犯行動機に“模範解答”なぞあってよいものか?

 2021年8月8日にこれを書いています。

◆ 小田急線車内で10人重軽傷 36歳の男を殺人未遂容疑で逮捕「幸せそうな女性を殺してやりたいと思った」、床にサラダ油まく:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/122491
 6日夜、東京都世田谷区を走行中の小田急線車内で男が複数の乗客を刃物で切り付けて逃走した事件で、警視庁は7日、殺人未遂の疑いで、川崎市多摩区西生田4、職業不詳対馬つしま悠介容疑者(36)を逮捕した。調べに容疑を認め、「6年ほど前から幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった」「逃げ場がなくて大量に人を殺せるから電車を選んだ。誰でもよかった」と供述しているという。

 さんざんこの動機については議論がなされているけれども、これについてはいい言葉がある。

「ならぬことはならぬ」

 会津のことは書かないと言いつつ持ち出してしまいました。いかにもバカが好きそうな理屈だの、思考停止だの、そんなことを言っているから会津は負けただの。それこそwwwをはやされながら突っ込まれそうなので、説明をしますと。

 これは「什の掟」といって、少年教育用です。いじめをしちゃいけないとか当たり前じゃね? こんなこと教えているからダメなんじゃね? 什の掟+嫌い で検索候補が出て、上位にはそういう論調のブログが出てきます。
 でも、そういう当たり前のことすら守れず、オリンピック開会式を不意にした人だっていたのだから、有用じゃないですか? 

 この教えだから負けたと言いますけど、魔改造された挙句流布した日本式陽明学の「心即理」だの「知行合一」の方が危険だと思いますが。詳細は後述します。
 会津は戦争に負けただけですが、そういう陽明学を加えて魔改造した後期水戸学の結果、水戸藩がどうなったか考えてみればいいのですよ。渋沢栄一が学んでいたから成功するようなイメージがつきつつありますけど、渋沢か、藤田小四郎か、そんなハイリスクな賭けをさせるつもりかとは言いたい。

 話がそれましたけど。

 動機がどうあれ、無差別殺傷を試みる時点で話になりません。
 婦人参政権を求め活動していて、それが実らずに国王の馬の前に身を躍らせたサフラジェットのエミリー・デイヴィソンならば、理解できなくもない。動機こそ重要で、頭のおかしい女の発作的な行動といったら話が通らなくなる。
 しかし今回はどうですか?
 この事件だって、コロナ禍でなければ起きなかった可能性は考慮したい。そういう短絡的な事件は増えている。それにこの犯人が心の底からこうした動機を言っているのかどうか、そこは踏まえた方がよい。
 理解や同情をひく動機を選んで言っている可能性はありませんか? 笑止千万! そう言い返せば十分では?

 こういう猜疑心全開なことを言うと嫌われるのは重々承知しています。
 けれども、犯行動機にだってある程度の模範解答はあるのです。そしてその模範解答は、社会が作り上げています。

“尊王攘夷”を掲げれば愛国無罪だった

  話がいちいち幕末史に突っ込んでめんどくさいとはいえ、あえて書きます。2021年の大河ドラマ『青天を衝け』は、まさに今の日本社会を反映していると興味深く見ています。作品の出来としては極めてお粗末で、ここまで酷い大河は2015、2018、2019くらいだとは思いますが。おっと、続いているなぁ! 

 話を『青天を衝け』に戻しまして。このドラマの悪質性はいえばキリがありませんが、あげてゆきます。主人公である渋沢栄一が短絡的な尊王攘夷思想に浸かり、テロ未遂をするところを情感たっぷりに描きました。本人とは似ても似つかないイケメンが、ベトベトした湿度の高いセリフと演出に合わせて尊王攘夷を叫ぶものだから、SNSではこういう感想が回ってくる。

「当時はそんなものだよね」
「でも、これは仕方ないよ」
「国を思って、よくしたい気持ちは純粋だよ!」

 小栗忠順や福沢諭吉が笑い飛ばしそうな詭弁の数々を信じていればこそ、こういう感想が出てくるのだとは思う。愛国無罪って、隣国よりもずっと前、日本の幕末史において有効ですので。

 このドラマでは天狗党の乱がらみで、藤田小四郎役や武田耕雲斎の役者がなんだかよくわからないことを言っている。天狗党は国をよくしたい思いがあった。それでも家族を愛していた(その家族まで巻き込んでの殺戮に至るわけですが)。
 知らんわ! そんなもん、田中愿蔵に殺人放火強盗やられた側からすればどうでもいいわ!
 私としてはそうとしか突っ込めなかったのですが、劇中栃木宿襲撃のようなことはまるごとカットし、このドラマお得意のジメジメした展開をしたところ、天狗党のみなさんは悲劇の存在に昇華されてましてね。

 ああいうしょうもねえ言い訳をばら撒くことにも、一定の効果はあるものだ。群集心理とは単純だと思ったものです。

「心即理」と「知行合一」――日本流陽明学の呪縛

 話が飛びますが。
 人間、理と情で動きます。理として合っているかどうか、情として叶うかどうか。それが重要です。しかし、日本はどうにも、情重視でバランスがおかしいんじゃないかと思います。

 今の首相が、パンケーキ好きだのなんだの、しょうもないアピールをされていましたね。まだほんの一年前のこと。そんなもん、甘いものを食べることと実務能力なんざ(ついでに言えば秋田の苦労人神話)、まったく関係がない。なのに何やっているのかと思ったのです。

 そしてまた『青天を衝け』のおかげで、その理論の発端じゃないかと思うことも見えてくる。

 幕末維新を動かした志士たちは、幕府の押し付けた朱子学でなく、陽明学を学んでいた。中国や朝鮮では否定されていた陽明学を学んだから、日本は明治以降、大発展を遂げた。もはや陽明学は日本のお家芸――。

 あのドラマのために参考文献を漁っていると、こういう趣旨のものが引っかかる。そのラーメン餃子を和食扱いするようなことを、儒教でまでやらかして一体なんなのかと突っ込みたいのですが、まあそのへんは小島毅先生に任せるとしまして。

 近代日本の陽明学は、むしろ危険思想でしょう!
 
 だって「心即理」を「幕府が悪いと思ったら、老中でも殺そう! 心のままに!」と、暴走したエルサ状態で発揮した吉田松陰とか。
 そのフォロワーが京都でやらかした行動原理は、プロシュート兄貴状態だし。

「ブッ殺す」と心の中で思ったならッ!その時スデに行動は終わっているんだッ!

 知行合一も、なんかそういうテロの理論武装に使われるし。
 思いついたとしても、実行に移したらいけない。それこそ「ならぬことはならぬ」とできなかったのかとは言いたい。ネットで歴史を学ぶ皆さんが嘲笑うことで有名な松平容保は、「言路洞開(げんろとうかい)」(話し合って解決)路線を唱えていたんだっけ……そう思い出したりしまして。
 
 攘夷テロをして、外国人を殺傷していた連中だって、魔改造陽明学だの、後期水戸学より学ぶべきことがあったと思うんですよね。でもそれを明治以降、なまじ英雄視しちゃったもんだからさ。
 長州走狗の元テロリスト主役『るろうに剣心』があんなに同情集めちゃっているようではなぁ。『ゴールデンカムイ』はその点、人斬り用一郎が適切に描写されていたと思います。

ただし、その心を養うのは?

 ありのままに振る舞ったエルサが感動的なのは、彼女があくまで女性であり、抑圧されてきたからである。ネットで思うままにミソジニーを振り撒いていた誰かが、それを「知行合一」したら、ただの邪悪極まりない、短絡的な愚行でしかない。笑止千万です。

 それは前提として、どうしてこういう弱者男性論が支持を集め、同期の模範解答になるか、そこは考えたい。
 これも幕末史にヒントがある。尊王攘夷テロも「愛国心由来だ」とすればだんだんとみんな「あ、そっかー」と納得してしまう。

 どんなデタラメで無茶苦茶な理屈だろうと、しつこく、しつこく、しつこく言い続けたらある程度通じるようになる。
『電波男』からずいぶん時間が経った。映画『ジョーカー』なんてものまであるから、もう定番です。

 弱者男性論は、そういう理論武装を経た。
 幕末のテロリストどもが「尊王攘夷です! 世の中よくしたい!」と苦し紛れに言えばなんとなく理屈が通ると思えるように、弱者男性論もそうなったのでしょう。

 くどいようだけれども、兵の形は水に象(かたど)る。そういう水路がもできあがっている。ここに水を流せば、ある程度通じる。そういう計算は、意識的にせよ、無意識にせよ、通るようになった。案の定、今回の事件に乗じてミソジニーをネットの水路に流すものは大勢出てくるわけです。

弱者男性論の供給を断つ

 だからここも、幕末明治史からヒントを得たい。
 明治政府の中枢は、尊王攘夷なんて倒幕のアリバイだとさっさと切り替えて、ガラッと国を変えたわけだ。そんなもん詐欺じゃないか! そう怒って暴れる連中は片っ端から処罰すると。

 そんな明治政府じみた真似はできないにせよ。もう弱者男性論は、そういう水路を作る連中をどうにかすべき段階なのではありませんか? 乗っかって議論を引っ掻き回す連中をいちいち取り締まってもいけない。

 具体的にどうするかというと、あの日本史研究者の判断力を低下させたようなネット論客に、発言の場を与えないということ。ああした論客に乗っかり、RTやらいいねを繰り返した結果、失敗する例は十分に出ています。

 これまた前にも出した話ですけど、孫子勒姫兵だ。孫子が呉王閻閭から、後宮の女性を軍事教練しろと言われたとき、どうにもうまくいかない。そこで孫子は指揮官である寵姫を斬首した。それで規律がおさまった。
 孫子のように斬首はできないにせよ。世論形成でできることを考えてみました。

・ミソジニーをこじらせ、それで炎上し、アクセスを稼いでいるようなネット論客に、発言の場はともかく、世論形成となるような場と機会を与えないこと。
・日本史研究者のように、あまりにひどいミソジニーを展開する者には、それ相応に厳しい対応をとること。
・ヘイトクライムの動機説明を、安直にそのまま報道しない。
・弱者男性論のようなミソジニーに、同意するような意見の発信は慎重にする。できればガイドラインも制定する!

 フェミサイドを許さないと訴えることは、むろん大事です。しかし、そんなもの、想像力に乏しい男性からすれば、自分の身に危険が及ばないから真剣に考えませんよ。ここは彼らの利害も考えましょう。弱者男性論、ミソジニーの展開にはリスクがあると、示さねばどうにもなりません

 どうせここで言論の自由だの、そういうことを突っ込むことは想像できますけどね。
 これが人種差別の理屈だったらどうですか? 他のありとあらゆる差別と比べてみてくださいよ。特定の集団を危険に晒す犯罪行為を補強する理論なぞ、規制は当然のこと。ミソジニーと女性の生命、どちらが上だと思っているんですか!

 現代人が、幕末の尊王攘夷をアホくさいと思い、吉田松陰ってテロリストではないかと突っ込んでしまうように、未来の人々だって弱者男性論に呆れ果てるはずですよ。

 そういう未来を見据えて行動することも大事でしょう。今後、ミソジニー由来のフェミサイドが撲滅できるとは言い切れない。けれども、弱者男性論が陳腐化することは確実だと私は思います。そのためにできることを考えてゆくことも大事です。

 ここから先は若干不穏当なので投げ銭制で。

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