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「守」・「破」・「離」

好きな音楽の聴き方は、お気に入りのアーティストからそのアーティストが影響を受けたアーティストの系譜を辿ることだ。

例えば、久保田利伸ならスティービーワンダー、SuchmosならJamiroquaiという具合だ。

「この曲のこの部分は○○のオマージュだな」、「このベースラインは○○っぽいな」など色々発見があって面白い。

ポールダンスにおいても、「この人の動きは○○っぽいな」と感じることがある。
聞いてみれば、「やっぱりその人に習っているんだ」と納得することが多い。
自分も例に漏れず、師匠の動きに似ていると言われる。

日本には茶道や武道などの習得過程を表したものに「守」・「破」・「離」というものがある。
それぞれ…

「守」は師の教えを忠実に守り、習得すること。

「破」は他の師や流派の良いところを取り入れて発展させること

「離」師の教えから離れて独自の型を作り確立させること

師匠の動きに似ていると言われることは、まだ「守」の段階にいるのか、もしくは「破」の段階の入り口にいるのか悩ましいところだが、いずれにせよ自分は「守」・「破」・「離」の過程にあり、成長を感じられている。

たまに映画の宣伝文句で「映画の常識をぶち壊す」などとあるが、自分の中の常識がひっくり返った覚えがない。
フタを開ければせいぜい、「チャーハンのお米を青く着色してみました」ぐらいの発想でしかない。
すごく面白いってわけではないが、普通に観ればある程度楽しめるのだから盛らなければいいのにといつも思う。

映画の世界に「守」・「破」・「離」の考えを当てはめるなら、ある一つの映画作品にも影響を受けた映画や思想、哲学というものがある。
それは音楽、ポールダンスなども同じだ。

「守」・「破」・「離」のように何事にも習得過程があるからこそ、型を破り、常識を壊すことができるのを忘れてはいけない。
そこには長い歴史へのリスペクトがあると思っている。


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