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閃光花火【2】競泳と秘密のゆくえ

「五十メートル一本勝負!最下位は罰ゲーム、好きな人暴露な!」
 突拍子もない提案がプールに響き渡り、僕は思わず耳を疑った。水面から顔を上げた瑛斗も「はぁ?」と言いたげに、ポカンと口を開けている。そんなようすを気にも留めず、提案者である夏生はなぜか照れ臭そうに笑っていた。
 夏休みが始まってから、市民プールに通う毎日が続いている。メンバーはもっぱら、クラスメイト兼、同じスイミングスクールに通う倉持瑛斗と片岡夏生、そして僕の三人である。タイムを競い合うライバルでもある僕らは、中学に進学したら、皆で水泳部に入ろうと約束もしている。
「っていうか何なの、その罰ゲーム」
「いいじゃん。そういう話もしたいお年頃だろ?」
「そんなのはお前だけだよ。ぜったい嫌だからな」
 プールサイドでぎゃあぎゃあ言い合っている二人を横目に、僕はこっそり溜息をついた。一度言い出したら止まらない夏生の性格だ、抵抗すること自体が無駄だろう、と、とっくに諦めがついている。この謎の競泳を、瑛斗は頑なに拒んでいる。さてはよっぽど、好きな女の子のことを知られたくないのだろうな、とも察しがついた。

「それで、一本勝負ってどうやるわけ」
 ようやく瑛斗が折れたのを見計らい、夏生に問いかける。すると彼は表情をぱっと明るくさせ、「圭佑、よくぞ聞いてくれた!」と、ウキウキした声を上げた。すぐ横でげっそりしている瑛斗とは天と地の差の表情である。
「まずは基本として、自由形で五十メートル。これは決定事項な」
「うん、それはもう分かったから」
それは先程の二人の言い合いでさんざん聞いていて、正直耳タコである。
「スタートは、あの時計。十二時にチャイムが鳴るだろう?あれがよーいドンの合図だ」
 二人で首を動かして、彼が指さす方を見る。正午の時刻まであと十五分を切ったところだった。
「スタートはそれでいいとして、ゴールは?僅差だったらどうするの?」
 そう訊ねると、夏生はしばし考えたのち、おもむろにプールから上がった。そのまま時計のある方へと歩いていく。向かった先には、監視員と思わしき大人たちが数人、集まっていた。
「…ねぇ瑛斗、ものすごく嫌な予感がする」
「俺は正直、ゴールをどうするか、圭佑が聞いた時からそう思ってたよ」
 戻ってきた夏生は満面の笑みを浮かべており、嫌な予感はいっそう高まる。
「あのお兄さんに見ててもらうように頼んできた!」
 そう言いながら親指を立てる彼に、がっくりと肩を落とした。余計なことを言うんじゃなかった。たかがお遊びの一本勝負が、ものすごく重大な、現実味を帯びたゲームへと変わってしまった。あろうことか、何も関係ない監視員のお兄さんまで巻き込んでしまうとは。深い溜息をつくと、
「…所詮、子どものお遊びだって思ってくれてるだろうから、大丈夫だよ」
と、瑛斗がやけに大人びた励ましをくれた。妙に張り切っている夏生は既に楽しそうだ。
「ほら、始まるぞ」
 見ると、監視員の腕章をつけたお兄さんが、僕らの近くまでやってきていた。どうやらスタートの時も、十秒前からカウントしてくれることになったらしい。いたたまれなくなって、瑛斗と二人ですみません、すみませんと頭を下げる。くだらない子供のお遊びに巻き込まれてしまった親切なお兄さんは「いいね、競泳。楽しそうで何より」とさわやかに笑っていた。
「十秒前!十、九、八、七、」
スタートのカウントダウンが始まり、緊張感が高まる。
「六、五、四、」
飛び込む体制を整えながら、ひとつ小さく息をつく。
「三、二、一、スタート!」
その合図で、三人は一斉に水中へと飛び込んだ。青に身体が包まれた瞬間、正午のチャイムがくぐもって聞こえた。


「結局、言い出しっぺがビリかよ」
 五十メートル一本勝負は、一位が瑛斗、二位が僕、三位が夏生という結果に終わった。プールから歩いて直ぐのスーパーでカップラーメンを買い、イートインスペースで食べ始めたのは、午後一時を回る頃だった。たとえ外がうだるような暑さでも、プールで冷え切った身体と、冷房が効きすぎている店内には温かいラーメンがちょうどいい。
 僕は瑛斗と目配せをし、聞きますか、聞いちゃいますか、とわざと勿体ぶるように茶化してから、さあどうぞ、と促した。ややあって、夏生は照れながら呟く。
「二組の、成瀬莉緒」
「ん?成瀬さんって、図書委員のほう?」
 瑛斗が訊ねると、夏生は恥ずかしそうに頷いた。どんな子だったっけ、そもそも図書委員じゃないほうの成瀬さんもいるんだっけ、と、頭の片隅で考える。あまり話したことはないけれど、いつもおっとりしている、読書が好きな女の子だ。なるほど、最近になって、図書室に足しげく通っているな、とは思っていたけれど、そういう理由があったのか。点と点のつながりに納得していると、
「なんか、兄ちゃんの好きな人が、夏休み明けに転校するらしくてさ」
と、夏生がぽつりと言った。珍しく弱気な声を上げる。
「それ聞いたら、いろいろ考えちゃって。俺らだって、あと一年で卒業だろ。中学が一緒になる保証なんてないし。実際のところ、どうなの?二人はそういう奴、いる?」
 珍しく弱気な声の夏生が前のめりになりながら訊いてくるので、思わず狼狽える。卒業なんてまだ先だよ、と言いかけて、口を噤んだ。まだ先、と思っている今この瞬間も時間は止まることなく進み続けていて、そのリミットは刻一刻と迫りつつある。押し黙っていると、
「同じだよ。好きな子だって、…そりゃあいるし、不安にもなる」
と、瑛斗が答えた。な、と視線で呼び掛けられては、こちらも答えざるを得ない。
「…僕は、好きなのかは、わからない。気になる、だけど。…でも、夏生の気持ちはわかる」
その言葉に、夏生はぱちりとひとつ、瞬きをした。そして、一気に表情を明るくする。
「そっか。…よかったぁ、俺だけじゃなかった!」
 心から安堵したような笑みに、つられて口角を上げる。しかしその直後、
「……でもやっぱり、フェアじゃないような気がするなー」
と呟いた夏生に、再び嫌な予感が駆け巡った。そして案の定、圭佑はおろか、瑛斗まで、好きな女の子、ないし気になる女の子を夏生に言い当てられて硬直することになろうとは、この時はまだ、予想すらできていなかった。
 後になって、なんでわかったの、と訊いたら彼は、「わかるよ。二人のことだもん」と得意げに笑っていた。

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出かけるといえば市民プールなあいつら:倉持瑛斗(くらもち・えいと)、片岡夏生(かたおか・なつき)、塚原圭佑(つかはら・けいすけ)