捩急

先頭に「捩急」と書かれた、それ以外はどこにでもあるような電車がやってきた。
「ただいま」
「ただいまは帰ってきた時の言葉でしょ」
「はいはい」
「はいは一回」
「相変わらずお母さんみたいだね、ライちゃん」
「大地の方は相も変わらず子供っぽいままね」
誰もいない田舎の町、ここに電車が止まるのは二時間に一回くらい。
「今日は二時間だけだけどさ、楽しもうよ」
「うん」
私はここにずっといるけど、大地の方はそうもいかない。遠いところから来た大地は次の電車で帰らなきゃいけないのだ。
「その、急にいなくなったりしてごめんね。大地には心配かけたくなくてさ」
駅構内に転がってる小石を蹴飛ばしながらそう伝える。蹴とばした小石はそのままホームに落ちていった。
「良いよ、怒ってないしさ。そんなことより楽しい話しようよ」
「この街に楽しいところなんてないからさ。私の中に楽しい話もないよ」
 私の表情があくびのようにうつって、大地の目が曇った。それでも彼は曇天のこの町と曇った顔をする私から目を逸らすことはしない。
「僕もさ、楽しい話を頑張って用意したかったんだけど。ライちゃんがいなくなってからあんまり楽しくなくってさ。あの町が、あの日々が、丸っきりどっか行っちゃったみたい」
 話がまとまってないのか、そこまで言って口を噤んでしまった。私も返す言葉が思いつかず長い沈黙が私達を包んだ。
「あのさ」
 私が年上だから話を振らなきゃ、とかそんな理由じゃなかった。ただこのままだと息ができなくなりそうだったから。大地と私がこんな空気になるのは、いつか思い出せないほど前のことだった。
「楽しくなくても良いから、私がいなくなってからの町の様子、教えてよ」
 そう言うと大地は首に手をあてて、視線を上で漂わせた。
「どれから話したらいいかな、えっと」
「焦んなくて良いから」
「でも二時間しかないし、ライちゃんに数年分をうまくまとめて伝えないと」
「どうせ全部なんて無理なんだから。大地が話したいことを話してくれればそれでいいよ」
 見上げて初めて視線をこちらから合わせた。久々の再会に緊張して気づいていなかったけど、いつの間にか私の背丈を大地は抜かしていた。
「じゃあ、僕のことから。ライちゃんがいなくなってからもちゃんと学校には通えてるから。そこは安心してほしい」
「私がいなくても学校くらい行ってくれなきゃ困るよ。勉強とかついていけてる?」
「勉強くらいしかやることないからさ。成績は全然問題ないよ」
 正直、偉いねと褒めてあげたかった。私の知る大地は何でもないようなことで泣き出すような子だったから。小学校で不登校になってしまったこともあるくらい繊細だから。でも、それをしてはいけないと分かっていた。あの町に帰ることのない私に大地が少しでも執着することがないように。
「やっぱりライちゃんは保護者のままなんだね」
「なんか言った?」
 何か呟く大地の声は小さくて聞き取れなかった。
「いや、なんでもないよ。ライちゃんが元気そうで良かった」
 元気そうに見えてるなら良かった。私は言葉の代わりに自然な笑顔で返した。
 それから大地が喋ったのは、大地の仲のいいおじさん、おばさん、大地の両親のこととか。大地の友人の話をしている時は、楽しいことなんてない、なんて嘘じゃないか、そう言いたくなるほど目を輝かせていた。先ほどまでの気まずさが嘘のように私達は楽しく時間を費やした。
「そういえばライちゃん、いつもこんなところで過ごしてたんだね。寂しくないの?」
 大地が不意に話を逸らす。私の話をしても仕方ないと思うけど、わざわざ小言を漏らすことはなかった。
「慣れればここも悪くないよ。人とか物がないのは前から慣れっこだし」
「あの町もここに比べればさすがに人多いと思うけど」
「それもそうね」
 二人で顔を見合わせて笑う。見合わせた私の顔の奥に何かを見つけたのか、大地はいきなり人差し指を突き出した。
「あっ、あのドーナツ屋こっちにもあるんだ。僕の街にも最近できたばっかりなんだけど、甘すぎてあんまり美味しくなかったな」
 その言葉を聞きながら振り向くとそこには確かにドーナツの文字が含まれた看板があった。知らない間に街は進化していく。
「大地って子どもなのに甘いの苦手だったもんね」
「別にもう子ども扱いされるような歳じゃないし」
「そう言ってるうちはまだ子どもだよ」
「じゃあ大人はどう答えるの?」
 私は口角を上げて、漫画のキャラクターみたいに決めポーズをする。
「私からしたら大地はいつまで経っても子どもだよ」
「何それ」
 大地は苦笑していた。
 それからどのくらいの時間が経っただろうか、ここに時計はないから正確に把握できないけど、大地が駅に着いてから一時間半くらい経った気がする。いくら会えていなかったからといって、大地はほとんどノンストップで喋っていた。もう話題が尽きたのか、それとも疲れたのかあまり言葉を発さなくなった。
「ちょっと喋りすぎちゃったみたいだし、電車来るまで休もっか」
 私がそう提案すると、大地は首を振る。
「まだ聞きたいことあるから」
「聞きたいこと?」
 私が知ってることなんてほとんどないはずだけど。少し戸惑う私をよそに大地は言葉を続ける。
「ライちゃんを苦しめてたやつら、探しても全然誰だか分かんなくてさ。名前を教えてほしいんだ」
 ここに来る前、ちょっとした嫌がらせを受けていた時期がある。なんでそんなことをするのかは下らなくて想像できなかった。
「そういうの、大丈夫だから」
「ライちゃんが大丈夫でも僕はそうじゃない。絶対にあいつらに仕返ししてやる」
「大地は私のことなんて気にしなくて良いから!」
 大地の言葉に呼応するように私の発音も荒くなった。
「気にするに決まってるよ。いつ告白しようか、タイミングを迷ってたら肝心の相手が突然自殺していなくなったんだから」
 一瞬脳の理解が追いつかず、動き続ける風景の中で私だけが固まった。
「それ、本当?」
 大地は、ずっと弟みたいなもんだと思っていた。向こうからしても姉くらいにしか思っていないだろうと錯覚していた。いや、錯覚じゃない、お姉ちゃんみたいと言ってた大地の幼い顔が思い浮かぶ。
「ここに来てまでそんな嘘吐くわけないじゃん」
 大地は呆れているのか、混乱する私に寄り添っているのか分からない優しい目をしていた。それを見れば疑う
「ごめん、私、死んじゃってるからその気持ちには」
「言わなくていいよ」
 でも、と口に出す前に大地が言葉を続ける。
「ライちゃんは何も言わなくて良いよ。ちゃんと分かってるからさ」
 お葬式のような冷たい沈黙が場を包む。まだ胸のわだかまりは残ってたけど、何を言っても無粋な気がして、息を漏らすように
「そう、そっか」
 とだけ返した。
「だからさ、ライちゃん。僕はライちゃんをいじめた奴ら全員復讐するから。教えてよ」
 その言葉がどうしてか、嬉しく感じられた。自分をここまで思っている人がいるからか、クラスメイトが嫌な目に遭う姿を考えたからか、多分どちらもだった。でも
「ごめんね大地。どんなに私を思ってくれてても、私は話さない」
「どうして」
 語気は強いけれど、大地のそれは怒気というより、呆気にとられた、という方が近かった。私は右腕を斜め上に伸ばして大地の肩に触れる。
「私はそれほど大地を思ってるから。もちろん、あいつらのことは嫌いだけどさ、それよりも大地が間違う未来の方がもっと嫌い」
「間違いとか、そんなの誰がどう決めるんだよ。法律破るのが間違いなの? このまま指くわえてのうのうと暮らすのが本当に正しいと思ってんの?」
 言葉に詰まりそうになるけど、黙ったらそのまま流される気がして、私は無理やりに脳内から言葉を引っ張り出す。
「間違いかどうかは私が決める。私が何もおかしくない大地が裁かれる未来が間違いだと思うから、言わない」
 そうやって口にした言葉は信じられないくらい自分勝手だった。
「じゃあさ、じゃあ、この気持ちはどうすれば良いんだよ」
「ごめんね、情けないお姉ちゃんのまま死んじゃって」
 視線を下げる大地の背中に優しく手を添えた。
「違うよ、情けないのはライちゃんの辛い気持ちに寄り添えなかった僕の方」
 そんなことないよって言おうとして、言葉が出なくなった。だから、私はただただ大地に絡まる腕の締め付けを強くした。
 無情に電車が低い音をうるさく鳴らしながら向かってくる。捩急と書かれた、次元を捩って人を移動させる電車が。そっか、もう時間か。
「ほらもう行かなきゃ」
 そう諭す私の腕はさっきより強く大地の大きな体を抱きしめていたように思う。
「でも、もう会えないし。ずっとここに残りたいくらいだよ」
 体感二時間。それが制限時間。それ以上の死者との干渉はどんな事情であれ、現実に戻ってこれなくなるという罰が下る。
 実際の時間じゃなくて、体感二時間なのは霊界に時間という概念が存在しないから。常に静止した世界に自身の体だけが動くのだから、実際の時間ではなく体感で時間を測る必要があった。
「駄目だよ、ここはあくまで間違った私専用の独房なんだからさ」
 自殺した命は、その理由に依らずその人の一番思い入れのある場所、時間に閉じ込められる。自然に言い訳も融通も利かないのだ。といっても、一度きりの面会はできるため、完全な孤立というわけではないし、場所情報もここに来た人に基づいてアップデートしていく。見覚えのないドーナツ屋がこの街に存在するのはそのためだ。
 私が飛ばされたのは、大多数と同じで自殺した時の街だ。目を覚ましたら体があと一歩で落ちそうになって軽くあるはずもない吐き気を覚えた。そしてその近くにこの世界の説明書が落ちていたことに気づいた。
「僕の要望全部否定するじゃん」
「そっちの方が私らしいじゃん」
「それもそっか」
 そうやっていつのまにか流した涙でお互い酷く腫れてる目を向け合い笑う。
「だから行って。できればまた会いに来て」
 二度と会いに来れるはずもないのに。だから大地はわざわざ時間を割いて、父母の様子を伝えたのに。電車の扉が開いた音がして、私は大地の手を優しく離すと、彼の胸を押した。私の力は強くないはずだけど、大地はバランスを崩しながら電車へ吸い込まれていく。
「えっ」
 私も電車の方へ引っ張られる。不思議な力ではない、大地の手によって。
「早く乗って」
 私はそのまま電車に乗る。
「何やってんの大地。これでどうなるか分からないんだよ」
「正しいと思ったから」
 自分勝手な大地に文句の一つも言いたくなったが、私にそれを言う資格はなかった。
「これで罰が下るなら甘んじて受け入れるよ。でも、ライちゃんを見過ごして僕だけ帰る、なんて無理だった」
 電車の扉が閉まる。出ることが出来たはずなのに、私は出ようとしなかった。
「だから、ライちゃんが別の人に生まれ変わっても、あの世界にいなくなっても、忘れることになっても必ずまた会うから」
「待ってるから、いや私も探すから」
 先頭に「捩急」と書かれた、それ以外はどこにでもあるような電車が時空を進んでいく。
「あとさ、大地」
「何?」
「告白の返事だけど、今はまだやっぱり弟としか思えないや。そんな酷い泣きっ面じゃ駄目」
「ここまで来てそんな振り方ないよ」
「でも、そう思ったんだから仕方ないよ」
 ため息を吐いて落胆する大地の耳元に
「だから次会った時までに私に見合う子に成長してたら考えてあげる」
 『捩急』の文字が剥がれて『霊柩』の文字が表れる。電車はそれを気にせずどことも分からない場所へ走り続ける。

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