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確認が止まらない

仕事でミスをした。
ミスを見つけるのは自分。困るのは自分。悔やむのも自分。後始末も自分。

最近は「命に関わるわけではないから」という考え方が少しずつ出来るようになっていた。
訂正してこれからまた気をつければいい。
と思っていたはずだった。

この「気をつければいい」がそこで終わらなかった。

「気をつけなければいけない!何度も何度も確認を怠るべからず。見落としがあるかもしれない。勘違いもあるかもしれない。家の鍵をかけたのも記憶違いかもしれない。泥棒が今にも家のどこからか侵入しようと彷徨いているかもしれない。コンセントから火が出て火事になるかもしれない。周りの人は私の事がきっと大嫌いなのだろう。或いは近づく人間は損得勘定丸出しで気持ち悪さも兼ねている悪人かもしれない。ひょっとしたらまた誰かが嫌がらせをしてくるかもしれない。私が何か言えば数百倍もの攻撃が返ってくる。
いや、それよりも私はもっともっと気をつけなければいけないし、本当は凄く大きなミスをしているのかもしれない!まだ気がついて無いだけで…!」

今まさに実際に起こった事ではないのに、頭の中で大波のように押し寄せてくる。
全て想像なのに。
自分でも異常だなと自覚する時もある。
昔から漠然とした不安感というのはあったけれど、それはそういう性格だからと頭で噛み砕き納得し、馬鹿馬鹿しいと思えるようになるまで時間はかからなかった。
それが今回は長い。非常に不安の期間が長い。

そんな時にこんなニュースを見かけた。

俳優である佐藤二郎さんは、その疾患を持つゆえの不思議な演技をする人だ。
彼はその「病」と共存、利用しようと決めた。
それが映画制作となり素晴らしい演技力となった。
しかしこの「病」は時折酷く襲ってくるから自分でもどうしようもない。
そうなると自分の人生どころか家族や仕事にまで迷惑がかかるのではないか。という不安までダブルで襲ってくる。
その上でXでの発言だったのだろう。


「僕は生きるか死ぬかで、全身全霊で生きる。
恐らくは、それしか僕の生きる道はないから。」

私も遠い記憶だが同じように感じたことがある。
言い難い不安を訴えた時に親に言われた言葉だ。
「情けない!どうしてお前はそんなに気が小さいんだ!何が怖いのか!頭がおかしいのか?早く寝ろ!」

ああ、私はずっと理解されず安心という環境に身を置くこと無いまま、生きるか死ぬかの間で迷うことしかできないんだ。と。

ある人は辛い事が続くと「次は何なんだ」という思いが出てきて感情が麻痺するという。
またある人は「もうこの際何でも来やがれ」と以前より一段と強くなれるという。
そして私は「また同じ恐怖を味わうのか」と生きるか死ぬかの間に立たされる。
強迫性障害というのは本当に厄介な病だ。

精神科の受診があり、このような症状を訴えてみた。
「過去の不安や傷ついた体験が強烈に残っていて、そこに今の不安に拍車をかけているんですよね。あんな経験したんですもん当たり前ですよ」
長く続くようだったら服薬も検討してみてもいいという事だったが。

当たり前だったんだ。
今までこういう自分が情けなくてたまらなかった。
辛い症状を恥ずかしくて言えなかった。
それこそ頭がおかしいのかと言われるからだ。
強い自分でない事をずっと周りに申し訳なく思っていた。

ちょっと顔を上げてみよう。何も起こってないよ。
そして吐き出そう。叫んでもいいよ。
自分の勘が鋭いのは知っている。
でもその殆どが思い違いだ。
あんな辛い日々を送ってきてまだ生きているのは
本当は私は強い人間なのかもしれないよ?
いや、まだまだだ。
その繰り返しだが少しずつ訓練してみようと思う。


そろそろ自分を強迫するのもやめなければいけないな。










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