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閃光花火【4】Cold or Hot ?

「うん、味はまあまあね。…あ、でもこれ、冷食だっけ?…子供には、あんまり食べさせたくないわねぇ」
 聞いてもいないのに自ら専業主婦だと名乗った女性は、試食品を口にするなりそう言って笑った。人を揶揄っているような意地悪な気持ちが、笑みにあらわれている。ささくれ立つような感情が胸のあたりまでせり上がってくるのをどうにか抑えつつ、「まあ、お子さんのことを思うと、手作りにはなかなかかないませんよねぇ」と、愛想笑いを浮かべる。

 大学が夏の長期休暇に入り、境羽未はアルバイトに精を出していた。写真サークルの活動は週に一度あるものの、特にこれといった予定がないのである。そんな彼女の母親が入院することになったのは、憂鬱な試験がようやく終わりを迎える、といった矢先のことだった。姉から連絡を受け、慌てて病院まで向かうと――「あら、羽未も来たの?」そこにいたのは、両足首までを包帯でぐるぐる巻きにされながらも、けろりとした表情を浮かべていた母親だった。話を聞くところによると、階段をうっかり踏み外した挙句、着地のタイミングが悪かったのか、不運にも両足とも、指や足首を骨折してしまったらしい。その後、無事に試験を終えた羽未は夏休みを迎えた。しかし、話し相手になるはずの母親は入院してしまったし、家事もろくにせずぐうたらしていたことにより、今度は姉からさんざん苦言を呈されることになった。
 他にやることもないし、アルバイトでもするか。新しいカメラを買う資金も貯めたいし。そんな理由から、家と大学のちょうど中間くらいにあるスーパーで、アルバイトを始めることにしたのであった。

 嫌味な専業主婦が立ち去り(結局買ってはくれなかった)、小学生と思われる三人組が羽未のすぐ横を走って通り過ぎて行く。その乾ききっていない髪からして、すぐ近くにあるプールの帰りだろう。外の暑さに比べたらスーパーの店内は、プールに負けず劣らず居心地が良いと思う。しかしながら、精肉売場が近いせいか、他よりも少し冷房が効きすぎているように思う。軽い頭痛を覚えながらも、羽未は「ご試食いかがですか」と再び声を掛け始めた。するとその時、
「あれ、うみちゃん?」
 聞き覚えのある声で名前を呼ばれ、思わず鼓動が跳ねる。振り返ると、
「あ。やっぱりうみちゃんだ」
「創さん!お、お疲れ様です」
 その声の主は、同じ写真サークルに所属する、二年生の関谷創だった。ひそかに、羽未が憧れている先輩でもある。
「ここでバイトしてたんだね」
 彼の視線に、思わずハッとする。かれこれ三時間ほど立ちっぱなし、よれよれの自分の姿が恥ずかしい。羽未はひきつりそうな顔を無理やり笑顔にした。
「…創さんは、お買い物、ですか?」
「まあ、そんなところ。俺も、ついさっきまでバイトだったんだ」
 へぇ、と相槌を打ちながら、「どうぞ」と試食をひとつ、手渡す。知り合いとはいえサボっているように見られては困るのだ。それに、サークルのない日にせっかく会えたのだから、もう少しくらい話をしていてもバチは当たらないだろう、という、ヨコシマな気持ちも多少はあった。
「創さん、何のバイトしているんですか?」
「ん?ああ、そこのプールの監視員だよ」
「えー、大変ですね。暑いし」
「って言ってもバイトだから、俺はもっぱら補助。今日なんて、小学生たちのよーいドンとかしてたもん」
「あ、それは楽しそうです!」
 話しながら羽未は、創が手にしていたカゴをちらりと覗き見た。素麺や胡瓜やカップラーメンのザ・一人暮らしといったラインナップが投げ込まれたその奥底に、チラシのようなものが入っている。試食を食べ終えた創が視線に気づき、「入口で貰った」と教えてくれた。『第××回 花火大会』と書かれたチラシはたしかに、ここ数日の通勤途中でありとあらゆる店先で目にしている。このスーパーも、例外ではない。
 幼い頃はよく行っていたけれど、ここのところご無沙汰しているなぁ。そんな風に思いを巡らせていると、創が何か思いついたような表情を浮かべた。そして、
「夕方、暇?」
と、おもむろに訊ねてきた。
「あ、四時まではバイトですけど、そのあとは何もないですね」
「じゃあ折角だから、一緒に行かない?コレ」
 そう言って創は、カゴの奥から花火大会のチラシを手に取った。思わぬ展開に、羽未は目を丸くする。まさか誘ってもらえるとは!率直に、喜びがあふれそうになる。…しかし、創のことだからきっと、サークルの仲間が他にもいるのだろう。羽未は浮かれかけた気持ちを抑えながら、
「ちなみに、他には誰がいらっしゃるんですか?」
と訊いた。
「…あ。えーと。……特に考えてはなかったんだよね」
「え、じゃあ、」
 創の答えに、羽未は思い切って訊いてみる。
「創さんと私の、二人、ですか?」
「うん。うみちゃんが嫌じゃなければだけど」
 さらりと答えられ、羽未はかえって戸惑ってしまった。
「いっ、嫌なわけがありません!」
 咄嗟にそう答えたはいいものの、心の中では喜びと動揺が行ったり来たりの攻防戦を繰り広げている。
「じゃ、決まり。あとで連絡するね」
 ついでにこれも買っていくわ、と、羽未が売っていた冷凍食品をカゴに入れ、創はその場を後にした。その姿が見えなくなってからようやく、羽未は自分の頬を軽くつねる。痛い。夢じゃない。先程まで冷房が効きすぎだ、と思っていたのに、今は軽い頭痛も忘れ、少し熱さすら感じてしまっている。
 時計の長針が十二を指し、店内には午後三時を知らせるメロディーが流れた。羽未の仕事終わり、そして、創からの連絡が来るまで、あと一時間。

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冷凍食品の試食配ってバイト代貯めている彼女:境羽未(さかい・うみ)、関谷創(せきや・はじめ)