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【ひろしまタイムライン】雑感 共感の罠

 2020年9月、新総理をめぐる報道に様々な批判がなされています。新総理候補のお人柄アピール。愛妻家アピール。そういう部分が多い。

 歴史サイトに書いていたライターからすると、こういうアピールは裏まで読めばよいと思えるのです。

「あの皇帝は風流でした」
「あの王は、こんなおもしろいエピソードがあるんですよ」

 そういうことを語られる君主なり為政者とは、在位期間が短いとか、さしたる功績がないとか。そういう人物であるとわかります。

 ナポレオンについて語る時に、彼の妹が美人だの。
 ヴィクトリア女王について語る時に、彼女がイケメン好きだの。
 そういう話から始めることは、まずありませんよね。彼らには語るべきことが山ほどありますから。

ちょっといい話・悪い話のこと

 歴史好きならば見逃せない。もう定着して10年は経ている2ちゃんねるまとめコンテンツに、「戦国ちょっといい話・悪い話」があります。

 好きか嫌いかで語れば、好きであるとは思います。10年前は確実に大好きでした。

 しかし、2020年代になってみると、あれはよいことだけであったのか、疑念は募るところです。
 理由を箇条書きにしましょう。

・人物の功績を細切れのエピソードで語れるかどうかの是非
・実在の人物の印象が変わった
・書き込んだ人物が、改変していないかどうか判断できない。意図的でなくとも、読み間違える、書き間違える可能性はある。出典明記を求めても、そこは書き込みである
・読み手が原典までたどるとは限らない。むしろたどらないほうが多いだろう
・民間説話のような出展の書き込みもあるため、史実であるとは特定できない

 Web中心とした書き手である自分も考えなければならないことなので、自戒もこめて考えてしまいます。

 具体名は控えますが、ある戦国時代の人物は印象が大幅に変わり、人気も出ました。あの書き込み由来のニックネームが有名となり、ゲームやメディアでも使われるようになりました。

 『信長の野望』でも、イベントシナリオに使われたと思われるものもある。
 不作であった彼の伝記が、研究者によって書かれ、発刊されたということもあります。

 インターネットの書き込みが汚名を書き換える、名誉回復の起点となった。それはそれでよいことだけれども……怖い話ではありませんか。

 自分たちの書き込みで、歴史上の人物評価が変わる。そんなことは大河はじめフィクションで散々やってきたことだと言われれば、それはそうなのですが。

 ここでピンと来た方もおられるかもしれませんが、私はこのスレッドについてはROM専(※読むだけ)ではなかったということです。

 自己弁護のようで見苦しいのですが、当該人物の逸話については原典を出してこいと言われれば出せます。書き込んだ当時は国会図書館で複写せねばならず、なかなか苦労したこともよい思い出ではあります。
 とはいえ、今になってみれば苦い思いもあるのです。
 人物評価とエピソードは、切り離すべきです。基本中の基本です。歴史の先生が、こう言ったことを覚えています。

「あなたたちは歴史を学びたくてここにいるのでしょう。武田信玄はこういう人で、こういう話があるから好きとか。そういう気持ちは忘れてください」

 今になると、その言葉の意味がわかります。

 伊達政宗をDQN四天王の北の一角としておもしろがることを、否定しようとは思いません。ただ、政宗がゲテモノ味噌汁を飲んだり、文物を破壊したことは笑い飛ばせます。大河の見所になった撫で斬りだって、誇張がある。そう笑い飛ばせます。
 ただ、彼がキリシタンにしたこと等、笑い飛ばしてはいけない話もたくさんある。そういう話を「DQN四天王でしょw」と笑い飛ばしていいのかどうか、そこは全く別問題のはずなのです。

 私も自分の記事の誤字脱字、誤認の批判は甘んじて受け入れます。ただ、どうしてもできないこともある。歴史上人物の好き嫌いをファンダムのように形成し、自分と敵対した人物を評価しただけで罵倒されるような反応です。

 ちゃんとした研究者であろうが、Amazonレビューでまでそれをやられているのを見かけてしまいます。
 悩ましい話です。

なりきりアカウントのこと

 2020年8月といえば、NHKのSNS企画である【ひろしまタイムライン】も話題になりました。
 企画者が悪意を持って立ち上げたプロジェクトではないにせよ、問題はいくつもあります。
 日記のエピソードを断片的に切り取ることは、説明なしには危ういのです。発言者の属性、主張によって必ずしも公正な見方をしているかどうか、検証が必要です。SNSのようにツイート単位で切り取られるものは、なおのこと注意が必要です。

 そういう史料の使い方の時点で疑念があるのですが、それだけではない問題点があります。シュンちゃんアカウントのツイートの、差別煽動の指摘は散々なされているので、敢えてここでは取り上げません。

 SNSアカウントは、キャラクター性を身に纏います。日記があるとか、インタビューや聞き取りをもとにしているとか、言ったところで“シュンちゃん”という人格が生まれ、読み手が親近感を覚えたらそれは危険なのです。
 これは何も【ひろしまタイムライン】がスタートではありません。むしろ、やっと問題化したのかという気持ちではあります。

 SNSには、武将なりきり、城なりきり、歴史雑学発信系……そういった観光か、個人で情報を発信しているアカウントはあります。ネタだとわりきっていればそれはそれで無害なお遊びだったかもしれませんが、最近は大河の感想ニュース等でそうしたアカウントが取り上げられます。どこまで信憑性のある話なのか、ネタとしてのツイートなのか、区別がつけにくくなっていて危ういのではないかと思っていました。
 そうしたアカウントが、どぎつい個人の批判をしていることもあり、それは歴史知識を広げる範疇を超えているのではないかと不安を感じたこともあります。私も記事も、こういうアカウントからは嫌われている自覚はありますが、そこは私の不徳が致すところなので、謙虚に受け止めさせていただきます。

 そういうなりきりアカウントに権威がつくこと。キャラクター性に感情移入できること。この危険性、SNSの持つ特性は、もっと意識されるべきだと思います。

 飛びまくる話を【ひろしまタイムライン】まで戻しましょう。シュンちゃんではなく、やすこさんというアカウントを見てみます。

 この企画は、感情移入効果をもたらしました。アカウントに対し、広島に行ってはいけないというリプライが寄せられたほどなのです。現実と創作の境界線が薄くなるという危うさを、企画者はどれほど認識できていたのでしょうか。

上流階級に感情移入することの是非

 【ひろしまタイムライン】は、企画の時点で問題があるとは前述の通りです。当時の日記の再現といえば素晴らしい企画のように思えますが、きっちりとした文章でしっかりと日記を残せた当時の日本人は、多数派ではないということは認識すべきかと思います。

 今、戦時中の遺品がメルカリでまで販売されて問題になっています。情けない、現代人の心の荒廃のようには思えますね。ただ、一般人の遺品の価値なんて、わかる人はそう多くないのです。日記がきっちり整理されて、のこっていて、NHKの要請に応じて提出できた。そんなあのアカウントの3人はかなり恵まれた環境の人物であることは認識しましょう。
 普通の日本人の声のようでいて、実はそうではない。このことを、覚えておきましょうか。現在漫画連載中の山田風太郎の日記も有名ですが、彼も医者の家庭というかなり恵まれた層に属しています。

 そんな上流階級日本人の中でも、やすこさんがなかなかすごい設定です。彼女は首相経験のある小磯國昭の姪です。おじに可愛がられた思い出もつぶやいております。
 この小磯國昭は、A級戦犯です。やすこさん本人に罪がなくとも、小磯の親族を取り上げている時点で、かなり際どいことになっていると思うのです。やすこさんのタイムラインを通して、姪っ子をかわいがるA級戦犯の【ちょっといい話】を発信したということは、もっと考えた方がよいと思います。

 このあいだ、SNSでヒトラーが子どもを可愛がる写真が話題になっておりました。ヒトラーは非人間的だというけれども、子どもをかわいがるおじさんとしての顔もあるという論調でした。

 こんなことはもう使い古された手口です。ナチスのプロパガンダとして、ナチス上層部の家族と戯れるヒトラーとエヴァ・ブラウンの姿は定番だったのです。
 A級戦犯親族に感情移入するあまり、家族として親しみを抱いてしまうこと。あんなよいおじさんが悪いことしたわけではない! きっと東京裁判はまちがっていたに決まっている!
 こういう心理プロセスを辿ることは、危険です。ドイツでも同様の現象はあり、ニュルンベルク裁判で裁かれたナチス高官の親族は、身長は行動を取っている方も多いものです。全員というわけではありませんが、それでも彼らが政治権力を握ろうとすれば、抑止力が働きます。

 ドイツの例と比べると、日本は甚だ甘いと感じることが往々にしてあります。
 【ひろしまタイムライン】が話題となった2020年上半期朝の連続テレビ小説『エール』には、主人公はじめ、戦時中軍歌を作り続けた音楽業界人が多数出演します。
 戦後オリンピックがらみをはじめ、平和を願うメロディを手掛けたことで相殺されるのでしょう。
 けれども、ドイツがナチス高官を題材にほのぼのとしたドラマを作るものでしょうか? ドイツのテレビ局がナチス高官の姪っ子目線のSNSアカウントを、さしたる注釈もなしに開設するものでしょうか?

 【ひろしまタイムライン】の炎上は、むしろ僥倖ではないかと私は思います。企画そのものの胡散臭さに気付いていても、さして目に止めない方が多いとは思えていた。むしろ好意的な声も多かった。

 それが空気が一変したのですから、私はむしろ何かの光明を見た気がします。千丈の堤も蟻の一穴より崩れると言います。【ひろしまタイムライン】は、まさにこの蟻の一穴だと私は思えるのです。

 そして【ひろしまタイムライン】も、総理候補のパンケーキアピールも、繋がっていることなのですよ。親しみという【共感】、【情】を動かすことで、人心操作する。そういう流れができてしまいました。
 私ですら、さんざん【共感】不足だと叩かれました。
 そう言って叩く側は、想定外のことがあるのでしょう。
「ならばあなたの【情】ごと、こちらの【理】で潰すまでのことです」
 そう言われることです。人の感情を踏みつけていくことは悪いとは思う。けれども、感情の悪い利用に乗るつもりも私にはないのです。

 何の因果か、前世の罪業か知ったことでもありませんが、どういうわけか、NHKドラマレビューをする羽目にはりました。元々、ドラマはおろかテレビすら子どもの頃からそこまで見ていなかったのに、人生とはわかったものではありません。

蟻の一穴を求めて

 そんなしょうもないことを考えつつ、蟻の一穴を掘り進めることをしていきたいとは思います。来るべくして、来た問題があの【ひろしまタイムライン】であったとは思えるのです。そのせいで傷つく人が大勢いたことは大問題ですが、問題の根っこまで掘り進めねばならないことも、世の中にはあるはずです。そこを考えていきたい。

 それと、これだけは言っておきたい。私はNHK解体も、国民を守るつもりもないということ。
 『三国志』ファンならばおなじみの後漢時代。宦官の専横に怒っていた袁紹は、仲間とともに宦官を全員殺す計画を練り、実行に移しました。
 曹操はこのとき、しらけきった態度を取っています。

「宦官は全部が悪いわけじゃない。悪い連中だけを始末すれば済む話だろ。なんで大袈裟にする? そんなもん、絶対ロクなことにならないからやめとけ」

 ましてや董卓を呼ぶって危ないだろ……そう危惧していた曹操の読みは当たるのです。

 NHKには問題があるにせよ、組織ごと潰すことは上策でもなんでもない。宦官が当時の宮廷に必要であったように、NHKも必要なのです。ましてやこの時代、Eテレがどれほど育児や教育において役立っているかを思えば、潰すわけにはいきません。そこを無視してNHK解体を叫ぶ意見は、董卓を呼び寄せた袁紹のようなものだと言いたいのです。

 私自身の考えも、末尾にまとめておきます。
 私がどの歴史上の人物が好きであるかどうか、そういう感情がないわけではありませんが、なるべくそこは切り離して考えたいとは思うのです。
 ネットの文章なんてアクセスありきです。キャラ萌えで語った方がアクセスは稼げるかもしれない。でも、その弊害を考えるとどうにもできない。
 そういう不器用さだから、この体たらくなのだろうとは思います。そこは認めざるを得ないところだと、理解くらいはできているのです。

追記:本当のシュンちゃんが語り始めた

 案の定と言いますか。シュンちゃんの日記主が語り始めました。

◆「シュン」の日記主、NHKに不信感 認識に食い違い:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASN956TL5N91PITB01J.html

 やっぱりそうか。そういう思いがあります。年齢だけでは、当時の少年の価値観はわかりません。再現はほぼできない、アレンジしてはいけないことをしています。

 シュンよりやや年上の、水木しげるや山田風太郎には、当時の考え方が残されています。差別的なこともある。のみならず、いかにして国家に尽くすかという強迫観念じみた思いが、溢れ出ています。マイペースでのんびりした彼らですら、焼き尽くすような焦燥感や使命感を抱いて生きていたのです。
 そこを無視する罪は重い。極めて重い。

 そして、これは日本独自の話かもしれないと思えるのですが、庶民目線でみた歴史を語る視点への蓄積があまりないのです。
 海外のフィクションでは、そういう作品が多いものです。市井ものといって、日本の時代物でもジャンルとして一応は定着してはおりますが。人気や普及度、受け手側の経験値がそもそも低いと思えるので、日記は慎重な取り扱いが必要だと思います。

 ひろしまタイムライン、あまりに杜撰な対応です。それと同時に、日本人の庶民目線での描き方が、描く側も受け手側も不足しているのではないかという、証拠記事を見つけてきました。

世界の片隅がどこにでもあるわけじゃない

 あの作品の登場です。

◆『ひろしまタイムライン』と『この世界の片隅に』の違いを考える。アジア・太平洋戦争を描く難しさ https://qjweb.jp/journal/35886/

 アジア・太平洋戦争を描くことが難しいのではなく、庶民目線で歴史を描くことそのものが困難です。NHKも乗っていた【#あちこちのすずさん】というハッシュタグがありましたが、すずというあの年齢で、かつ芸術的感性を持っている人が大勢いたとみなすのは、かなり危険だと思えました。

◆あちこちのすずさん
https://www.nhk.or.jp/special/suzusan/

 ひろしまタイムラインの功績があるとすれば、すずさんなんて、あちこちにいたわけではないと判明したこと。すずさん扱いをされることに、侮辱や苦痛を感じる戦中体験者がいると明らかにしたことではないでしょうか。

 新井俊一郎さん本人も、『この世界の片隅に』と同じ目線で語られたくないと取れることを語っています。軍国少年と、感性豊かな若い主婦では、当たり前ですがものの見方は違います。すずさんを戦時中の日本人のデフォルトにするのはおかしい。これは水木しげるや山田風太郎でも同じことが言えますが。
 すずさんは、当時のあの年代女性としても、多数派ではない性格です。原作はともかくとして、アニメ版はかなり現代人が好む、ボケーっとしたゆるふわ造型を強められています。

 「尽忠報国」を叩き込まれていた、小さな愛国少年が、あんな頭のゆるい女と同じものの見方をしていてたまるか!
 与謝野晶子の本を持っていただけで、憲兵に殴られ、死にかけた私! スケッチでゆるく解放されたすずとは違う!
 死ななかっただけでもマシじゃないのか?
 夫が出征していなかった主婦が、典型的な当時の女と思われてもね。
 そういう反論は、いくらでも出てくることでしょう。それなのに、
「わあ、すずさんと同年代ですね。すずさんみたいに戦争を見てきたんですか?」
「戦争って暗くて興味なかったんですけど、すずさんを見て興味湧きました」
「すずさんみたいに、おしゃれや恋をしていたんですよね」
 そう無邪気に言われることが、どれだけ不愉快か、想像してみましょうよ。

 おしゃれをしたい気持ちは、今の私たちと変わらない! ええ、気持ちはそうでも、現代人はパーマをかけているだけで石を投げられたりはしませんよね?

 恋をしたい気持ちも、私たちと変わらない!

 ええ、気持ちは同じでも、現代を生きる私たちの恋人は、特攻隊として戦死することはありませんよね。
 復員したら、婚約者が米兵と腕を組んで歩いていて、冷たい目線でこちらを無視した。そんなこともありえませんよね。

 気持ちが同じだろうが、時代や前提条件が違うのならば、結果はまるで異なります。そんなことすらわからず、すずさんのお気持ちという魔法を使えば、戦時中と現代を等号で結べるなんて、そんなバカなことがあってたまるかということ。
 だいたい、子どもならさておき、いい歳こいた大人が、あのアニメ映画を見るまで戦争すらどうでもよかったって意見はもう……。一体どういう生き方をしているんだと言いたくもなります。

 ひろしまタイムラインと、『この世界の片隅に』の違いは、考えるまでもありません。

 成功したか、失敗したか。それだけのことです。
 『この世界の片隅に』は、ファンも多く、批判も言えない空気が形成されつつあると思えますが、歴史ものとしてそこまで評価できるとは思えない部分もありますし、批判もされています。十分危うい作品です。

 そもそも、なぜこの作品と比べるのかという疑念も湧いてきます。戦時中の実在人物の記録を作品化したものならば、2020年だけでも漫画化『風太郎不戦日記』、NHKドラマ『太陽の子』(当時の日記から着想、原爆、NHK制作)が適切ではありませんか。『太陽の子』は時代考証がちょっと甘いところはありましたが、ヘイト描写は当たり前ですが出てきていません。

 『この世界の片隅』にと、作品とひろしまタイムラインの比較は、意味があるとも思えない。私は原因として、NHKの慢心をあげます。

 受信料を使って、歴史認識を誘導できる。ドキュメンタリーほどチェックも厳しくないし、ネットで盛り上げて、成功作ということにすれば、それが定着するのです。

 そりゃ、ここまでうまく行ったら、ガードもゆるゆるになって、調子に乗ってしまうでしょう。

慢心と失敗への道のり

 そしてNHKは、初犯でもない。具体例をあげましょう。

2017年『わろてんか』
 戦時の映画検閲=恋愛もの禁止。なんであんなふざけた描写が通るのか、意味がわかりません。あの有名企業宣伝なら許されるんですか?

2018年朝ドラ『まんぷく』
 シュンよりやや年下の子どもが、武士のことすら知らない。当時の子どもは、楠木正成や山中鹿之介をロールモデルとして叩き込まれているのに、あれはありえない。

2019年大河ドラマ『いだてん』
「ゆかいな嘉納治五郎やまーちゃんがオリンピックしたいのに、狭量な中国人が邪魔をします!」
「日本人は満洲で楽しく生きていたのに、戦争終わったら調子こいた中国人が襲ってきて大変!」
「でもゆかいな美川は、中国人に変装して戻ってこれました!」
 なんだか既視感がある、中国蔑視まみれの戦争描写に、見ていて疲れ果てました。
 戦争が終わっても大変だ。
 戦争体験者である主人公が、自分たちが楽しい運動会をしたいからオリンピックをするとしつこく言い張る。
 戦争で敗北した日本にとって、五輪開催は贖罪と国際社会への復帰アピールでした。国運を賭けたものです。そういう一大事業を、遊び半分でやっていいもんじゃないでしょうよ。

2020年朝ドラ『エール』
 自分たちの恋愛だのなんだのでウダウダ尺を使い、主人公たちの軍歌による戦時協力なんて書くつもりはない。兵士の背中にエールを送った過去は消すようです。

 時代考証を間違えてしまう。その程度ならば、仕方ないとは思います。けれども、当時の価値観、道徳観、生きていきた人の思いを、無理矢理現代人に近づけて矮小化させ、おちょくるような調子こいた話はもういい加減にして欲しいと思います。受信料を何に使っているのやら。

 でももう、こんなおふざけは終わりです。朝ドラと大河という二枚看板で遊び呆け、視聴者を騙して誘導するゲームにはまったのでしょうが。そんなゲームはもう終わりに突入したのです。

 墓穴を掘る作業、楽しめましたか?

 駄作ドラマよりもおもしろい、覚悟が見られることを期待しています。

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