『おちょやん』75 テルヲよ、永遠に……(えっほんま?)
娘の千代に捨てられてから、テルヲの人生は何かが狂った。どうして捨てる前に気づかないのか? 捨てた日、テルヲは娘の背中に叫びました。
お父ちゃんと娘と
千代が感謝していることは、母の写真をくれたこと。辛いことがあるたびに、写真に救われてきたと語ります。そして泣いて詫びるしかない父に、娘はしぶといだけが取り柄、もっぺんお父ちゃんと呼ばせてみぃと突き放すのでした。
「上等や、やったろやないけ」
テルヲは洟をすすりつつ、千代たちの芝居を一番ええ席で見るという。千代は一番おもろいもん見せたる、嫌なこと全部忘れさせたるという。ちょっとだけ顔がやらかくなります。
「千代……お前はほんまにお月さんみたいやな」
テルヲは去りゆく娘の背中にそう語りかけます。
「なんやそれ」
それでも千代は優しい言葉を言わず、突き放すように残して去ってゆく。でも、表情がやらかくなっています。
千代が帰宅すると、ご近所さんがおります。外で体を洗う父。それをペチペチと棒で叩く息子。七輪で魚を焼く娘。出てくる母。
「あら千代ちゃん、おかえり」
そう言われ、千代はにっこり微笑みます。こんな家族の愛とは縁遠い千代が、日本国民の母になると思うとすごいことだと思う。じっとみて、理想だからこそ、演じられるのかも。
その夜、テルヲは千代の幻を見ます。幼い頃の千代と、今の千代。月の光の中で微笑んでいます。そんなテルヲの口には血が溜まっている。
「お父ちゃん……」
そう微笑む月光が見せた幻に微笑みを返し、テルヲは息を引き取るのでした。
テルヲを弔う
千代と一平が喪服を着て、座っています。遺影のように笑うあの写真が飾られていました。ひっそりと弔う気持ちが伝わってくる。
思えば死や葬儀って変わりましたよね。今はセレモニーホール、葬儀会館に遺体を運んで、おまかせする。それが昔は違うということがわかります。
テルヲには連絡つかんそうですよ……うーん、この……姉弟の再会は戦争挟むかな。ヨシヲが生きていれば、の話やけど。
するとそこへシズがやってきます。のみならず、後ろには賑やかな劇団員、岡安のみんな、福富のみんな……テルヲが頼んますと生前声をかけた人々がやってきたのでした。
死んだ人の悪口は言わへん。あれはあれでええとこあった。生きていたらそんなもん長所になるかいな! そう思う程度の些細なことを褒め出すみなさん。そして飲んで食います。
これが映画の題材にもなった、日本人のお葬式だと思います。
人が死んだのになんやねん、日本人の葬式は楽しそうでおかしいやろ! そういう突っ込みはあんねんけどな。夭折はともかく、テルヲのように寿命で亡くなった場合は、人間に再会の気分をもたらす、ちょっとしたイベントみたいにになりますわな。
ここでテルヲはえろう臭かったと明かされたりして。まあ、臭そうだったもんな。
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『週刊おちょやん武者震レビュー』
2020年度下半期NHK大阪朝の連続テレビ小説『おちょやん』をレビューするで!週刊や!(前身はこちら https://asadrama.c…
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