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書いて変わる人生なら変えてみようか

「#私は書いてこうなりたい」

と言われて、はて、なぜ書いてるんだっけ?となった。

消費生活やコンプレックスへの反抗

表向きは記録。

生活時間を消費するばかりでなく何かをアウトプットして形に残しておきたい。たぶん1番手軽で確実、そして割と好きな方法。

だけど、深層心理的には「左脳的ロジックコンプレックスへの抗い × 読ませる文章を書ける人への憧れ」だと思う。

わたしはどうやら右脳的に直感や画像イメージで思考しているらしい。文字の羅列で展開される物事の道筋を追うよりも得意のようだ。

そのせいか、社会人なりたての頃から論理というものに苦手意識を持ち、ずいぶん苦労してどうにか人並みに追いつけた(と思いたい)。だから理路整然とした、最初から最後まで読まれるような文章を書けるようにある種のあこがれがある。

欲を言えば、文脈や行間的な感情などの微妙なニュアンスを言語化できるようになれると最高。

スキやフォロー数は大事か問題

そう、文章を通した共感を求めているのかもしれない。

そんなにスキとかイイねにこだわるつもりはないけど、アクセス数があるのに反応が得られないのは共感できる記事ではなかったという証拠。

共感が得られなくても良いのだ、と毅然としていても、しょせんは強がりにすぎないだろう(自分にとっては)。

その先は

共感を得られる文章を書けるようになって、コンプレックスか自信に変わるぐらいになったとして、そのときの景色がどう見えるかが楽しみ。

読んだ本のメモとか、読んだ前後でどう感じたかをまとめて、自分の中の新しい発見を繰り返すとか、そういう書き方生活が目下の目標。

(ほぼ余生の過ごし方みたいな話になった)

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