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重度知的障害の方との暮らし【1日目】「動じず、好きなことを純粋にする」

「ガッタンゴトン」
「ガラガラガラ」
「あーっ!」

僕の個室でパソコンを開いていると色々な声と音が聞こえくる。
今日から、僕は重度知的障害を持つ「たけし」くんと暮らす。
なかなかできない貴重な経験だ。なんだか海外にきたような気持ちになっている。
最初に感じたことを忘れないように。。。

「動じず、純粋にやりたいことをやる」のまわり

僕がきても、大きなインターホンの音がなっても、たけしくんは動じない。
熱心に自分のやりたいことをやっている。昨今では、「やりたいことをやる」というようなことが注目されているが、それの究極系だ。
僕は、やりたいことをやるために浜松にやってきた。いわば、たけしくんは僕の師匠である。師匠なんだけれども。。。正直な話、自分のありかたについて考えてしまった。自分はこの生き方でいいのだろうかと。
たけしくんがやりたいことをやっていると、知的障害を持っていない側の我々の世界にとっての不都合が起きる。例えば、お菓子が散らかったり、冷蔵庫が開けっ放しになったりする。それを、周りのスタッフさんは、怒ることなくそっと何度もフォローをする。たけしくんは、そのフォローには気づいていない様子で、お菓子を漁っている。その様子を僕は最初「諦め」の世界だと受け取った。
翻って自分のことを考えてみた。僕は、とてもお世話になった会社をやめて、親の心配をよそ目に浜松に飛び込んだ。よくよく考えれば、僕も好きなことをすることを許してもらっている部分があると気づいた。たぶん周りは僕が思っている以上に、見守ってくれたりフォローをしてくれたりしているんだろう。僕が好きなことを好きなようにできるように。。。そんな風に自分に置き換えて考えると、「諦め」に感じた世界に「愛」を感じることができるようになってきた。

おかしが散らかっている

反省した自分のまなざし

自分の状況をたけしくんに重ねてみると、目の前で起きていることが温かく感じた。また同時に、正直な話、自分の最初にたけしくんに向けていたまなざしに後ろめたさのようなものを感じた。たけしくんやたけしくんと周りの関係のことをよく知らないのに、たけしくんに対して「いけない人」という見方し、その周りのスタッフさんたちに「かわいそうな人」という見方をしてしまっていたからだ。本人たちに実情を聞いてはいないが、当人たちはその関係を受容し、リスペクトを持っているかもしれない。しかし、自分はたけしくんとたけしくん周りの関係を受け入れることができず、むしろ拒絶するような見方をしていた。どうして、僕の心は、そんなに風な反応をしたのだろうか。自分自身が清々しくやりたいことを純粋にやれるようになるために、自分の内面をよく見つめてみた。

冷凍庫を取り出す癖がある

「我慢を美徳」に仕立て上げた過去の経験

自分自身の過去の経験は関連しているのではと思った。幼少期の僕は、昆虫博士と呼ばれる程いつも昆虫と戯れていた。先生の言うことをまったく聞かず、昆虫のいるところばかりに足を運んでいた。しかし、小学生になると、昆虫を嫌がる友達が増えてきて、友達の輪に入れてもらうため昆虫と距離を取り始めた。これが、最初の自分のやりたいことよりも周りの評価を気にし始めた経験だったと記憶している。そして、中学では、遊びや恋愛などのやりたいことよりも勉学やリーダーシップ等、親などの権威があると感じた人に評価されることを優先し、大学になると「我慢は美徳」とすら捉えるようになった。
このように過去を振り返ると、僕は「やりたいことをやる」ことを遠ざけ、我慢を練習し、正当化してきた側面もあることがわかってきた。この20年間以上の歴史に踏み固められた固定観念が、たけしくんの周りに在った関係性を拒絶したのかもしれない。

大人になってもあたたかく育みあえる余裕

僕はこれからどんなあり方で人と接したいのか。インドでは「お前は人に迷惑かけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」というような教えがあると友達に聞いたことがある。僕も、そんな風な生き方をしたいと思う。
子どもの頃、大人たちはみな「お手本」だと思っていて、"完璧な"存在であるべきだと思っていた。僕もその大人になったが、大人たちも自分ではコントロールできない特性や思いがけずに人を傷つけてしまうことなど、他の誰かを困らせてしまうことが多分にあると分かってきた。僕たちは、未熟な部分、言い換えれば「あるはずなのにない」部分がみんなある。人間関係の不和のほとんどは、その「あるはずなのにない」を起点として、怒りや悲しみが生まれて発生しているように僕には見えている。
今日の僕にとっては、たけし君とスタッフの関係性は「あるはずなのにない」をたくさん感じられる存在だった。たけし君らのことを全部をそのまま受け入れることができるようになったら、僕はどんな世界を生きることができるようになるのだろうか?微かに見えるのは、温かく和やかな人間関係にあふれた世界。穏やかな気持ちでもっと生きやすくなりそうだ。そんな世界で生きられるようになるための知恵がここに眠っている気がする。

次回「7日目:甘えさせ上手なたけし先輩」

今回の劇場

執筆・写真:中原誠大

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