いだてん』、『まんぷく』、そして『エール』は、特定の層に向けた立ち回りは絶品でござる。それは40代から50代に向けた気配りバッチリという意味で。それに、ああいう作品のファンは、ファン同士で固まって、話を聞かない傾向がある。人間誰しもそのようなものでござるが(それがしもそう)、それが際立っているし、悪いと思うこともない。

 『いだてん』には、身勝手な理屈が山ほど出てきましたな。そのうちひとつに、「戦争で迷惑かけたアジア人を喜ばせるためにオリンピックじゃんねー!」というものがござった。

 何の意味もない主張ですな。
 アジア人側が、そのことを望んだならばともかく。まーちゃん周辺がギャーギャー喚いて、勝手に謝罪した気持ちになるだけです。
 妻に迷惑かけた夫が、コンビニでシュークリームを買って帰り、「バッチリじゃんねー」と思っている。それに似た薄寒さを感じたものでござる。
 要するに、こういう対話を欠いた一方的な謝罪は、相手を見下していないとできない。そこにはビルドインされた【アジア人蔑視】と【脱亜入欧】があって、見ているこちらとしては怒髪衝天ものでした。

 それでも「感動したじゃんねー!」となるのは、【ターゲットオーディエンス(=想定視聴者層)】には共感できる理屈ですから。
 思うに、『いだてん』ファンの多くは、日本史選択者ではござらぬか。あの作品の国際認識および近現代史知識は、日本史の教科書的でござってな。世界史の教科書や基準では、かなりズレた話をしている。それでも日本史を選択し、大学に合格する。そのあと、世界史がらみの勉強をしなければ、その問題が理解できない。最悪の場合、Youtubeで流れている陰謀論歴史ものにコロリとハマり……ともあれ! 
 日本史の教科書だけで学んでいると、第一次世界大戦後の理解には、決定的な齟齬が生じる。 日本の高校では、受験対策として日本史選択を勧めることが圧倒的に多い。それに大学名がステータスシンボルとなって、卒業後の勉強はさほど問われない。そういう日本史選択者エリートのイメージする歴史観だとしみじみ思った次第でござる。
 あ、それがしは世界史選択でござるよ。だから、話が噛み合わんのかもしれませんな。ともあれ、そんなこと申しても通じませんよね? なまじ、名問大卒で肩書きがあるとなると。さらに、実生活に満たされなさがあるとなると。何か叩いて、スッキリしたい。そんなエリートの前で、それがしごときがいったい何をできるのか?

 『まんぷく』の福ちゃんは……それがしにとっては魅力が全くなく、モデルへの敬意もまるでなく、演じる安藤サクラ殿に同情したのはその通り。よりにもよって、『まんぷく』の次に『いだてん』とは。ご本人に悪意はないと先だって申した通り。されど、戦略を立てている彼女の軍師には、申したきことはござってなぁ。戦略の練り直しが必要であろうな。

 それでも、「私は福ちゃんそっくり!」だの、「福ちゃんに共感することこそ、正しい朝ドラファンの道!」(ましてや『半分、青い。』の鈴愛、『なつぞら』のなつは、島流し相当だと言わんばかりの意見もセットで)。そういう意見はあった。
 福ちゃんの造型は、モデルにも、昭和を生きたあの年代の女性にも近くはない。その程度のことは、それがしとて調べましたぞ。

 されど、ああいう像が正解とされる年代がある。少女漫画を読み、バラエティ番組を見て、ボディコンで踊った世代とでも申しましょうか。合コンの“さしすせそ”はもちろんできる。甘いものを買ってこられたら「やだ〜!」と喜ぶ。甘ったるい声でいつも話す。そういう可愛い昭和後期、平成前期の女性像ですな。
 そういう女性像を規範として生きてきた世代にとって、福ちゃんは理想のロールモデルではある。経済的には楽勝でウキウキできて、共稼ぎの必要もなし。きらきらうるうるした目で、イケメンの夫を待ち続ける。そりゃあもう、理想像ですとも! 鈴愛やなつみたいに、己の個性なり力を発揮したがる女は邪悪ってところまでがセットですな。
 ゆえに、福ちゃんを正解とする意見は、理解できなくもないのです。問題は、モデルの世代に即した像ではなく、むしろモデルの子世代の理想ということですな。

 そしてそんな熱い声から見えてくること。それは、作品と己を同一視する目線でもある。

 将の首を取りたければ、まずは馬を射る。そりゃ馬はかわいそうではありますが、これは確かにそう。こと、『まんぷく』や『いだてん』クリーンヒット世代には、これが必殺の戦術となり得ます。
 
 というのも、彼らは自分の推しと自分自身の境界が曖昧なのです。
 彼らの青春時代、日本のトレンディドラマ、アニメなり漫画は絶好調でした。少し前の年代は、邦画だって勢いがあった。ジャパン・アズ・ナンバーワン! そんな意識が、作品を通してむくむくと育ってゆきます。

 ディズニーなんて目じゃない! 世界的に『ドラゴンボール』大ヒット! そんなニュースは甘い蜜でした。それにそんな少年漫画の掲載媒体は、アンケートシステムを導入している。人気投票も定期的に行われる。

 自分が鑑賞して、好きだと思って、アンケートハガキを出して、好きだという言葉を届ければ、それがフィードバックになる。そして世界を制する。圧倒的な肯定感と快感がありました。

 たとえ自分が評価されなくとも、自分の好きな作品やキャラ、推しは大人気だ――そんな意識は、この苦しい社会を生きてゆく上で、どれほど救いとなったことか……。

耳に逆らう諫言はいらぬと?

 しかし、これには罠が当然のことながらあります。
 作品を批判されただけで、自分自身や自分が属するグループが否定されたと激怒する心理が生まれてくる。そして攻撃的になって、批判する人間を吊し上げて一致団結するようになる。そんな心理が生まれるのです。

 ドラマレビューをするから、ドラマに関する批評やニュースも見るようになりました。まぁ、基本的に空気を読みますよね。これが海外とは異なるところ。海外ドラマは、批判があり、そこから意見が交換され、フィードバックされます。

 時代物に例えると、日本のドラマ周辺は、同じ動きをする宴会の踊り子たち。
 海外は、群臣が大声を出してでも討論し合う評定。
 どちらが優れたものを生み出すのか? それは後者では? けれども、考えに考えて諫言を出したところで、「空気読め!」だの「このクソが!」だの言われたら、どうでもよくなるじゃないですか。

 『まんぷく』も、『いだてん』も、アンチは許さない、叩き潰す空気はかなり濃かった。ハッキリ言いまして、不健全です。繰り返しますが、この二作は近現代史観点から見てかなり差別的で悪質な描写が随所にありました。たとえいかにおもしろかろうと、そんな毒入りのものを褒めることはごめん被ります。

 作品の質を具体性をつけて褒めるよりも、仲間内で同じ動きをすること。褒めるにしたって「私は好き!」「気持ちいい!」という快感表明が多い。空気を読むこと。笑うこと。ハッシュタグをワールドトレンドにすること。そういう一矢乱れぬ動きをすることに気を取られているようで、それがしは傍観するしかなかった。

 そしてこういう作品と自己の同一視は、いじめ心理に繋がってゆきます。
 善良にして真正なる朝ドラなり大河ファンの見解を読むと、いろいろ理屈はつけてきらびやかな文体で彩るけれど。
 結局のところ、感情の快不快につながっている。私が気持ちよくなれたか、そこに落ち着く。
 そしてその仲間内で不快とされたものは、徹底して叩きのめし、笑い物にし、自分達の優越性や道徳心やセンスを満たす。そういう心理が渦巻いておりました。


 もろもろをふまえて、ここで根幹を倒すことを言います。
 この世代は、とかくネットの声を重視し、それが世界だと思い込みたいのだけれども。
 SNSのトレンドは、世論を反映しないと証明されています。

 いくら『いだてん』のハッシュタグで盛り上げたところで、視聴率は伸びない。あのドラマの話をふったところで、例年以上に反応は鈍い。
 ドラマレビューが打ち切られた連載もある。アクセスを稼げないのでしょう。観光でも大苦戦した。
 あのドラマに意義があるとすれば、SNSと世間の乖離を見せつけたことです。

彼を知らず己を知らねば百戦百敗

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と言います。『麒麟がくる』では斎藤道三も引用していましたね。

 その逆は? 対象者のことも、己のことも知らないこと――SNSに熱中するある年齢層が、百戦百敗する理由はこれで説明がつく。
 SNSの持つ力を過大評価し、世間のことを知ろうとしない。それでは負け続ける。
 それがしとて、どうせ戦うのであれば勝ち戦がよろしい。ゆえに、百戦百敗の戦場はごめん被る。

ここから先は

318字

¥ 1,000

よろしければご支援よろしくお願いします。ライターとして、あなたの力が必要です!