サンタクロースなんていないと思う。
あれからそれなりに忙しい日々を過ごして、一か月とちょっと経った。思い出せることも、思い出したくないこともない無感情な一年だったと、斜め上のカレンダーを眺める。だけど、あの日のことだけはずっと忘れられず、思い出したくもない思い出として脳に鮮烈に記録されている。世間の浮かれたクリスマスと違って、この家のクリスマスは薄明りの部屋に暗い気分の自分だけ。まるで四十九日のようだった。静かな部屋に缶の開く音だけが気持ちよく響く。
彼女がいなくなってから、後を追うように死のうなんてドラマチックなことを思ったことはなかった。そんなことできたらカッコよかったかもしれないけど、そもそも僕がカッコいいはずもなかった。イライラした気持ちを、ビールで洗い流した。洗い流せたことにした。
あの日から、彼女が消えてから、僕は心が空っぽになって死ぬんじゃないかと不安だった。そんなのは当たり前のように杞憂で、僕は依然として僕のままだった。僕は消えてくれなくて、僕は僕でしかなかった。またゴクリと喉を鳴らす。
去年もおととしもクリスマスは彼女と一緒に過ごしていた。近くで聞いていた彼女の美しい声が未だに耳に残っていて遠くなることはない。それが嬉しくて、それが呪いのようだった。僕はきっと多分これからも彼女を忘れることができない。一度ゴミ箱に叩きつけるように捨てたはずのヘアピンは今、汚い机の上に転がっている。あの誕生日に届けられなかったそれを捨てられるわけもなかった。
「なあサンタクロース、本当にいるんだったらどうか、彼女をもう一度僕のもとへ連れて行ってくれよ」
自分で言っていて、あまりに子供じみていて笑ってしまった。彼女のもとへ行くこともできない僕のもとに彼女が来るはずもない。
寂しく静かな夜に電話がかかってきた。彼女からなのかもしれない、サンタが本当に願いを叶えてくれたのかと一瞬だけ馬鹿みたいに期待して、その後落ち込んだ。電話の相手は母親だった。
「あんた、もう大学も冬休みでしょ?お正月、暇ならうちに帰ってきなよ」
母親に、そんな気分じゃないなんて言いたかったけど、予定がないのは事実だった。話を拗らせたくないから手短に
「分かったよ」
思ったより感情が声に乗っていて焦ったが、通話先にはその様子が伝わることはなかったようで
「そう、じゃあお正月待ってるから。あっ」
何か言いたげにしていたが、こちらは話すつもりはなかったので電話を切った。ため息を一つ吐いた。
結局、何かすることもなく缶ビールが底を尽きるまで惰性に任せて時間を過ごした。時計を見れば時刻は午後の十一時半。もうこんな時間かと寝巻に着替えるために立ち上がるとよろめいた。そんなに酒に弱くなかったはずだけど。なんだか自分の感情が制御できなくて泣き出した。
『ごめん』
そういって泣いていた彼女のことを思い出す。僕は、酔っても、どこまでも彼女を重ねてしまっている。そのくらいに彼女のことが好きで、嫌いで、大好きだった。自分でも気持ち悪いけれど、気持ち悪くて白い目で見られているくらいが良かった。下手に誰かに期待されるよりも、誰かに期待するよりも、一人の方が良かった。震えていて抑揚も滅茶苦茶な声で
「僕は期待していたんだ」
なんて呟いた。彼女は僕に期待することなんてない。反対にこちらが期待しても、彼女は嫌がらない。だから僕は、彼女に期待していた。いつまでも君といたいなんて気持ち悪い妄想を、君の歌を聞いていたいなんて気味が悪い気持ちを彼女に向けていた。いつか終わるとわかっていたのに。終わってしまった。やるせない気持ちをぶつけるように自分の体を殴った。
『それじゃあ何にもならないよ』
彼女の言う通りだ。希望も愛もクリスマスも缶ビールの開く音も、今の僕には響かないけど彼女の歌声だけは良く響く。開かない缶詰をいとも簡単に開けるオープナーのようだ。
トイレへ行って吐いて気分も落ち着いた。寝巻に着替えてもう後は寝るだけ。洗濯なんて明日の自分に任せれば良い。そういって飲むはずもなかった次の一缶に手を伸ばす。軽く飲んで一度潤した喉で
「どうしてなんだよ、どうして僕の願いは叶えてくれないんだよ、どうして僕は彼女がいなくなってもこんなのうのうと生きていられるんだよ」
なんて気分任せに叫ぶ。誰かの願いを叶えてくれるサンタクロースなんていないとずっと分かっていた。それでも窓の外は、うるさいほど幸せにまみれていて、頭を掻いてしまった。
結局、そのまま彼女を思い出しながら飲み続けると意識が朦朧としてきて文字通り床に伏した。このまま死ねたら良いのに、そう思いながらゆっくりと瞼が落ちていく。
『これから私達まだ続いてく、たとえそばにいなくても続いてく』
彼女の声が、歌が聞こえた気がした。瞼を開こうとしたけれど、結局それはしなかった。現実に戻されてしまうのが怖いから。ずっと夢が続いてほしいから。メリークリスマスと呟くと、彼女の歌声もどこか笑っているように思えた。
その次の朝、僕はいつも通り、目を覚ました。そこには僕以外誰もいない。サンタクロースなんているはずもないのだ、そう改めて思った。
※これはキモオタ。の続編にあたる作品です。
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