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呉座氏騒動を『孫子』「勢篇」で考える

◆【HBO!】呉座勇一「炎上」事件で考える、歴史家が歴史修正主義者になってしまうということ https://hbol.jp/241894

 同意します。けれども、何か危うさも感じましたので、僭越ながら指摘させていただきます。

 この論は人間を過信している。性善説のようなものを感じます。
 歴史を学べば歴史修正主義者にならないかどうか? マル暴刑事がヤクザ顧問になるようなもので、むしろ必然ではないかとも思うのです。武器を手にして正しく使うかどうかは結局その人次第。ましてや人間は勢いに流されます。
 人権を学ぶことも大事ですが、世の中の危難ってだいたい『孫子』で避けられる気がしますよ。今日はこれで。

故に善く戦う者はこれを勢に求めて人に責めず。
故に能く人を択びて勢に任にんず。
勢に任ずる者は、その人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。
木石の性は、安なれば則ち静に、危きなれば則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。
故に善く人を戦わしむるの勢い、円石を千仞(せんじん)の山に転ずるが如きは、勢なり。
『孫子』勢篇

 こういうことを言いたくない。でも、歴史が好きならみんなもっと楽しく『孫子』トークをして、生かしているものだと思っていた。「用間篇」を真面目に読んでいれば、鍵をかけていようがもっと警戒心を強められたでしょうに。残念です。

「知ったことじゃねぇよ だから? 何だ? 悲しめ? 悔い改めろってか? 俺は俺を評価しない奴なんぞ相手にしない 俺は常に!!どんな時も!!正しく俺を評価する者につく」
『鬼滅の刃』、獪岳の言葉。人間心理とSNSの本質をついています。

 田野大輔氏の『ファシズムの教室』は興味深い一冊でした。
 私は朝ドラ『エール』がらみの人物を調べていて、あまりの鮫島伝次郎ぶりに嫌気がさしたものですけれども。ドラマは序盤で脱落しまして。
 『おちょやん』はそこが巧みです。鮫島伝次郎にならずに当初から反戦思想を持っている少数派は、ソ連亡命をはかる。匿われる彼らは迷惑な異分子であり、誰もがそうできるはずがないと描かれています。
 主人公はじめそうでない多数派は「お国のために」と笑顔で言い切る。人間が生き延びるためには心をコロコロと転がさなくてはいけない。そのことを巧みに描いていて近年随一の朝ドラ戦時中描写だと思えます。
 話がずれましたが、人間の心は木石のように転がり、勢いに従う。このことは把握しておいた方がよろしいかと。

ホームズはコカインでハッスルするが

 今回は女性差別の問題に収束するとすれば、それはそれで疑念を感じます。人権……そういうまとめ方もできますけれども、バズることで勢いを得る。そんなSNSの仕組みそのものに私は危惧を覚えます。

 シャーロック・ホームズはコカインを使います。現代人からすると一体何をやっているのかと困惑しますが、今我々が使っているものも未来人から見ればこのコカインのようなものかもしれません。黄金入りのエリクサーを飲んだり。鉛入りの白粉を使ったり。そういう知識不足ゆえのまちがった行為を人類は繰り返してきました。

 SNSもそういう類の危険性があるのではないか? 現にSNS由来の自殺にせよ事件にせよ毎日のようにある。それにも関わらず、SNSをせっせと愛用するこの光景はおかしい。かくいう私もSNSを使用してはおりますが、これでよいのかと自問自答ばかりをしています。宣伝や交流に必須とはいえ、中毒性は常に考えておかねばならない。

 人間は褒められると嬉しいらしい……SNSにはそのせいでおかしくなる人が大量にいる。ちょっといつもとちがうことをつぶやいたらいいねをもらい、RTされて、浮かれてその方向へとぐいぐい流されていく人はたくさん見ました。

 人間の心は木石。自分で考えてそうしたと思いたいけれども、勢いに流されてしまう。差別、憎悪……そういうものを面白がる勢いが、呉座氏の世代にはありました。その流れにはそうそう逆らえないものでしょう。

 呉座氏と同年代のとある方に、韓流ドラマの話を振ったことがあります。政治的な話でなく、話題としてふっただけです。すると相手は、顔を歪めてこう苦笑しつつ言ってきました。

「でもさ、韓国芸能界って自殺なんかすごいんでしょ?w」

 そういう話くらい、私も把握はしている。彼らが対策に乗り出していることも知っている。それに韓国芸能界の問題は彼らが解決するものであり、そう言われたところで一体何か、韓国ドラマの話をしているのに、どうしてそうなるのか? いろいろ言いたいことはあった。けれども、挨拶がわり、反射的に韓国を褒めたら冷笑しつつ否定するしぐさが見についているのだろうから、話し合うだけ無駄だと思い、別の話題にしました。

 勢いに沿って転がるだけの木石に何か言ったところで、何か得られるものはあるのでしょうか? ないでしょう。

学問は万能ではない、フェミニズムも然り

◆ 研究・教育・言論・メディアにかかわるすべての人へのオープンレター:女性差別的な文化を脱するために https://sites.google.com/view/againstm/home

 私は今回の件でフェミニズムを語られても、SNSでフェミニストを自称する方とは正直関わりたいとはあまり思えません。
 北村氏は尊敬に値する立派な方だ。しかし、強将の下に弱卒無しとも言い切れない。彼女個人は信頼します。しかし、それはフェミニスト全員を信頼するということではない。

 フェミニズムは誰に対しても開かれるべきだとは思う。とはいえ、入り口をくぐったら勉強はやはりしなくちゃいけない。ましてや、フェミニズムだけで人権問題すべてをカバーできるわけでもない。

 フェミニストが韓国ルーツの人を馬鹿にするとか。レイシズムに無頓着であるとか。
 男性の性被害者に皮肉を言い放つとか。日本人男性シベリア抑留者が、ソ連の女性から性的暴行を受けたことを面白そうに、皮肉るような口調で語ってきたフェミニストには怒髪衝天でした。戦国時代なら居館まで押しかけて火矢を射掛けるかもしれませんが、今はそういう時代じゃない。ゆえにそっと距離をおいただけですけれども。
 日本の教育ですかね。社会問題ですかね。フェミニストであろうが、今回の件で呉座氏をどうこう言えたわけでもない実例は悲しいことに知ってはいるのです。今回の件の根底に性差別はむろんある。しかし、そこだけで矮小化する危険性は感じるところでして。
 
 今、懸念すべき動きがSNS上でのフェミストにはあると思える。あ、献血ポスターの話はしておりませんから、その件ならばから引き取ってくだされ。ささ、出口はこちらです。
 それはTERF。『ザ・ボーイズ』のストームフロントじみた動きが見えます。

ターフ(英: TERF)は、トランス排除的ラディカルフェミニスト(英: Trans-exclusionary radical feminist)を指す頭字語である。この用語においてトランスとはトランスジェンダーのことを差す。Wikipediaより

 なまじJ・K・ローリングが絡んでいるためか、ハリー・ポッターや洋画ファンでフェミニズムに興味を持った人々が、毎日せっせとトランス差別的なことばかりをつぶやくようになった実例を見ています。
 トランス差別は、そもそもがトランスの定義が過渡期である以上、慎重になるべきだと私は考えます。しかし、どうにもSNSのフェミニストの中には、トランスを徹底的に叩いてこそ真のフェミニストであるとみなすような、そんな澱んだ空気が漂い始めた。どうにも嫌な予感がする。船の沈没に巻き込まれたくないなら、沈みそうな船に乗るべきではない。ゆえに、私はSNSでフェミニズムについては語らないことにしました。
 
 ニューロ・ダイバーシティ認識も甘いと感じる。

ニューロ・ダイバーシティ(英: neurodiversity)は、教育や障害に対するアプローチであり、様々な神経疾患は普通のヒトゲノムの差異の結果として現れるのだ、ということを提唱する[1]。この神経学的(ニューロロジカル)と多様性(ダイバーシティ)の鞄語は、1990年代後半に、神経学的多様性は本質的に病的なものであるとする通説に対抗するものとして現れた。ニューロ・ダイバーシティは、神経学的差異は、ジェンダー、民族性、性的指向や障害と同様に、社会的カテゴリーとして認識され尊重されるべきであると主張する。神経多様性あるいは脳の多様性とも訳される。
Wikipediaより

 私は発達障害ASD当事者で手帳持ちですが、「病院に行け」だのなんだのと決定的な差別をしてきたのは、SNSではフェミニストとして尊敬を集めるとある方でした。私が差別的な言動をすれば嗜めてくれる。知的かつ敬愛すべき方からそう言われてしまった(言うまでもなく私にも問題はあったけど)。
 『半分、青い。』についてもこれは感じるところ。あのドラマのメインキャラクターには、ADHDやASDと思われる人物がいました。彼らを小馬鹿にし、冷笑的に罵倒し、脚本家の病気まで揶揄しているツイートは、これまたフェミニストと自称する方が大量にしておりまして。
 年代的に現代の40代以上は、ニューロ・ダイバーシティへの理解が薄いとは思います。仕方ない。学べなければしょうがないですよ。願わくは、私自身はもうどうでもいいけど、他の人は傷つけないでいただきたい。

 人権だのなんだの言っている人でも、ニューロダイバーシティをバンバン踏んづけている人はいる。そういう人に踏まれたくないなら、避けるしかない。いちいち指摘するほど私は暇じゃないし、指摘したところで「それはぁ〜」「考えすぎでしょ〜」と冷笑的な顔で笑い飛ばされることは想像できるからしません。さんざん経験してその程度は学びますよね。
 自分の無知で手一杯なのに、どうして他者の無知までどうにかしなければならないのでしょう?
 私には、そんな時間はありません。図書館で本でも借りて読んでください。私も勉強はしなければ。私はスティーブン・キングが好きでかなり読んでいます。そういうキングを通してみたアメリカ社会って、結局白人目線だったのだろうと最近痛感しています。海外文学もいろいろな立場の目線から見なければ。

 私の観察範囲ではこんなところです。
 でも、よいのではありませんか? TERFになりつつある皆様にも選択権はある。こんな私みたいな役立たずは、頼まれたところで味方にもしたくないでしょうし。

萌えなり推しの誇示は性欲由来だろうか?

 叩かれることは想定済みですが、萌え絵についても私なりの見解を書いておきたい。

 萌え絵とは何か? 結局あれは性欲ではなく、権力欲の誇示だと私は考えます。昭和のおっさんがヌードカレンダーを机の上に飾る。それを見たOLが嫌がる。逆の立場ならできない。そういう性欲を示すことって、権力者も好きなのです。
 
 捕虜になった女王を晒しつつ凱旋パレードをするとか。子作りには大袈裟なほど後宮に美女を侍らせるとか。隣国から美女を定期的に献上させるとか。
 そういう性的な逸脱に周囲は口を閉ざす。そこには権力欲の甘さがあります。
 萌え絵に関していえば、もうこれは弱者男性がチマチマと楽しむものではない。公共の場に採用されるのであれば、そこにはどうしたって権力欲を感じます。

 そしてこれは男性だけの問題でもない。
 今放送中の大河ドラマ『青天を衝け』では、主演はじめ若手俳優が脱ぐ場面が不必要に出てきます。その瞬間、SNSにはいかにして我々がその裸体を鑑賞し楽しんでいるのか、そういうツイートがわーっと流れると。
 これは数年前の朝ドラでもあった現象でした。一体何か? 本気で性欲を感じているのか?
 これも権力欲の問題ではないでしょうか。
 ある世代は、大手掲示板では性別を隠して「俺」と書き込んでいた。コメント動画サイトでも腐女子は罵倒されまくる。そういう日陰で表明するしかなかった言葉を、おおっぴらに出せるとなれば、開放や進化を感じるのかもしれない……でも、それでよいのでしょうか? もうあれは俳優へのハラスメントで、私は見ていて悲しくなってきてしまう。

 そもそも論に立ち返ってみます。被害者がいないだのなんだのいうけれども、寝室以外で堂々と性欲をあらわにすることははしたないのではないだろうか?
 昔の中国官僚の日記だか何かに、
「昼間からエロいことを考えた私は愚か! 愚か! 愚か!」
 というようなことが書かれておりました。その程度で反省しなくてもよいのではないかと困惑したのです。しかし、あれも必要だったのかもしれない。
 絵だろうと、ゲームだろうと。四六時中エロを見つめ続けると、精神に悪影響が及ぶのでは? そこを踏まえて、古人は節制をしていたのでは?

山海関を越えて

 最後に不吉な予言タイムでも。自分でも書いていて嫌になったので有料投げ銭制度です。申し訳ござらん。

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