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閃光花火【8】勝敗と駆引き


「ねぇ、延長戦って何回まであるの?」
 右隣に座っていた愛梨が、タオルで汗を拭いながら訊ねてくる。ええっと、どうだったっけ。タイブレークが導入されてからは、何回までっていう縛りはなくなったんだっけ。だけどそう説明すると、たぶんタイブレークって何、ってまた訊かれるだろうなぁ、その説明はちょっと面倒だなぁ。あたまの中でぐるぐると考えたけれど、結局面倒な気持ちが勝って「どうだっけ」と、苦笑いとともに曖昧な返答をした。

 野球部が地方大会の準々決勝まで勝ち進み、全校揃っての応援が決定したのはつい一昨日のこと。試合がある日曜日はかなり暑くなると予想される、熱中症や脱水症状にならないよう、水分・塩分をはじめ、保冷剤なども各自でも用意すること。そう注意喚起を受けてはいたし、もちろん熱中症だけでなく、日焼けの対策もばっちりしてきた。けれど、真夏の日差しと、白熱の試合も相まって、予想以上に暑さを感じる。腰掛けている応援席のベンチも、試合が始まったお昼前はまだ普通に座れたけれど、今は目玉焼きが焼けるんじゃないかと思うくらい、さらに熱を帯びている。
 それでもきっと、グラウンドの方がさらに暑いだろう。五回の表に先制されたが、そのすぐ裏の攻撃で同点に追いつくと、七回裏には一点を追加し逆転。しかし八回表、またすぐに同点に追いつかれるという、シーソーゲームにしてはゆるやかな試合展開が繰り広げられている。現在、九回表でワンアウト一塁二塁。こちらが勝つためには、失点はもちろん許されないけれど、最後の攻撃でも点を入れなければならない。愛梨が聞いてきたように、延長戦を見据えている生徒は何人もいるように見受けられる。
「終わったら急いで帰って支度すればいいやって思ってたけど、これはシャワー浴びなきゃいかんなぁ」
 灼熱のグラウンドに張り詰める緊迫した空気。それとは対照的に、応援席の後方ではそんな呑気な世間話もちらほら聞こえてくる。先程の愛梨の言葉は、ひとりごとのように聞こえるけれど、おそらく私に話しかけているのだろう。あくまでも試合を優先しているのだ、と分かるように、グラウンドに視線を向けたまま「今日の花火?」と問い掛ける。
「うん。今日のために、浴衣買っちゃった」
「気合入ってるなぁ……ああ、飯塚くんと一緒に行くのか」
 飯塚くんというのは、隣のクラスの元サッカー部主将だ。愛梨の彼氏でもある。
「あったりまえじゃん」
 愛梨の返事とともに、わあっと控えめに歓声が上がった。どうにかツーアウトを取ったようだ。ツーボールツーストライク、ランナー二塁三塁。依然としてピンチは続いているものの、アウトをあとひとつとれば、という安堵に近い気持ちが胸に流れ込む。
「あとひとつだ。ごめん、集中させて」
「ほんとだぁ。伍香、野球好きなんだっけ?」
 そう言った愛梨は首を傾げていたけれど、半ば無視するように前のめりに腰かけなおす。打席に立った相手選手の顔は、逆光で暗くなってしまっていて、よくわからない。


「今年の花火大会は、特別なんだって。姉ちゃん知ってた?」
 そんな話を耳にしたのは、数日前。圭佑に訊ねられ疑問符を頭に並べていると、母が「あぁ、センコウハナビのことね」と頷いた。
「線香花火?」
「閃く光の方よ」
 母曰く、町の花火大会は二十五年の節目のタイミングで特別な花火を打ち上げているらしい。どうやらそれを「閃光花火」と呼ぶらしかった。そもそもこの町の花火大会にそんなに長い歴史があるなんて知らなかった。独り言のように呟くと、「僕も」と圭佑が顔を見合わせるように言った。
「今年の前の閃光花火は、ちょうど享佑さんと結婚した頃よ」
「え、お父さんと?」
 圭佑が目を丸くする。それを見て、母は懐かしそうに笑った。
「閃光花火は、本当の本当に最後の、クライマックスなのよ。河原とか、スポーツ公園のあたりとか、町のいろんな場所からスターマインが始まるの。一番よく見ることができるのは、中央病院の屋上らしいわ。閃光花火を一緒に見たカップルは一生一緒にいられる、なんてジンクスもあったわねぇ…」
「…そのジンクス、本当なの?」
 しみじみとしていた母は一瞬きょとんとして、それからまた懐かしそうに笑った。
「私は、一緒に見たわよ。享佑さんと」

 話を聞いて思いついた、小さな賭け。今日のこの日までに、何度も書いて、何度も消して。そうして、ようやくメールを書き上げた。あとは、この試合に勝つことが出来れば、だ。準備は万端と言って良いくらいに整っている。
 三列ほど前の、野球部の応援席に、同じクラスの関谷くんがいた。もう枯れ枯れになった声を必死に張り上げながら、仲間たちを鼓舞している。その視線の先に、ライトのポジションを守る高宮くんがいた。その背中を見て、ぎゅっとメガホンを握り締める。一緒に応援しながら、このゲームの行く先を見守る。私にできることはそれしかない。
 この試合に勝ったら、勝つことができたら。彼を、花火大会に誘う。
 胸の高鳴りは、試合を見守る緊張なのか、半ば告白に近いメールを送ることへの興奮か。夏の暑さも相まって、どちらだかわからなくなっている。最早、どちらでもいいとも思い始めている。

 その時、場内にバットの良い音が鳴り響いた。
 すぐさま目を見開く。湧き上がる歓声も、息をのんだ周囲の空気も、止まってしまったかのように静まり返った。打たれた白球はゆるやかな弧を描きながら、ライト方向へと伸びてくる。高宮くんが走ってくる。届くのか。追いつくのか。
 すべてがスロウになって見えた。伸びてくる白球も、息をのんだ関谷くんの横顔も、走ってくる高宮くんも。そのすべてを目にした途端、いてもたっても居られず、立ち上がって叫んでいた。
「捕れぇえ――――っ!!」
 愛莉が見上げてくるのも、野球部の二年生たちが振り返るのも、すべてがスロウだった、全部、ぜんぶ。時が止まったかのように、歓声も音も、聞こえなかった。
 高宮くんが大きくスライディングする。勝敗と駆引きの行方は、その左手に託された。

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何度も書いては消してメール書き上げた彼女:塚原伍香(つかはら・いつか)