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重度知的障害の方との暮らし【50日目ラスト】背中で語る「そのままでいい」と「そのままではダメ」

とうとう最後の日を迎えた。最後なんだけれども、なんだか実感がなかった。たけしがコロナにかかり、2週間ほど会えていなかったのだ。その間、たけしのいないシェアハウス生活を暮らした。もう会えないかもしれないと半分あきらめていた。しかし、シェアハウス滞在期間は残り2日の48日目に帰ってきた! よかった。けれども、最後の実感を得ながらもたけしと関わったのは2日間しかなかった。イレギュラーなことが起きてしまい、今まで連続的に移り変わっていた心模様に変化があった。そんな20日間で感じたことについて書けたらと思う。

たけしがいなくなったから分かったこと

少し自堕落になった

たけしがいなくなって一番感じた大きな変化は、丁寧な暮らしの質が少し落ちたことだ。たけしがいなくなってから、1週間ほど経つと整理整頓が少し甘くなった。毎日おこなっていた部屋の掃除が2日に1回になった。リビングに物を置きっぱなしにしてしまうこともあった。やっぱり、たけしの脅威(ものを噛んだり投げたりする)にぼくの丁寧は支えられていたんだ。(詳細はこちらから)それでも、たけしと会う以前の僕と比べると、十分すぎるくらいにしっかりとした生活を送れるようになった。たけしは、いわば自転車の補助輪のような役目を果たしてくれたのだと思う。自分で整理整頓のできる暮らしができるまで伴走をしてくて、慣れてきた頃に離れてくれた。少し不安定になったものも、丁寧な暮らしを2週間つづけることができた。今残っている感覚を大事に、新しい家でも整った生活ができたらと思う。

上手に現実を受け止めていた自分の認知

たけしが戻ってきた直後、たけしのにおいを感じた。正直に言うと、その時は、たけしのうんちの臭いも混ざり「快」に感じるものではなかった。変化を感じたのは自分だけみたいで、たけしのにおいが変わっているわけではないと思う。感じ方が最初に戻ったのだ。
また、新しい住居に引っ越して1日を過ごすと、そこがとても静かに感じた。近くに人は住んでいるのだが、なんだか少し寂しさすら感じた。正直に言うと、あそこはうるさかったのだ!いつも夜の時間にシェアメイトよる何かしらの音や声が聞こえていた。それを自然の音のように受け止め、僕は気にならなくなっていた。
2週間たけしから離れることによって、自分にとって都合がいいたけしの受け取り方や付き合い方を選択していたことに気づかされた。「住めば都」を生々しく実感することができた。

壮行会っぽい盛り上がりをみせた最後の日

最後の日、シェアハウスは今まで一番の盛り上がりを見せた。
まず、今まで、一度も経験できなかった名物「お皿ひっくり返し」を初めて経験できた。たけしのイライラの八つ当たりにあったのだ。その時「やっとたけしを感じられた」と達成感を得ることができた。「嫌なことをされることを待つ」という意識でいたが、これは初めての経験であった。

また、今まで見たことがなかったシェアハウスメンバーのハイテンションも見ることができた。共同暮らしをしている、いつも寝転んでいるりょうくんが飛び跳ね、「泣いちゃった」が口癖の舞ちゃんが躍り狂い、いつも一人遊びをするたけしは、女性の手を離そうとしない。最後にして、たけしを含め、初めて見るみんなの素顔を垣間見ることができた。そして、スタッフと一緒にみんなで思いのままに踊った。とても楽しい夜だった。もっと早く、こういう楽しみ方があると知りたかったと少し後悔した。

たけしとは、自分にとってどんな存在であったのか?

総括を綴りたいのだが、正直、それが怖い。これまで、たけしは、この文章を読めない・理解できない前提で正直に内面と私生活の変化を告白をしてきたが、ずっとうっすらとした後ろめたい気持ちがぬぐえなかった。こんなことを言うと怒られるかもしれないが、たけしは人なのだ。確かに本人には届かないが、それでも一人の人とのリアルな生活を、本人の了解もなく、一見エンタメにも見えるような表現をして良いのかと何度も胸が痛んだ。さらに、一般的なマナーに反し、また世間の人やスタッフの人からバッシングを受けそうで怖い。それでも、自分が感じたことをそのまま綴ってみようと思う。

正直に書くと、「今まで出会った人の中で最もパワフルな反面教師」であったように思う。思いやりがないように見える部分。整理整頓ができない部分。自堕落に見える部分。。。自分が大切にしたいことを、他人ができないレベルで実践しないたけしの様子を見ると、「こんな風になってはいけない!」と、多少の怒りと共に強い反発心が沸いて出てきた。その強い想いは、自分の日常生活において大切にしたいことを大切にする行動力を生んだ。

たけしは、僕を変える力を持っていた。僕は自分を変えたいと思って色々な努力をしてきた方だと思っているのだが、お世辞抜きにこんなに僕を総合的に変えるのに即効性のある体験はあまり出会ったことがない。というのも、今までは「目指したいところに向かう」というワクワクするような気持ちをトリガーに頑張ってきたが、今回は「嫌なところから離れたい」という逃避の気持ちがトリガーになって自然と自分が変わった。逃避のパワーが強い自分にとっては、なりたくない様々なあり方を体現するたけしは、ある意味、僕のように人生の教師でありプロデューサーになり得たのだ。

また、もう1つの反面教師の話に対して一見矛盾するような内容についても聞いてもらえたらと思う。これも告白をするのが怖いのだが、昔から自分は差別的な意識をずっと持っていた。その意識は自分を度々追い込んだ。「自分は価値がない存在だ。ここにいてはいけない。」といったような固定観念は、自分を過剰に不安に追い込み、苦しめ、焦らせてきた。この固定観念を和らげるためにいろいろな勉強をしても、結局完全には無条件に自分の存在を認め切って、安心したあり方を手に入れることはできなかった。
ところが、今回の共同生活を経て、少し胸糞悪い内容だが「たけしでも、こんなに人の力になれる」という風に思った。そして、「どんな人でも、誰かにとっての何かしらの価値を発揮しているはずだ」という風に考え方を広げた。自分が手に入れたかった考え方ではないが、たけしとの共同生活を背景に生まれたこの考え方は、どんな自分も他人も認められる威力を持った。

たけしから、強力な「今のままではいけない」というメッセージと「今のままでもいい」というメッセージを受け取った。
この2つを背中で、というより背中だけで、僕の気質に合うように語ってくれる人は、なかなか出会えないと思う。自分にとっては、大変貴重な出会いだった。たけしと、たけしをサポートするスタッフの皆さんに心からのお礼を申し上げて、この50日間の体験レポを終わりにしたいと思う。読んでくれた皆さんもお付き合いいただきありがとうございました。

文章/写真:中原誠大

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