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『おちょやん』77 浮世は舞台で、人はみな役者や

 昭和12年(1937年)――日中戦争の高揚感にあふれる道頓堀です。千代と一平は、寛治少年を一ヶ月預かることになるのでした。

母の気持ち

 そんな千代が近所におつかいに行って、少し遅れただけで不安になる千代。千代が過保護なようで、実は今よりはるかに治安が悪くて危険な時代ですからね。そういうことでなく。千代の心境が母になってきているという描写だとは思いますけど。
 買い食いひとつとっても怖い。子どもが食中毒で死んでも、屋台が別の場所に移ってしまえばわからなくなる。外で食べるなという言いつけは、安全確保でも重要だったんですね。
 やっと寛治が戻ってきます。小銭いれを落として詫びる寛治に、千代は大丈夫と言います。袖にものを入れる発想そのものが演じる側には薄い世代でしょうから、所作指導さんの腕の見せ所でもあることでしょう。
 でも、まだ親子ほどじゃない。ほんものだったら「なにしとんねん!」と怒鳴ってもいいと思いますし。
 千代は母の写真を見て、こんなふうに心配してくれたんやろかと思います。テルヲがここでお父ちゃんも心配しとると言いますが、千代は否定して写真立てを伏せるのでした。
 ええぞ、死んでも無罪になってへんで!

 千代は寛治が人参を残すことに気づきます。寛治はお母ちゃんみたいなこと言われたとぼやく。すると千代はにっこり笑って、ここにいる間お母ちゃんになると言いだします。
 でも、寛治は照れ臭い。断ってプイッと出ていきます。実は彼もお母ちゃんのことは知らない。存在すらようわからんもの。子がいない千代と、母のいない寛治というわけです。
 一平はそんな親になんかなれるわけないと言います。でも、それは芝居人らしくないとも言える。だって舞台の上の役者は、演じることですっとその役柄になるですよ。
 そんなわけで、千代は現実の舞台に立つ。シェイクスピアも「浮世は舞台で、人はみな役者や」と言う取りましたからね。

愛国ものは“一石三鳥”ビジネス

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2020年度下半期NHK大阪朝の連続テレビ小説『おちょやん』をレビューするで!週刊や!(前身はこちら https://asadrama.com/

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