見出し画像

ラムネは青い|短編小説

▶1

 第二体育館のすぐ横にある水泳用の更衣室は、暑さと湿気でむわりとした空気に混じって、プールの水の、塩素の匂いが漂っていた。足を一歩踏み入れただけで、額にじっとりと汗が滲む。六月になってからすぐに梅雨入りし、暑さも急に増した。もうすぐ本格的な夏が来ることを思うと、妙に浮足立つ。うわー、あちー、と話しながら、他の部員たちも次々と更衣室へとやってきた。早々と着替えて外に出ると、夕暮れ時の生ぬるい風がさぁっと吹いて、汗をかいた肌を柔く撫でていった。
 一刻も早く、あのラムネの中に飛び込みたい。
 プールの揺れる青い水面を見ると、いつもそう思う。飛び込んだ時の、水と身体がいっしょくたになるあの瞬間は、はじける炭酸の泡になったみたいでとても心地よい。準備体操をしながら空を仰ぐと、夕立の上がった晴れの青が、雲の隙間から覗いていた。あの時と、同じ空の色だ。


「傘ないの?」
 急に降り出した雨の中を足早に駆けて行った時、背後からそう呼び止められた。声の主は仲の良い女友達の友達で、実のところ、以前から気になる存在の女子でもあった。よりにもよって、彼女にこんな姿を見られてしまうとは。朝の突風で壊れてしまった、と話すのはどこか憚られて、「うん、まあそんなところ」と曖昧に答える。内心、あーあ、と思いながら。
 すると彼女は、少し考えてから、
「…よければ、入る?」
と言って、さしていた自分の傘を小さく傾けた。驚きと喜びで飛び上がりそうになるのを必死に抑え、「いいの?」と控えめに訊ねる。
「制服、濡れちゃったからくさいかもよ」
 そう付け加えると、彼女は笑って
「何でこの制服、雨に濡れるとくさくなるんだろうね」
と言った。その表情にほっとして、それからしおらしく、背の低い彼女の傘の中へとお邪魔する。
「…毎日雨だな」
「うん、まあ、梅雨だし」
「そっか。たしかに、そうだ」
 天気の話とか、ありきたりな話題は当然続くはずもない。ひとつの傘の中という、いつもよりも近い距離のせいで、聞こえてしまうのではないかと心配するくらい、鼓動が大きく鳴り響いている。
「水泳部って、雨の日もプールに入るの?」
 彼女が訊ねる。
「よっぽどの豪雨か雷でもなければ、基本は入るかな。あとは水温。低すぎだとやっぱり入れないけど」
「そうなんだ。風邪ひかない?」
「丈夫なもんでね」
 嬉しさが顔に出てしまっているのではないかと、並んで歩いている間はずっと気が気でなかった。正直話の内容も、何て答えたのかも、今ではよく思い出せない。ふいに会話が途切れ、沈黙が流れた。傘に落ちる雨の音と、水たまりを避ける靴音が辺りに響く。
「…あ、見て」
 彼女が空を指さす。その方角に目を向けると、空を覆っていた分厚い雲にひとつ、切り込みが入り、そのあいだから白い光が幾つもの線となって差し込んでいた。
「天使の梯子?」
「あ、あの光って、そういう名前なの?」
 傘の中で彼女が振り返る。たしか、たぶん、とドギマギしながら頷くと、へぇ、と声を漏らしながら、彼女は再び空を仰いだ。
「雨がちょうど止む」
 雲の隙間から、淡い青色が顔を出す。まるでそこだけが、カメラのレンズで切り取られた写真のように見えた。雨が止む、辺りがさあっと、明るくなる。その瞬間に見惚れる、彼女の横顔に見惚れていた。


「言わないで、って、どういう意味だと思う?」
 そう問いかけると、隣の席で日直日誌を書いていたサオリは「は?」と戸惑ったような声を上げた。首を大きくひねりながら、
「…まんま、その意味じゃないの?」
と言う。
「じゃあ、質問変えるわ。言うな、って、別の言葉にすると、何」
 よくわからないことを言っているし、訊いていると自分でも思う。だけど、何度考えても、自分が出せる答えは一つしかなかった。おそらく九割がた、その答えで合っているのだけれど、いちおう第三者にも訊いてみることにした。巻き添えを食らったサオリは、さらに大きく首をひねりながらしばし考えている。
「……聞きたくない、かなぁ」
「やっぱりそうかー」
 案の定、自分で考え抜いたものと同じ答えが返ってきて、がっくりと肩を落とす。言わないで、イコール聞きたくない。聞いておきながら勝手だとは思うが、第三者の口から言われるのは、流石にキツいな、と自嘲気味に笑った。

 彼女に思いを伝えようとした。偶然を装って、帰りの時間をわざとずらして、あとはもう、話すだけ——の、はずだった。

「言わないで」
 彼女から告げられたその一言に、「え?」と思わず声が漏れた。唖然とする、思考回路がストップする、というのを、まさにこの瞬間、体感しているな、と、頭では冷静に考えているのがどこか可笑しかった。
「え、っと…?」
「自分勝手でごめんね。…だけど、言わないでほしい」
 俯きながら、彼女はもう一度、ごめんね、と言った。その表情を目にしてしまえば、もう、何も言うことができなくなってしまった。

「もしくは、」
 自ら食らったダメージでしばらく机に突っ伏していたら、隣から控えめに呟く声が聞こえてきた。
「知らないふりをしていたい」
 それが、先ほど自分が投げかけた質問の答えだと、気付くまでに少し時間がかかった。体制はそのままで、視線だけを動かしてサオリを見る。すると、諦めなくていいんじゃないの、と彼女は素っ気なく言った。
「…始まってすらいないでしょ、そんなの」
 サオリと目が合う。少しばつの悪そうな表情が浮かんでいた。どうやら何の話をしていたのか、彼女はとっくに気が付いていたらしい。ふは、と、思わず笑みがこぼれる。
「そっか。…そうだな。サンキュ」
 どんよりと曇った梅雨空のようだった心が、彼女の言葉で少し軽くなった。

揺れる水面から顔だけを出して、再び空を仰ぐ。オレンジ色の光が帯のように纏って、淡い青色の空を夕暮れへと変えていくところだった。ラムネの中にいると、周りの音やざわめきもくぐもって聞こえる。その曖昧な響きが心地よくて、好きだ。
 彼女との関係も、「言わないで」と言ったあの時の答えも、ラムネの中にいるみたいだ。色も形も曖昧で、よくわからない。もしかしたら、気付きたくないのかもしれない。
 それでもまだ、冷めることはない。始まってすらいないのだから。

▶2

 学校と駅のちょうどあいだらへんにあるスーパーにラムネが売っていた。それも、夏祭りで見るような瓶のもの。すっかりはしゃいだ私たちはそれを二本ずつ買って、そのうちの一本を帰り道に開けた。
「サイダーとラムネの違いって、瓶かそうでないかなんだって」
「え?それだけ?」
「サントリーのよくある質問に書いてあるって、ウィキペディアに書いてあった」
「情報が錯綜してるんだけど」
そんな会話を交わしながら、蓋となっているビー玉をぐっと押す。ぷしゅ、と音を立てながら勢いよくラムネがあふれ出て、またはしゃぎながら笑った。雨が上がった匂いと、喉を通り過ぎていく炭酸に、もう夏だなぁ、なんてぼんやり思う。
「サイダーは透明だけど、ラムネは青いね」
 ひとしきり笑った後、トモヨがラムネを口に含みながら言った。
「瓶が青いからじゃないの」
そう返すと、彼女はにいっと口角を上げて、
「そうとも言えるけど、そうじゃないんだなぁ」
と笑う。何それ、と言いながら、また一口ラムネを飲んだ。一瞬のうちにぬるくなってしまった炭酸が、しゅわしゅわと喉の奥に流れ込み、はじける。
「…サオリ、あのさ」
「ん?」
「…や、何でもない」
 毎日同じ通学路を通って学校に行く。そして、朝来たルートを、毎日同じ友達と一緒に帰る。見飽きるほどの歩いたこの道で、私たちが分かれる駅が見えてくると、トモヨはいつも何かを言いかける。言いかけて、そしてやめる。いつものことだ。
「…そう?なら、いいけど」
「うん。じゃあ、また明日」
「うん、バイバイ」
 私も聞き返すことなく、駅の雑踏の中へと吸い込まれていく。彼女が何を言おうとしているのかなど、手に取るように分かっているのに。分かっていて、それでいて聞き返すことをしない。それもまた、いつも通りのことだ。改札を抜けて振り向くと、再び雨が降り始めたのか、トモヨの桃色の傘が、小さく揺れて遠ざかっていった。ここのところ私たちはずっと、堂々巡りを繰り返している。
 次の電車が来るまで、五分ほど時間が空いた。残っていたラムネを一気に飲み干して、自動販売機の横にあった瓶専用のごみ箱へ捨てた。先ほどまでしっかり蓋となっていたビー玉は、今はコロンと手のひらの中におさまっている。一緒に捨ててしまおうかと思ったけれど、瓶ではないよな、と思い、カバンの底に転がした。
 先ほどの、トモヨとの会話を思い出す。本当は少し、動揺していた。似たようなことを、話したばかりだったから。


「ラムネって、何で青いんだろうなぁ」
 梅雨の合間の、よく晴れた日だった。強い日差しに照らされたプールを見ながら、ひとりごとのように彼は呟いた。彼が言うラムネとは、炭酸飲料ではなく、プールのことだ。よく話すようになって気付いたけれど、彼はずっと、プールのことをなぜかそう呼んでいた。
「プールの底が青いからでしょ」
 素っ気なく答えると、彼は「そうだけど、そういうことじゃない」と大袈裟に溜息をついた。きっとすぐにでも、水の中に飛び込みたいのだろう。光が反射する水面よりも、それを見つめる瞳の方が、キラキラと眩しい。「あれは紛れもなく、青なんだ」
 どうってことのない会話が、私にとってはとても心地よかった。だけど、この思いが成就することはない。なぜなら、
「…あ。トモヨだ」
 その名前を挙げただけで、視線は眩しいプールから彼女の方へとあっという間に移る。
日本には一億もの人が住んでいるというけれど、実際のところ、この世間は割と狭い。だから、好きな人の好きな人が自分の親友だった、なんて話も充分あり得ることだ。しかし、そんなのは所詮、マンガや小説の中で起こりうる話に過ぎないと、ずっと思っていた。思っていたのに、彼の好きな人は、私の親友だった。
 彼の、トモヨへの思いを確信したのも、雨の帰り道だった。あの時は試験期間中で、部活動もすべて休みだった。特に何の部活動にも所属していない私とトモヨは、しばらく図書室で試験勉強をしてから、いつも通り帰路についた。明日は英語と生物がやばい、なんで苦手な教科に限ってテストが被るんだろ、なんて話をしながら。そしていつも通り、駅でまたね、と手を振りあった。
 揺れる電車の中では、英単語一つを覚えるにもなかなか集中することができない。ガタン、と車両が大きく揺れ、思わず近くにあったポールに手を伸ばす。窓の外の光景が目に飛び込んできたのは、その時だった。
 一つの傘で並んで歩く、二人の男女。同じ制服で、似たような背格好の男女はたくさんいたけれど、あれは間違いなく彼とトモヨだった。トモヨが空の方を指さす。彼は一瞬空を仰ぎ、そしてまたすぐに、横にいる彼女を見つめた。見たことのない顔をしていた。
———ああ、そういうこと、なのか。
 一瞬で分かってしまった。彼と私は友人という関係にとどまっていたけれど、周囲から「もしかして付き合っているの?」と訊かれることも少なくはなかった。それくらい仲が良くて、お互いにまんざらでもない、と思っているように感じていた。しかしそれは、自分の思い過ごしであったのだ。誰に言われたわけでもないのに、羞恥で顔が熱くなった。
 トモヨに彼氏はいるのか、と彼が訊ねてきたのは、それからほどなくしてのことだった。顔を真っ赤にさせて照れる姿に、かわいいところもあるんだな、とうっかりときめいてしまった。そんなところも、好きだな、と。
「本人に訊きなよ」
「無理。まともに話すらできねーのに、そんな質問、失礼じゃん」
 珍しく情けない声を上げる彼に、頭を抱える。だからといって、よりによって私に訊くのか。そりゃあそうか、だってトモヨの親友だし。好きな人の親友が、仲の良い女友達なら、まずはそっちから地固めするよなぁ、そりゃあ…。
「彼氏は、いないよ。…好きな人は、今度訊いてみる」
 結局、困ったような表情に負けて。そう答えてしまったのだった。


 カバンからビー玉を取り出して、夕立の気配が残る景色にかざしてみた。電車は踏切へと差し掛かる。たいして長い車両が通るわけでもないのに、この踏切はあくまでにかなり時間がかかるのだと聞いた。朝捕まってしまえば、遅刻が確定だ、と。トモヨと彼、二人からまったく同じ話を聞いた。思えば、よく似ている二人だ。話し方も、透明なものを青いと言う感覚も、私を見る優しい瞳も。似ているし、お似合いだ。そう考えるたび、胸が軋むような音を立てる。

 彼のことが好きだと打ち明けた時、トモヨは目を見開いて驚いていた。「しまった」という声が聞こえてくるような表情だった。それから、「応援する」とほほ笑んだ。同じ人が好き、という言葉を、飲み込んだかのように見えた。

 つまるところ、私はひどくずるい。親友の優しさにつけ込んで、自分の失恋の猶予を少しでも伸ばそうとしている。そのくせ好きな人には良く思われたくて、まるで協力するような素振りを見せる。お互いの方を向いている矢印を、私という存在が邪魔をしている。開かない踏切のように、二人にいつまでもずっと進まないでいて、と。どこまでもずるくて臆病だ。
 私がちゃんと吹っ切れればいいのだ。トモヨの背中を押して二人を結びつける、それしかないのだ。一見かたく塞がれたラムネのビー玉だって、思っていたよりも簡単に蓋が開く。そのくらい単純なことなのに、気が付くのはいつも、降りるはずの駅を乗り過ごしてしまってからなのだ。

▶3

 いつのまにか雨は上がったらしい。今のうちに換気をしようと窓に手を掛けた途端、虫がいる、と反射的に手を引っ込めてしまった。よく見ると、それは虫ではなく、綿毛のようなものだった。ほっと息をついて窓を開ける。すっかりぬるくなった風が、心地よく頬を撫でていった。夏の暑さは苦手だけれど、日が沈むまでの、時間がぐんぐん伸びていく夕暮れ時は嫌いじゃない。
 帰りがけに買ったラムネの空き瓶をなんとなく手に取り、それを陽に透かしてみる。瓶が青いから、と彼女は言ったけれど、やっぱりラムネは青いと思う。青といっても、あさぎ色というのかな、淡く緑色の混ざった青を水に溶かしたような、そんなブルー。喉を滑り落ちていったラムネの感触を思い出しながら、先ほど見つけた綿毛のようなものを、ラムネ越しにもう一度じっと見てみる。種子も一緒にくっついているから、おそらくタンポポの綿毛であろう。小学生の頃、息を吹きかけて綿毛を飛ばしたのを思い出した。綿毛も種子も、連日の雨ですっかり濡れた網戸の隙間に絡みついてしまっていて、取れる気配がない。ずっとこのままなのだろうか。そう考えたら、胸の奥のほうが小さく痛んだ。

「ヒロキのことが好きなんだ」
 彼女にそう告げられたのは、私とヒロキが一緒に帰った日のすぐ翌日であった。咄嗟に思った。やっぱり、そして、しまった、と。彼女がヒロキに好意を抱いていることにはなんとなく感づいていたけれど、その時まで、お互いに訊くこともなければ話すこともなかった。だから少し、油断していたのだと思う。
 彼女とヒロキはずいぶんと仲が良くて、ゆえに私も時折、ヒロキと話すようになった。とはいえ友人と呼べるような仲には程遠く、友人の友人、といったポジションを保っていた。しかしながら、そんな間柄でも、小雨とはいえ冷たくコンクリートを打ち付けるなか小走りで駆けていく背中を、呼び止めずにはいられなかった。迷って、傘を貸すことにしたけれど、おそらく電車の中で、彼女はその一部始終を目にしてしまったのだろう。後ろめたい気持ちがひたひたと、心の水面を揺らす。
「私、サオリに謝らなきゃいけないことがある」
「一緒に帰ったこと?」
 すぐに言葉が返ってきて、思わず顔を上げる。
「…やっぱり見てた?」
 私の顔がよっぽど強張っていたのだろうか、彼女は少し困ったように笑んで、
「傘、貸してあげたんでしょ。それくらいわかるよ」
と言った。思っていたよりも、彼女はあっけらかんとしていて、少しだけ拍子抜けした。
「うん、だけど、ごめん」
「優しいなぁ、まったく」
「応援する」
「うん。ありがとう」
 恋をすると人は変わる、と聞いたことがあるけれど、彼女はなにも変わらない。ずっとずっと優しくて綺麗で、素敵なままでいる。だからこそ、彼女は誤解をしている。彼女と同じように、私もヒロキのことが好きなのだと。そしてそれを、言い出せずにいるということを。
 私のことを優しいと彼女は言った。だけど本当は、そんなに優しくなんてない。ヒロキに傘を貸したのは、もちろん彼が風邪をひかないように、という思いやりからでもあったけれど、それよりも大きく頭の中を占めていたのは、彼女のことだった。彼が風邪で休んだりすれば、彼女はきっと寂しい顔をする。そう思ったから、傘を貸した。実のところ、それだけに過ぎなかったのだ。

 彼女が傷つくことを、私は一番恐れている。だから、ヒロキが何かを言いかけた時、「言わないで」と思わず言ってしまった。今思えば、とんだ自意識過剰に過ぎなかったのだけれど、その瞳にはどこか見覚えがあって、もしかしたら彼を、そして彼女をひどく傷つけてしまうかもしれないと、咄嗟に思った。
 仮に、もし本当に、彼が私に思いを寄せていたとしても、やっぱり私はそれを拒絶しなければならなかった。それだけなら、二人のあいだで完結する話なのだが、彼女がヒロキに対して抱いている思いを知っている以上、耳を塞ぐしか方法はなかった。彼女が傷つくような話題が、彼女の耳に入らないようにするためには、知らないふりを貫き通すのが一番よかった。だからといって、あんな拒絶ともいえる言葉を投げかけてしまったのは本当に失礼だったし、彼女の代わりに彼を傷つけていいわけでもないのだ。ずっと後悔している。しばらく呆然としていた彼の表情が、眼に焼き付いて離れない。
 それでも、それよりも、彼女が傷つくことを避けたい。傷ついた彼女が離れていってしまったら、どうしよう。そればかりが、何よりも怖い。だから、誰かを傷つけることになったとしても、仕方ない。こんなことを考えているなんて知られたら、彼女にさえも、非情だと思われることだろう。

「告白しないの?」
 ふいに、そう問いかけたことがあった。唯一、彼女が傷つくとしたら——彼女自身が思いを伝えて、それが実らなかった時だから。すると彼女は眉を下げながら「それは無理」と答えた。
「だって、相手を思っている今くらいのほうが、気楽だもん」
 目を細める彼女を見て、臆病者の私は心から安堵してしまった。まるで、自分の思いを代弁してくれたかのようだったから。

 彼女に対する思いを、恋と呼ぶのか、正直分からない。けれど、こんなにも苦しくて、せつなくて、いとおしく思えるこの気持ちを、恋と呼ばなければ、何というのだろう。
 空になったラムネ瓶の栓をぐっとまわして、中からビー玉を取り出した。こんなふうに、簡単に抜け出せればよかったのに、私の気持ちは、網戸に引っかかったままの種子と同じだった。飛び込んだところで成就するわけもなく、世間のしがらみに捕まっては、そこで芽を伸ばすことすらできない。

 言わないで、と言った、自分の言葉を思い返す。彼に言ったつもりだったけれど、それは、本当は違うのかもしれない。

 彼が、私に?
 彼女が、彼に?
 私が、彼女に?

 結局、誰に向けた言葉だったのだろう。この堂々巡りは、一体いつ、終わりを迎えるのだろう。
 暮れ始めた夏空は、ラムネのブルーと混ざりあって目が焼けてしまうんじゃないかと思える程、眩しく見えた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

イメージソングはフジファブリックの『ブルー』でした。六月になるとこの曲ばかり延々とリピートしてしまいます。

よくある三角関係、かと思いきや、カタチのいびつな三角関係だった、というのが書きたかったのだけれど…伝わっただろうか。瓶のラムネ、しばらく飲んでいないです。

読んでいただき、ありがとうございました。