見出し画像

閃光花火【6】通り雨と迷子の心

「おぉーい、あんまりスピード出すなよー」
 はしゃぎながら自転車で駆けて行く部員たちに向かって、片岡秋良は声を張り上げた。その声に気付いていないのか、はたまた気付いているのを承知の上で、なのかは定かでないが、自転車族と化した彼等はさらにスピードを上げて走って行く。そんな姿に呆れつつも笑みをこぼした時、秋良ののろまな自転車の隣に、にゅっと並んでくる人影があった。
「さっすがブチョー、遊びでもちゃあんと、仕切ってるねー」
 呑気そうな声を耳にし、秋良は唇を一の字に結び、心の中だけで舌打ちをした。それから、
「並走禁止」
とだけ、落ち着いて声を掛ける。その言葉に、隣をゆっくりと並走していた渚はニッと笑い、少しだけ秋良の前に出た。

「今年の花火は、特別なんだって」
 彼女がそう口にしたのは、陸上部の合同練習が終わり、片付けと着替えを済ませ、あとは帰るだけ、というタイミングであった。練習中は照り付けるような日差しの下と焼けるグラウンドの両方でひたすらに暑かった。未だその炎天下は続いており、帰るだけ、とはいえかなり億劫になっていた。せっかく着替えたTシャツをまた替えなければならないくらい汗をかくのが目に見えていて、なんとなく誰も帰ろうとしていなかった。
「花火って、町の花火大会のこと?」
 着替えたことによってだいぶマシにはなったものの、ぬるい風を受け、再び汗がじんわりと滲んでくる。秋良が首元をタオルで拭いながら訊ねると、渚は満面の笑みを浮かべながら頷いた。
「今年は、二十五年に一度の、『閃光花火』だよ!」
 中学生にもなれば多少は余所余所しくなることも多いのだろう。だけど、陸上部は人数もあまり多くないためか、男女仲は良い方であった。
「センコーハナビ?」
「って、誰が一番長く続けられるか、ってアレ?」
 横にいた三島と澤村が顔を見合わせる。一緒になって首を傾げていると、「まったくこれだから、男子は」と女子部員たちからブーイングの声が上がった。
「閃く光、で、閃光花火だよ」
「クライマックスで、町のあらゆるところから一斉にスターマインが打ち上がるんだって」
 うっとりとしながら話す渚と涌井に、秋良を含む男子部員は皆ホーとかヘーとかしか言えず、またしても「ロマンの欠片もない」と大ブーイングを食らった。
「でも、町のあらゆる場所って?」
「それは公表されてない」
 そこまでを含めて特別なのだ、と、涌井が熱弁する。
「……じゃあ、場所は当てずっぽうだけど、皆で行く?花火」
 場の空気を察してそう提案すると、どこからともなく賛成!と手が挙がり、今に至る。

 秋良たちが、「花火が打ち上がる場所」と予想して向かっているのは、町の中心部からやや南西にあるスポーツ公園だ。地区予選の会場にもなるそこへは、もう幾度となく訪れているが、中学校からは三キロほど離れており、渚の話によると、今日は高校野球の地区大会も行われているらしい。混雑することも考え、多少遠回りにはなるが、川沿いの道を自転車で向かおう、ということになった。もちろん、河原もそれなりの花火スポットではあるが、午後二時を回った今の時点からかなり人の姿があった。
「ね、紗恵先輩たちにも声掛けてみない?」
 少し前を走る渚が、振り返りながら秋良に訊ねる。さらに前を行く自転車族たちよりもスピードは遅いが、勢いよく振り返ったせいで自転車のハンドルがぐらりと揺れる。
「いいと思う。…けどお前、そんな感じで、隙あらば紗恵先輩に連絡してないか?」
「……ソンナコトナイヨ」
 渚の目があからさまに泳ぐ。じっとりとした視線を向けると、大袈裟な溜息をついて
「何でわかったの?」
と訊ねた。
「ただの勘が当たったな。っていうか、危ないから」
 前を向くよう促すと、渚は聞き分けの良い子供みたく、ぴっしりと前を向いた。ふ、と日差しが陰り、見上げると、頭上の空の雲が厚くなっていた。先程まで、あんなに晴れていたのに。通り雨がくるかもしれない、と、秋良はペダルを漕ぐスピードを少し速める。
「ついでだから訊くけど、お前、何かかくしごとをしてるだろ」

 渚はずっと、かくしごとをしている。そしてそれが、転校することだと知ったのは、つい三日前のことだった。顧問の境先生からその事実を耳にしたとき、頭が真っ白になった。
 なつやすみあけに、てんこうする。その事実を繰り返し反芻しては、秋良は理解すること自体を拒んだ。夏休みが明けた時、部員にそれを告げるのは、おそらく自分であると勘づいていたからだ。だけど、ずっとそうしているわけにもいかない。
「…なんのこと?」
 彼女はやはり、このまましらばっくれようとしている。こちらの気も知らずに、随分と呑気なものだ。秋良は再び、心の中で舌打ちをする。苛立ちを悟られないようにするには、口を噤むしか方法はなかった。けれど、
「それに、関係ないよ。秋良には」
 その言葉を聞いた時、ついに、気持ちを抑えることができなくなった。キィッ、と、ブレーキの甲高い音が辺りに響く。さすがに渚も驚いたのか、自転車を止めて秋良を振り返った。ハンドルを握る手の甲に、ポツリと雨粒が落ちてくる。
「…ばかっ」
 幼い子どものように、苛立ちを吐き捨てる。振り返ってこちらを見た彼女は、全てを悟ったようなさっぱりとした顔をしていた。秋良の気持ちも、自分自身の気持ちさえも飲み込んでしまったような表情に、苛立ちはさらに増す。
「ばか、ばかやろう。ふざけんな」
 本当は分かっていた。転校することを敢えて言わなかったのは、彼女がここに残ろうとした故であることにも、彼女はまだ幼くて、その願いが叶わなかったということにも。気付いていたからこそ、同じく幼い自分が不甲斐なかった。本当は、彼女を責めたい訳でもなかった。
「…秋良、泣いてるの?」
 渚の呟きで、秋良はようやく自分が泣いていたことを知った。しかし、突然の通り雨により、その感覚も、目の前の渚の表情すら、よくわからなくなっていた。汗も涙も流れていく雨の感触が、今はただ、妙に心地よかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自転車族と化して旅ごっこするあいつら:高宮渚(たかみや・なぎさ)、片岡秋良(かたおか・あきよし)