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閃光花火【5】向日葵と母娘

 私は思わず足を止めた。目的地である病院はもう目の前なのに、信号待ちをしている間に、病院の向かいにある色とりどりの花々が気になったからだ。せっかく渡った横断歩道をもう一度渡りなおし、その花屋へと足を向ける。
 店先には、アサガオやハス、ラベンダーなどが鮮やかに並んでいた。その中でもひときわ目を引いたのが、夏の象徴ともいえるヒマワリの花だった。しかしながら、
「…なんか、思ってたよりも小さい」
 幼い頃、祖父母の家の庭に咲いていたヒマワリを見て、その大きさに驚いたことがあったのを思い返す。いま目にしているのは、その記憶よりもだいぶ小振りな花であった。それでも傍らにはちゃんと、『ヒマワリ』と書かれたプレートが置いてある。小さな夏の象徴に目を奪われていると、
「そのサイズ、あんまり見ないですよね」
と、店主らしき男性に話しかけられた。
「小さくてびっくりしちゃいました?」
「あ…、そうですね。自分の記憶のヒマワリはだいぶ大きかったんですけど」
話しながら私は小さく笑った。祖父母の家のヒマワリが大きく見えたのも当然だ、と気づいたからだ。それを目にしたのはもう十年近く前のことである。
「このサイズ、僕は結構気に入ってます。線香花火みたいじゃないですか?」
「…それに例えると、些か大きすぎるようにも見えますが」
 それもそうか、と男性が笑う。その時、ふと思いついた。
「あの、このヒマワリを使って、小さめのブーケをお願いできますか?」
 訊ねると、花屋の店主は「もちろん」と微笑んだ。
 慣れた手付きでカスミソウやグリーン、それから、話題になっていたヒマワリを手に取ると、彼はあっというまに小さな花束を拵えた。
「いかがでしょう?」
「…とってもすてきです」
 小さな花束を抱え、店を出る。店主の彼は、信号が青になるまで見送っていてくれた。私は目的地である病院へと向かうべく、今度こそ横断歩道を渡った。

遡ること十日ほど前。「亜美、今すぐ帰ってきて!動けなくなっちゃったの!」母親からの電話に急いで帰宅すると、階段の下で蹲っていた母親の姿があった。慌てて救急車を呼び病院へ向かい――母はそのまま入院することになった。
「いやぁー、亜美がお休みの日で良かったワ」
幸い軽い骨折で済んだので、母は何度もそう言ってけろりとしていた。とはいえ、一ヶ月ほどは入院せざるを得なくなってしまった。脚以外は元気なのに、と子どものように口を尖らせており、寝てばかりいるのは専ら退屈らしい。父と羽未と、ローテーションのように母の元へ訪れては、暇つぶしの話し相手となっている。

受付を済ませ、エレベーターに乗り込む。扉がゆっくりと閉まる直前に、先客の女性二人が「ね、さっき看護婦さんから聞いたのだけど」と話し始めた。
「今日の夜、ここの屋上を開放するんだって」
「へぇ、なんで?」
「花火大会だから、よ。なんでも、屋上が実は穴場スポットらしいよ」
「たしかに、ここの屋上なら視界良好だわ」
「お見舞いに来たついでに私らも入れないかなぁ」
話に耳を傾けながら、町のいたるところに「第××回 花火大会」と大きく書かれたポスターが貼ってあったのを思い出す。どうやら、その穴場スポットである屋上を、入院患者向けに一時的に開放するらしい。彼女たちの会話は続く。
「それに、今年はなんか、特別らしいよ」
「特別?なにそれ?」
『特別』という響きに思わず首を傾げる。するとその時、タイミングよく降りるべき階に到着した。気になるなぁ、と後ろ髪を引かれながらも、エレベーターを降り、母が待つ病室へと向かった。


「なんか、思ってたよりも小さいわね、そのヒマワリ」
 作ってもらったブーケをほどき、花瓶に生けていると、真面目な顔をしながら母が小さく呟いた。あまりのシンクロ率の高さに、思わず吹き出してしまう。
「何よ、もう」
「いや、ごめんごめん」
怪訝そうな顔をする母に、再び笑いがこみ上げてくる。
「花屋さんで、まったくおんなじこと言ったの。私も」
「あらまあ」
これには母も笑うしかない。しばらくして、「母娘ねえ」と、また独り言のように呟いた。
「それで、家のほうは?」
「はい。お変わりございません」
「お父さんは?」
「今日は部活の関係で休日出勤。羽未はあいかわらずバイト」
すっかりルーティーンと化した会話を交わし、顔を見合わせてまた笑う。ベッドの傍らにある小さなテレビには、甲子園を目指す球児たちの、必死に戦う姿が映っていた。
「あれ?これもしかして、母校?」
「なぁに、知らなかったの?」
 どうやら順調に勝ち進み、あと二勝すれば甲子園、と言うところまで来ているようだった。
「ついさっき、同点に追いついたのよ。勝てるかしらねぇ」
今日は雲一つない晴天だ、さぞかし暑いことだろう。夏の日差しを受けながら、汗を流し、砂にまみれ、必死にボールを追いかける球児たちの姿が幾度となく映し出される。同じように十七歳の時を過ごしたはずなのに、今テレビに映っている彼らは、より一層眩しく見える。
「勝てたら、花火大会もまさにお祭りね。地元だもの」
母の言葉に、先程耳にした屋上の開放を思い出す。私は、「そういえば、さっきちらっと聞いたんだけど…」と話し始めた。その声が少し浮き足立っていることには、どうやら自分自身でも気付いていない。

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お見舞いに持っていった花を生けるあの子:境亜美(さかい・あみ)